音楽ブログの立ち上げと弾き語り公開の毎日
2020年の7月半ばくらいから、ほぼ一日一曲ペースで弾き語りの一発録音を映像とともに収録している。カバーというにはまったく足りないが、他人の曲を選んで楽器を弾きながら歌っている(自作も同じチャンネルで公開している)。
私がこの活動を始めた2020年は新型コロナウィルスがあらゆる社会・個人にのしかかった。ライブやコンサート、(そんなかっこよく大仰な響きでなくとも)地域の愛好者が音楽発表の機会を得るお祭りやローカルイベントの類もいっさいがっさい消え失せた。
それまで弾き語りのレパートリーが私にはいくつかあったが、発表の機会なく持ち腐っていてはもったいない(“もったいない”価値があるかは別として)ので、なんとなくMacbookのカメラで一発収録して、更新頻度低く持ち腐っていた自分のチャンネル(自作の音楽や動画をたまーに更新していた)にアップロードするようになった。
それらの動画のアップを始めるより2か月ほど前、2020年の5月に私は音楽ブログを立ち上げ、毎日更新をしていた。ブログとは何をどう書いたら良いものか、右も左も分かりかねていた(今もそう)がそんな折、弾き語り一発録りをするために特定の楽曲と向き合うと、その体験がブログを書く材料になることをふと自覚した。
ブログ記事のためにわざわざ弾き語り動画を録るのは、なんだか逆のような気もする。仕事量がかえって増えているようでもあるが、順番はどっちでも良いだろう。無計画で不器用な私には、かえってそういう「やり方(手法)」「仕組み」、決まった手順のようなものがあるとやりやすかった。
私が演奏したことのあるレパートリーなどすぐに尽きるので、弾き語り動画の毎日公開を始めて1か月もしないうちに、曲目は随時仕入れ、音楽と出会いながら弾き語り動画やブログ記事の作成と公開を続けることになった。弾き語りの一発録り(カバー)動画の毎日公開も、当初はいつまで続けるか決めずにやっていたけれど、どうにかブログと両輪になって回り始めた。この時期の約一年間のことは、別の記事にも記してあるので参照いただければ幸いである。
ブログが音楽活動の一部になった
時が経ち、1年間ブログの毎日公開をしたところから、私のブログは投稿頻度の遅れを取りはじめた。2020年5月にブログを立ち上げてから1年間、なんらかの音楽記事の毎日投稿をなんとかやり遂げはしたが、だんだん「自分が思う程度の形式と分量を備えたい」欲が足枷になるとともに、1年間を走り抜けた燃え尽きが相まって、ある日ひとたび更新が遅れたほつれをきっかけに、月に数本の記事を投稿するペースにうつろっていった。
ブログが失速する傍ら2021年7月半ばに至り、弾き語り一発収録の毎日公開もまる一年を迎えた。一年間続いたごほうび(?)に、365曲を公開したあとに1日だけ意識して休みをもうけたが、こちらは休みの翌日からまた毎日投稿が続いている。
とにかく私なりの“カバーしたい歌”を仕入れては耳コピし、演奏し、収録したものを晒し続ける弾き語り一発録り動画公開の活動であり、テキストに図や写真や動画を交えて記事を作成するブログ運営よりも優先して私がやりたいのはやはり演奏・作曲・録音などの音楽そのものだ。その順位はあくまでブログ運営より上で、それはブログを立ち上げた当初から自覚していた。私はあくまで、自分の音楽活動の一環(一部)としてブログを始めたのであって、当然ブログが全てではないのである。
もちろん、ブログという出口があることが、音楽鑑賞(インプット)の手引きになってくれる部分は大きな恩恵である。読んでくれる人に伝える(ブログ記事として)前提がないと、ときに私はぼんやりと音楽を聴いてしまいがちなのだ(もちろん、ブログ外においてはその聴き方も励行する)。ブログ運営というライフワークの性質は演奏や作詞作曲の活動とはいくぶん異なる部分もあるが、俯瞰するにブログは私にとって広義の音楽活動の一部であり、音楽の道を行くための手法・媒体として私の不可分な存在になっている。
