いや〜ホント素晴らしい。曲の大半は、4人くらいのメンバーのみでライブで再現しやすそうな編成で進行します。エンディングで音数が最大になります。こういう歌と演奏の線がはっきりとしていて、あたまのなかがくっきりしてみえるような音の構築は私の最も好む傾向ですし、最後にはこういうところにいたいよな、と思う理想です。編曲も斉藤和義さん名義ですし、シンプルで適確、ズンと抜けた骨太なサウンドのドラムスやベースを聴くにこの楽曲『月影』も斉藤和義さんのひとり多重録音がベーシックでしょうかね。
右のアコースティックギターが先に録音したものでしょうか、主導権を握ってハキハキとリズムを刻み、左のアコースティックギターが右のギターの顔をほどよく立てながらフォローするような脱力感、やわらかさを感じます。
楽曲の大部分をエレキギターを用いずに左右のギターがしゃくしゃくと音場を成します。エレキギターがやっと出てくるのはエンディングですね。間奏の折り返しに登場するソロギターもアコギです。ちょっとアンニュイで色気のあるツヤをまとった、お化粧したような非常に存在感あるアコギのソロトーンです。
パート数を絞ったバックグラウンドボーカルのオブリガード、歌詞ハモがシンプルな編成にはなやかさと爽やかさをそえます。2パート程度かな?と感じますが、こちらもエンディングで倍、4パートくらいいるような感じになります。メインボーカルも、楽曲本体のなかの歌詞をリフレインした、「フェイク」というにはしっかりと定形のある歌詞フレーズを唱えるなかで、バックグラウンドボーカル、エレキギター、アタックの柔らかいオルガンのようなサウンドにつつまれます。
斉藤和義さんのギスっとしたロックな音づかいと、『月影』にみるような、四和音やベースの動きを豊かに用いる和音進行に象徴されるシンプルななかに豊かさをもたらす細部のしかけ・工夫は本当に私の心をつかみます。そうした楽曲のホロリとさせるエモーショナルな響きの骨格にのって、斉藤和義さんの最高に器用なんだか不器用なんだかわからない天性、どこからそんな言葉がふって出るのかという歌唱が、もしもの世界のリアルなストーリーを訥々と語るのです。
歌詞の描くもの ツキのツラ
“十年前にもしもちょっと行けるのなら 何をしようかな あの懐かしい 街にでかけ 月の影をめざして”
“気がつけば ほら、あの時の匂いがする 見覚えのある 石を蹴飛ばして夢見てる少年”
“晴れた夜には誰の後ろにも 月はついてくる 変わったもの 変わらないもの すべては胸の中に”
(『月影』より、作詞:斉藤和義)
月はなんの象徴なのでしょうね。幸運、「ツキ」のことをいっているような響きもあります。また、明るい月、満月のときには、じぶんのうしろに影をつくるほどに明るい光を放つときもありそうです。
月の裏側はみえず、いつも地球に同じほうの顔をみせる月ですが、こちらからみて「影」になっている側はどんな顔をしているのでしょうか。
自分のみたことのある面をもっている。その認知で私は「月」を認知していますが、自分の知らないところで時間がたつうちに変わったところがあるかもしれない。あの時の自分には知りえなかった面です。それは、あのときもそのカオをしていたけれど自分が至らないためにそこを見に行くことができなかった面かもしれませんし、あのときの自分が確かに観察した面が、時間の経過を経て変わってしまった面かもしれません。
懐かしさを想起させる直接的な言葉が実直で、“十年前にもしも……”といった仮定の表現もシンプルでコンパクト。斉藤和義さんの『やわらかな日』(参考歌詞サイト・歌ネットへのリンク)のようなディティールの妙と動きのある作詞と比べると、『月影』はこれでもかなり抽出の効いた表現かもしれません。どちらも私のとても好きな楽曲です。
青沼詩郎
参考Wikipedia>Because (斉藤和義のアルバム)
『月影』を収録した斉藤和義のアルバム『Because』(1997)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『月影(斉藤和義の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)