どうしましょう、これは……散らかりすぎて何から手をつけていいかわからないクライアントの部屋を任された家事代行サービス業者にでもなった気分です。
ジャンルがなんなのかもわからない。「ジャンルが何か」などというレッテルは、ものをつくって発表する人のなかには忌み嫌う人も存在しうるような、ある意味あとづけでうすっぺらい、あってないような紐づけでしかなく、私自身もそう考えているところがいくらかありますが、案外、普段自分の好みそうなジャンル一体に無防備に手を伸ばしてそれを聴いている自分があり、つまり似通ったフォーマットを持っている楽曲がある程度まとまった数存在しそれらを紐づけて扱うベクトルが存在しそれを甘んじて受け取る私がいるがゆえに、それら楽曲群における個々の「違い」の範囲がある程度の振れ幅のなかに収まってくれるからこそ自分の情報処理の視野をいたずらにチューニングせずに済む範囲でその楽曲の個性なり面白味なり偏り具合を安心して認知できているのだ、という自分の音楽の聴き方のクセやポジショニング、消費者として作品を受動的に浴びる姿勢に気づかせてくれます。
絢爛な弦楽ウン重奏が鳴り、かと思えば優美な独奏が残り、高らかに金管楽器が鳴りザ・ビートルズ・オマージュ(ビートルズ自身もさらにその先輩のオマージュをたくさんやっているお思います)でその文脈を立体投影したかと思えばぴーぷーと稚拙なニュアンスの鼻息みたいな笛(リコーダーでしょうか)がとどろき、すべてのリスナーの背中に青き日のランドセルの幻影を知覚させます。児童合唱を錯覚させる無垢な声の集合は知久寿焼さんのオーバーダブでしょうか。
石川浩司さんのパーカッションはキレッキレ。装飾音の精緻な分割が鮮やかなバチさばきの映像を脳内に立ち上げます(言うまでもなく、あのランニングシャツ姿で)。太く、器の大きな重心と確かな存在を感じさせるベースとのコンビネーションが、目を離した隙に空中分解しそうな雑多でちぐはぐな音楽のコラージュを手厚く、いえ、かろうじて分解しないこちらのひやひやをあざ笑うような気まぐれさで接着します。
そう、コラージュ、貼り絵のような指先づかい、ひとつひとつのモチーフをちぎって無垢な感性でフレーミングしフレームの中をかき混ぜて定着させるような……エントロピーと額縁の永世不決着試合を延々と見ている気分です。でも、“さるに なるよ さるに なるよ”と終わってしまうのですけれど……伸ばした笛の音のリリース間際の音程の情けなさと来たら、この長大な規模の宇宙戦争もどきすら決着させてみせる鎮火の絶対的レフリーで、その知識・経験の豊かさの代替たるあどけなさときたら新生児のみせる反射的な笑い声と勢力を二分するところでしょう。
雑多なものをスクラップする・アルバムにあつめるなどして、フレームのなかにならべてせっせと手を動かしている「僕」のような存在によって、きまぐれな言葉と音楽のたわむれ・純粋なつながりは統べられている。そこが唯一の私の知覚する救いかもしれません。唯一といいつつ、ただひとつありさえすればいいのです。
蛇足として、楽曲の外の話を草食動物のフンみたいに転がしておきます。“ピテカントロプス”は原人みたいなものでしょう。木星はガスでできているので、仮に「ついた」としても降り立つのは難しいでしょう。すごく重力があるみたいで、気圧と温度がとんでもなく高いといいます。地球の常識はことごとく通じなそう。
木星に着いて、人類がそこに長く居つき、文明が進んでいったら、いつの日か、あのときにはじめて降り立った人たちは、いまの私たちにとっての“ピテカントロプス”みたいな存在に相当するのかもしれません。なんて解釈を考えることも可能ですが、『さよなら人類』の振れ幅のまえで、何か限定した読み筋を唱えることは野暮かもしれません。いえ、もちろん野暮があるからこそ「粋」が立つといいますか……野暮にも効能あり、か。常に働きアリの3割はサボるそうですが、入れ替わり立ち代わり、誰かが担う運命なのかもしれません。そういうなかから、木星を開拓しちゃうような突出した先駆者も生まれるはずです。もちろん木星開発は喩えですけど……たまは、音楽の世界で木星を開発しちゃったみたいなところがありそうです。木星の重力とは反対に、沈めても沈めても浮かんでくる星かしら。
オリジナルヴァージョン。壮大な物語、セッションのはじまりをつげるわけありげなピアノのオープニングが全然ちがいますね。“さる~”“さる~”とふりそそぐ中間部のボーカルに酔いがまわりそうです。石川さんのかけ声や笛の音色はさらに朗々としています。楽曲のもつ本来のエントロピーを発揮した感じ。途中で一度息の根が止まったかと思いました。
青沼詩郎
『さよなら人類』を収録したアルバム『さんだる』(1990年)
シングルヴァージョンとオリジナルヴァージョンを収録した、たまのベストアルバム『まちあわせ』(1992年、再発盤:2009年)