余談だが、音楽ブログと弾き語りの一発録り公開をやる初年度の途中で私は自分の音楽ブログサイトに『カバーしたい歌』の称号を与えた。カバーしたくなる歌を題材にしたいし、私自身の作詞作曲も、カバーされるようなものに大成すれば幸いとの願いがある。
自己都合と惰性 “カバーできる歌”
自作に活きる職能、語彙蒐集
繰り返しになるが、先項に紹介した歩みの私の音楽ブログは不定期(月に数本)更新中で、弾き語り動画の一発録りは毎日公開で続いている(2023年5月時点)。
毎日の弾き語り動画の題材選びは惰性を含みうるが、とにかく「毎日続くこと」を最も重視している。自転車のようなもので、一定速度以上で車輪が回転していれば、そのままのスピードでいるのは比較的楽なのである。続きさえすれば、命を一日でも先延ばしすればそれで良しとする。ハードルが低いのか高いのかよく分からない。目的地はともかく、漕ぎ続けている。
この活動のもたらす効能は、先に述べたように、毎日ある程度のスピードに乗っている(演奏、実演の収録を足しげく継続している)状態かつ、作家が作詞・作曲に用いる音楽の基礎要素:メロディ、コード、リズム、言葉などのモチーフあるいはそれらのゴールデン・ドリップに日常的に触れ、堪能している状態なので、オリジナルの弾き語り曲をサッと作ってサッと録れるようになることである。道具箱から適切な道具や材料をまっしぐらに出して、鍛えた筋力でパパっとトンカチをふるって熟す感じである。これこそが音楽ブログや弾き語り一発録り毎日公開を続ける私にとっての最たる報酬だ。「自作に活きる」のである。
ニーズがないかもしれないが、音楽ブログの運営と弾き語り一発録り毎日公開の傍ら(同時進行、並行)、“カバーしたい歌”から刺激を受けつつ生み出した私の自作がある。近々記事を改めてそれらを紹介するのでご一読いただければ感無量である。
60’s~70’sの蜜味
弾き語り一発録り毎日公開の話に戻す。無名の私に言われたくなかろうが、それほど有名でなさそうな楽曲であっても、やれそうだと思った曲は耳コピ(摂取)し、私に表現可能な形で演奏し動画にする。とにかく毎日続くことを優先するがうち、“カバーしたい歌”と私の音楽ブログのネーミングに理想を掲げたものの、自分の弾き語りの技量や得意スタイルに寄せたマイナーな選曲が過ぎて、いつしか“カバーできる歌”みたくなっている皮肉な向きもある。
アルバムの中の一曲だろうと、現代聴き続けている人が少なそうな昔のもの:異時代の曲であろうと、とにかく毎日演奏・公開の千種にする。行き着いたのは1960年代~70年代。特に日本の歌謡、アイドル、GS(グループ・サウンズ)、フォークの類は私の甘い蜜である。和音進行、ビート、歌詞のテーマ、スタイルや意匠のわかりやすいものが多いのだ。職業作家の秀作は歌い手を選ばないものが多くボーカル面での事故を起こしにくいし、ギターを弾きながら歌うスタイルのバンド(GS)や自作自演のシンガーソングライターがたいへん活躍した時代なのも一理あるだろう。筒美京平・橋本淳による作詞作曲や、ザ・スパイダース、吉田拓郎などを筆頭に私のフェイバリットが多々ある。
そのあたりの時代やジャンルの曲はどれも弾き語りコピーが簡単だと唱えるのは早まりだし、高い専門性や感性・技術の結集で生み出された作品やそれらの作家・実演家に失礼かもしれない。私自身、作品の難易度を甘く見てはしっぺ返しを受ける思いをすることも頻繁にある。60’s~70’sも多様で表現豊かだ。あくまで「弾き語りしやすい傾向がある」程度にとどめた認識が適当か。私の観察も演奏も、まだまだ拙い。
ルーティンと嗜好と自覚の醸成
ときにその場の直感でその日(せいぜい次の日)に演奏する曲をサブスク等で聴きながら決めて(あらかじめプレイリストを作って、日常的に気になる曲を追加しておく)、ベースラインやハーモニーと歌詞を中心に聴き取ってノートに書き写し、リズムのキメやフィルイン、メロディの節回しなど注意を要する細部の描き込みを赤鉛筆を併用してノート(カンペ)に加える。それをお供に、その場で弾き語りの一発演奏の収録(ミスしたらやり直し)、省編集でアップロード・YouTube概要欄のライティング(ひな型のコピペ)。一回(一日)分のこの作業に捻出できるのはせいぜい1~2時間(たまに休日にしこたま時間をかけてやってしまいもする)。毎朝、起きてすぐにこれをやる。ド平日だろうと祝日だろうと、金太郎飴の図柄のように同じ行動を繰り返す。
