中島みゆきのシングル、アルバム『LOVE OR NOTHING』(1994)に収録。作詞・作曲:中島みゆき。
最近、吉田拓郎の『流星』に心をもっていかれた話をブログに書きましたが、中島みゆきの歌もまた感情を揺さぶる“たち”を存分にそなえたもので、傑作が多く思い浮かびます。テレビドラマ『家なき子』(1994)の主題歌だった『空と君のあいだに』は実際に放送されていた当時を私自身おぼろげにではありますが記憶していますので、中島みゆきを思ったときに早い段階で思い出す1曲です。
今日の私の心を特に持って行く部分は“ここにいるよ 愛はまだ ここにいるよ いつまでも”(作詞:中島みゆき)の部分ですね。2番ではリズムの「食い」を早め、“いつまでも”の部分が“うつむかないで”に変わります。
言葉としては非常に平易でシンプルなことを述べる部分ですが、それ故なのかなんなのか、私の心をうち震えさせます。『空と君のあいだに』の主人公は、なんの根拠があって、その愛について、そんな抽象的なことを語れるのでしょう。
抽象的なことを語るには、ある意味、莫大に膨れ上がる未来の可能性について、多岐に渡って生じうるさまざまな事態すべてを抱擁する覚悟がいるからこそ、私はこのフレーズに感動するのではないかと思います。どんなディティールを有する人生を送っている者であっても、やさしく抱きこむ器の広さを思います。
主人公が“ここにいるよ 愛はまだ ここにいるよ いつまでも”(作詞:中島みゆき)と言っているともとれますが、ここはもっと引いた神目線のストーリー・テラーが客観的事実を語ったラインだととれなくもありません。そこはどちらもあるでしょうが、私としては、この広い寛容を要する言葉をかけてくれる個人がそこにいるような感情の臨場を覚えるラインです。中島みゆき本人か、それに限りなく近いようで全く別物としての主人公が、私(リスナー)に向かって焦点を明らかに愛のある言葉をかけてくれているかのようです。
“ここにいるよ 愛はまだ ここにいるよ いつまでも”(作詞:中島みゆき)の部分は音楽と切り離すことは賢明でないでしょう。ワン・コードに対して2小節ずつあてがうゆるやかな進行で、愛がまだここにいることを語るのでしょうか。コード:AからC#m、“ここにいるよ”をリフレインするタイミングでコードはF#mを用い、次いでD。“いつまでも”のところはC#sus4の掛留をボーカルメロディに合わせて解いたりまた引っ掛けたりします。響きに起伏をつくるアレンジメントが心を揺さぶります。A→C#mの進行はAを主調としてみた場合Ⅰ⇨Ⅲmの進行です。これを、ワンコードに2小節かけて進行させるスピード感にやさしさ・慈愛が映り込みます。直前までのメロまでは1小節のなかでコードやベースの動きがあるので、続くBメロと対比(ギャップ)をなし、ゆるやかになった時空のすきまに“ここにいるよ 愛はまだ ここにいるよ いつまでも”(作詞:中島みゆき)の意思が染み込むように効いてくるのです。
青沼詩郎
歌い出しの“君が涙のときには 僕はポプラの枝になる”(作詞:中島みゆき)も金言です。枝は葉っぱを宿します。葉っぱは「言葉」の象徴かもしれませんね。言葉は意思・意図を運ぶための道具です。それを宿す枝の抱擁力と機知の幅を想像させるすばらしいラインです。
中島みゆきのアルバム『LOVE OR NOTHING』(1994)。『空と君のあいだに』アルバムバージョンを収録。
中島みゆきのベストアルバム『ここにいるよ』(2020)。『空と君のあいだに』シングルバージョンを収録。
中島みゆきのシングル『空と君のあいだに』(1994)。『ファイト!』も収録。