数多のホーボー(Hobo)たちの生き方

くるりがリリースした楽曲『ワンダリング』(2025/9/12リリース)。作曲者の岸田繁さんが発想・製作する背景にジェームス・テイラーが歌った『Wandering』に覚えた共感があるといいます。 さすらい、放浪、あてもなくさまよう、などを意味する単語がWandering。 ジェームス・テイラーが歌ったこの楽曲はトラディショナルで、数多のミュージシャンに歌われてきました。補作詞あるいは追加の詞なのか、手を加えてジェームス・テイラーが1975年のアルバム『Gorilla』に含めて世の中に再提示しました。

私の安易な検索によればトラディショナルソングとしての『Wandering』は他にもBurl Ives、Walt Robertson、Eddy Arnoldなどによる実演がみつかりました。それぞれに歌の節回しや伴奏が異なる印象がします。その意味で、ジェームス・テイラーが1975年に再解釈した功績は大きいと思います。 楽曲の起源の正確な特定はきょうの私には難しいですが、参考になるサイトを見つけたのでリンクします。

BALLAD OF AMERICA

上記サイトによれば、1800年代末期には6万人のホーボーがいました。鉄道に無賃乗車してさすらいながら、その日暮らしする労働者:渡り鳥労働者といった意味合いがホーボー(Hobo)です。 1929年頃をきっかけとする1930年代には100万人のホーボーがいたといいます。その生き方に終止符を打つ望みを抱いてホーボー生活する人もいれば、ホーボーを己の生き方とする人もいたとか…… 楽曲『Wandering』は、アイルランドのメロディと、旅するアメリカ人の経験から生まれたといった趣旨の解釈が上記サイトでなされています。メロディ(旋律、ふしまわし)はアイルランド由来なのですね。『Wanderin’』などといった表記揺れもあるようです。 ジェームス・テイラーの再解釈は、アコースティックギターのアルペジオの響きがやわらかで陽光のように希望に満ちています。やさしい彼の歌声が悠久なテーマ「さすらい、放浪」の普遍性を自然と私に諭します。アコーディオンの路上を想起させる、哀愁めいた土着を感じる描線が歌に添います。ハーモニーのボーカルも入り、ストリングスの音色が響きを豊かにします。リズムを強調するドラムのような楽器は省かれており、己の足で着実にあゆみ、その身ひとつでさすらっていく己、あるいはそうした生き方をする数人の心の知れた仲間のアンサンブルのような連帯感を思わせもします。

Wandering 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:traditional(P.D.)。James Taylorのバージョンは彼によるadditional lyricsあり、アルバム『Gorilla』(1975)収録。原曲の正確な起源は1900年代なのか不明。

James TaylorのWanderingを聴く

アコギの明るい音色。人生の悲喜交々を淡々と浮かべるジェームス・テイラーの歌声は極めて淡白で素朴なのに、明るくてやさしい。アコーディオンがミャーンと漂ってきて、ハーモニーのボーカルがだんだんと本数を増やしていき、後半にいたる頃にはアカペラの響きだけでも成立しそうなくらいに音域もワイドになります。ストリングスやハーモニーのボーカルがやんだかと思うとまたアコーディオンが帰ってくる。そしてどこまでも続く線路みたいにまたストリングスがまっすぐな線を添えてさらっと途中下車。掛留音の響きを取り入れたアコギのコードワークが絶妙です。要点をおさえたベースと分散和音を兼任するアコギプレイがお達者。

父さんは盗みで吊るされたとか、母は自分が若いうちに亡くなってしまったとか、さらっと悲運を、しかしいつの時代のどこの世界にあってもおかしくない普遍的な身の上話をとつとつと語っていく。5バリエーションくらいある歌詞、最後に1コーラス目と同じ歌詞(New York Cityとある)をくりかえして結ぶ構成。2/4拍子の半端な?小節をお尻につけて、ほとんど7小節しかないまとまりで1番1番が構成されています。さらっと、放浪するように流れていく聴き味。

青沼詩郎

参考歌詞サイト Ballad of America>Wanderin’: About the Song

『Wandering』を収録したJames Taylorのアルバム『Gorilla』(1975)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】 さすらいの輪 『Wandering(トラディショナルソング、James Taylorの解釈を参考に)』ギター弾き語り』)