触れ続けている60’s~70’sは自分の好きなものであり、自分の肌に合うものである。触れているから結果的にそうなるのか、自分がそれらを好きになる潜在的個性を有するから結果として引き寄せるのかは分からない。私は私の弾き語りを許してくれそうな音楽を好きだし、今は違っても、未来はそのなかに加わるものもあるだろう。もちろん、日常で60’s~70’s以外も努めて(習性的に)雑食に貪欲に聴く。
私が心底音楽好きの音楽家になったのは、2020年5月にブログを立ち上げて同年7月に弾き語り毎日公開を始めてからという自覚がある。私がbandshijin(バンドシジン)というソロ音楽ユニットを名乗りはじめたのは2011年頃だけど、自分がどうやら(生意気にも)音楽家になったなと思えるのはせいぜい2020年からなのである。キャリア4年目の意識(2023年時点)、そこそこ若手である。だからなんだというわけでもないが、ブログを持つ・動画共有サイトを通して発信を続けることは、飯の種になるかは別として特殊な自覚を醸成する効果があると学んだ。
反響がいただける奇跡
こうして述べたように、自分の創作のための筋トレ・石拾い的なものとして、とにかく続けることを重視した私の「自己都合一辺倒」の弾き語り一発収録・公開の活動であるにも関わらず、時折このチャンネルに相づちや感想どころか、意見や要望を寄せてくれる人まで現れる向きがある。
この長ったらしい文を書き始めた動機(きっかけ)はほかでもない、最近いただいた(執筆時)、私の弾き語り一発録りとしては閲覧数が多い『オー・シャンゼリゼ』動画に寄せられたコメントが印象的だった点にある。
そのコメントは、私がアップロードする弾き語りの選曲をマイナーなものが占める様相を指摘し、頻度(動画の投稿数)を絞って閲覧が望めそうな選曲をする提案、そうした意見や提案があくまで私の大成を願い応援する趣旨から来るものであるのが添えられた的確なものだった。視界がスパンと拓けた気がするほどごもっともで、頷くばかりである。そのコメントが身に沁みて、誠心誠意正直に返信させていただいたが、返信の外に余る想いが長文となって顕現したのが今あなたが目にするこの記事だ。
そう、最近の私は自己都合に走り切っている。人生のあらゆる局面において自己都合が最たる指針になるのは言うまでもないが、自分が黙過しているその様相を、他者に言語化して的確に示してもらえる機会は大変貴重なものだ。有名人ならまだしも、無名の私である。人類の圧倒的大多数は、私(青沼詩郎)の現状や、これからどう変化するかに関心を抱かない。この長文を読んでくれているあなたの存在も奇跡的にありがたいものだ。
自分の中の意思や動機の重なりを中心に、とにかく持続可能性を第一優先に面白いと思った:できると思った曲をまっしぐらに取り上げて来たが、先に述べたコメントをきっかけに、ふと外に目をやるきっかけを得た。世のなかの人の目は、いったいどんな歌に向けられているのだろう(今頃か)。大衆の心が興味を示す歌・楽曲って、どんなものなのだろう。
世ではどんな歌が検索される・リーチしているのか
私(青沼詩郎)個人じゃなくて、世の多くの人が関心を抱く歌はなんなのか。目をつけたのは、歌詞サイトの『歌ネット』である。私もよく、耳コピした歌詞の確認に利用する。レコード会社から歌詞の提供を受けているそうなので、信頼性の高いサイトと私は認知している。音楽のサブスクサービスに表示される歌詞の細部が微妙に間違っていて、『歌ネット』サイトのものが合っていることもしばしばある。私を含めた大衆の関心とニーズに寄り添うこの優良サイトで、歴代の歌詞検索数上位200曲程度をざざっと見てみた。
リストのなかで目についた曲たちの脳内再生を試みたり実際に聴き返したりしてみると、ふわりとした概観が私に舞い降りた。あくまで私の刹那の主観でしかないが、それら上位にちらつく曲たちは、必ずしもどれもが音楽的に多様という印象ではなく、どこかヒットソング然としていて、安定したリズムのもと、歌手の歌唱の魅力が良く出ていて、共感しやすいテーマを理解しやすい言葉で表現しているものを多く見出せる。そうした曲目のなかに、いくらか毒や不溶性の食物繊維のような異端さ、全年齢感、もしくはそうした要素を部分的に含む楽曲がまざるような印象だ。その意味ではもちろん多様と云っていいのだが。
歌詞検索上位の曲たちが「必ずしもどれもが音楽的に多様とはいえない」と迂闊に述べたことについて、自分でアラを突いておこう。
一.私の「目につくもの」がそもそも偏っている
二.「歌詞検索サイト」という性質上、歌いたい気持ちや歌詞を知りたいニーズの対象になりやすい曲が検索される
順番に触れていこう。
一.私の「目につくもの」がそもそも偏っている
「歌詞検索上位の曲ってどんなだろう」と思いつつもおそろしいかな、私もニンゲンらしい癖というか習性の持ち主で、瞬間的に情報の取捨選択をしているようだ。タイトルやアーティスト名に興味の手毬が弾まないものがあって、それらを灰色とみなしてついつい通過してしまうのである。それらには、そもそもそのアーティストや曲名の私における認知が皆無で、かつその曲名やアーティスト名の文字情報が私の関心を惹かない場合と、その楽曲やアーティストに関して「私好みでない」と知覚を築く程度の一瞬~ある程度の量の認知があるために通り過ぎようとする場合が考えうる。
それらすべてを抜け目なく吟味すれば、「歌詞検索歴代上位が必ずしも音楽的に多様なものばかりではない」は否定されるべきかもしれない(私が「扱いやすそうな曲」を無意識に選ってしまっている、と)。
二.「歌詞検索サイト」という性質上、歌いたい気持ちや歌詞を知りたいニーズの対象になりやすい曲が検索される
歌詞が気になる楽曲、自分も歌いたいと思われる楽曲名が大衆によって検索され、Googleなどの検索エンジンの導いた結果の上位に該当の楽曲の『歌ネット』サイトの歌詞ページが表示される(もちろんほかにも歌詞サイトは複数ある)ことになる。少数派かもしれないが、歌ネットサイト内の検索窓で直接楽曲名を検索するケースもあるだろう。歌ネットの歌詞ページでは同時にアーティスト名・作詞者・作曲者・編曲者、さらには収録盤や発売年月日やタイアップなどもわかるので、それらの概要のいずれかを知りたいというだけで、必ずしも歌詞の全容を求める人のみが歌ネットの歌詞ページを開いているとは限定しかねる点も留意しておきたい。
私自身がくだんの弾き語り一発録りの活動で「耳コピ」を前提にしているため、歌詞の確認を目的によく利用する『歌ネット』サイトが真っ先に思い浮かんだのだが、ひょっとすると世の弾き語りを愛好する人の多数派は、歌詞もコードも表示され移調にも対応するサイト:U-FRETなどを好んで見るのかもしれない。仮説でしかないが、私の偏り具合が『歌ネット』を選り好む一因になっている可能性を自覚する。
孤高・独創と大衆・普遍のバランス
ところで、「歌いたい」や「歌詞を知りたい」という需要を生じにくいにもかかわらず、世の中の人の関心をひく歌(ボーカル・ミュージック)とはどんなものだろう。
演奏やサウンドがとても特殊なもの。作品の有する思想・感情・言語のコンテクストが複雑。曲の独創性、演奏に要する技量がすこぶる高く、そのアーティスト自身の演奏・パフォーマンスによるしかないもの。該当するものとしては、日本人にとっては洋楽が想像しやすいだろうか。ちなみに歌ネットの歌詞検索が扱うのは日本の作品のみのようで、洋楽は見当たらない。
楽曲再現のハードルの高さ、アーティスト自身の固有性・独占性の高さを評価される歌(楽曲)も当然、世には多い。「やって楽しむ」のでなく、鑑賞して楽しむのを中心とする「ご本家のオリジナル音源・高いパフォーマンスや独創性」を欲される楽曲は、いくら“歌”(ボーカル・ミュージック)であっても、必ずしも歌詞の全容や細部を求められがちだったり、「自分も歌いたい」という欲求を起こされるものではないだろう。むしろ、こうしたハードルの高い音楽を追求して日々研鑽し、新しいものを生み出すのが“アーティスト”の世界かもしれない。そうした類まれな楽曲たちは、どんなにその質に秀でていても、必ずしも『歌ネット』サイトの歴代閲覧数に反映されるものではないはずだ。
“カバーしたい歌”をブログ名に掲げる私ではあるが、そういった先鋭・独創の音楽と出会っては痺れる日々である。大衆の好みとの合致はシビアな問題かつアーティストの命題であり、本人の望みの内外に常につきまとうだろう。この問題と向き合う程度や奥行き、日々の努力の質量は、その表現者の作品に映り込むはずだ。
このことはさておき単に私がファンでいる話だが、独創性と大衆性の絶妙なバランスにおいて長い年月に及んで私の心をつかみ続けるバンドはくるりである。私の拙いブログでその作品を紹介した記事も多い。私が最たる敬愛を寄せる、確かな足跡を残しながら歩み続ける音楽生産機関だ。
Official髭男dism『Pretender』
「どんな歌が検索される・リーチしているのか」を見出しに掲げておきながら議題を見失いかけた。実際の歌ネットの歌詞検索歴代ランキングページは、改めてその目でそのサイトを見ていただきたい。
私がランキングの中で特に気になった名前はOfficial髭男dismである。これを読んでくれているあなたは「今さら」と思うだろうか。私の偏り具合を露呈する。
さすがの私とてOfficial髭男dismはかつてから認知している。彼らの『Pretender』にふれつつ、自分のブログで過去に杜撰な記事を書いていたのを思い出した。SNS・Web記事、テレビやラジオほかあらゆるメディアを通して知覚に触れるOfficial髭男dismの楽曲を私はしばしば聴くことがある。初めて聴いたときは「へぇ」という実感(アホの私)で、それからたまに何かと参照し聴くたびに徐々に好感が増している。アニメ『SPY×FAMILY』シリーズを見たので1分半バージョンの『ミックスナッツ』を度々聴きもした。たぶん今の私がこれまでの人生で一番Official髭男dismを好きで、これから先はもっと好きになるかもしれない。
先の『歌ネット』のくだりまでに述べたような経緯があって、「メジャーっぽい楽曲」がふと気になり出した私は、今一度すばらしいなと『Pretender』に注目する。
起伏に富みリズムのリフや歌詞の押韻の効いたボーカルメロディ。ベースとの関係、並行して刻刻と変化する和声(ハーモニー)センス。耳をつかむイントロのギターアルペジオリフは地球上の愛好者に何万回コピられただろう。各パートの明瞭なバンドのサウンド。ピアノのダウンビートがこんこんとエモーショナルを煽る。バンドのベーシックに乗ってハーモニー・響き・サウンドを先導するボーカルの歌唱力、張りと細やかな息の抜き方のメリハリ。ひょいっと身軽に広い音域・声色のニュアンスの幅を行き来する。シンセ系のサウンドがシュワシュワと発泡し表層を華やかに盛り立て、多様なトーンでグリグリと表現の空間をひろげる。大衆に好まれるあらゆるツボを押し尽くしているのではないか。押せるツボがまだあったら教えてほしい。サビを厚くする機械っぽくケロった下ハモも気になる個性。ユニークなのに違和感を忘れさせる不思議なサウンドである。メインボーカルを食わない引き立て役としてベストなのかもしれない。
イントロのギターをエンディングで再現するのはピアノだ。既出モチーフの再現や他パートへのエクスポートは古今東西の楽曲が踏襲する音楽設計の基礎である。私の中の音楽オタクが満面の笑みを浮かべる。
アルバム『Traveler』の弛緩『Rowan』
このように浅かじりの私なので、『Pretender』を収録したOfficial髭男dismのオリジナルアルバムを通して聴いたことがなかった。アルバム『Traveler』(2019)。これまた今さらかもしれないが、トピックのズレた私の精神的僻地住まいをご容赦いただきたい。
アルバムを再生しつつふと私の心の目が開いた曲がM-4『Rowan』。レコードやテープの回転が立ち上がるようなオールディーズをサンプルしたようなローファイな質感のイントロ、次いでフェイズ(位相のゆらぎ)がかったようなシュワシュワしたドラムスが耳に新鮮な風を吹かす。耳をひくソウルっぽい女声(?)。脱力感あるファルセット様のバックグラウンドボーカル。儚さと趣味の高さが融合したような。
高めのポジションからサラッと軽いタッチで歌いだすボーカルがエモい。ボーカル藤原さんの声域は重心が高く、ほとんど女性の声域そのままに思えるほどだ。Official髭男dismを“聴く専”でなく自分も歌うなどして愛好する人の中には、「そのまま歌える」扱いやすさを快適に感じる女性ボーカリストもある程度いるのかもしれない。私が歌うなら移調しないとまず無理な音域で藤原さんは楽曲の多くの時間を過ごす。
幅のある大衆の嗜好を面でカバーするような巨大な質量感と輝きで圧倒する楽曲が並ぶ連なりのなかで、『Rowan』の質感はハイコンテクストで趣味深いものに思える。脱力感、緩みが絶妙で、ひとりでは尻込みしてしまうディープな世界へ帯同する気さくで博識な先輩のような存在感だ。『Rowan』に至るまでの楽曲はハリツヤがあってまぶしく、テンションやエネルギーが高めに思える。「地下でシッポリする」とか、「熱気の高いスポットを抜け出す」みたいな趣を『Rowan』は持っている。
バンドの主たるソングライターはボーカリストの藤原さんと理解していたが『Rowan』はギタリスト小笹大輔さんの作だと知る。今回この記事で私は認知度の高そうなもの、メジャーっぽいもの、中心の潮流っぽいものを求めてOfficial髭男dismに目を向けた動機があったわけだが、ここでも私の心をふわっと惹くものは、そうした「中心の圧迫感」を解脱する趣をどこかに秘めたものだと気づき、自分のどうしようもない「変わらなさ」が可笑しくなってしまった。これはもう「良い・悪い」を超越した好みの問題なのかもしれない。「自分が寄っていく」「引き寄せる」どちらもあるのか。磁石のSとNみたいなもので、モノゴトはゆるやかに引き合うのか。然るべき手元に御鉢は回る。
私が単に『Rowan』に快い脱力を感じたというだけの話で、この楽曲や作家の小笹大輔さんが太い潮流を外れるポジショニングだと云いたいのでは決してないので念のため誤解なきよう。加えて『Rowan』のどこにどれだけOfficial髭男dismメンバーそれぞれの意匠が反映されているのか特定しかねるうえ、『Rowan』は編曲にThe Anticipation Illicit Tsuboiが名を連ねる(端的にIllicit Tsuboiを紹介するCD Journalのページがある)。Illicit Tsuboiの豊かな音楽の道具箱の中身が『Rowan』のアイデンティティに色濃く影響しているのを想像する。
ズワッゾワッと膨れ上がるようなドラムスはコンプづかいなのか、ミックス上のコンテクストも高そうな豊かな音遣いである。タンバリンのわずかな訛り、軽めに重ねたクラップなどフィジカルを想起させる音の脱力が洒落ている。儚げにエレピが漂う。記憶の倉庫を整理してモノを減らしていったら見えてくるみたいなエレキギターのエンディングで、ささやかに作家のはんこが押される。この記事を書き出したときよりもまたひとつ、ヒゲダンを好きな要素が増えた。
脱力してフワっとこの記事もおわろうと話を『歌ネット』サイトに戻す余談。「歴代人気曲ランキング」の中でも「並び順」を「発売日順」にソートするとまた様相がガラリと変わり鮮度が上がる印象を覚える。ここにもOfficial髭男dismの名前がみえる。また眠れなくなりそうなサウンドがこちらを覆ってくる。
私に欠ける時事の“生感”、フットワーク。起きたばかりの物事に反応するのを意識的に抑えしばし眺めるのが私の癖なのだけど、いま目の前の潮流に身を任せて流れるのも至極気持ち良いのかもしれない。筋肉が多いと水によく沈むらしい。水に浮きたいのなら筋トレもまぁ、ほどほどに。
青沼詩郎
『Pretender』『Rowan』ほかを収録したOfficial髭男dismのアルバム『Traveler』(2019)