作詞:佐伯健三・ムーンライダーズ、作曲:白井良明。編曲:ムーンライダーズ。ムーンライダーズのアルバム『青空百景』(1982)に収録。
なんだかThe Smithsを思い出す独特の空気感あるサウンドです。ベースのキャラクターが異彩を放って感じます。ライン直結の音中心でつくったらこんな感じの音になるでしょうか? 非常に明瞭な輪郭をしています。かなり動きがあって奔放で、雄弁なのですがおしゃべりというよりは純真な印象。このかろみのあって平面にはりつくようにデフォルメされた、漫画の描写タッチのようなベースのサウンドが重要に思えます。
ヴァイオリンとトランペットはメンバーの武川雅寛さんがひとりでダブっているのでしょうか。楽曲におけるサウンドの比重としては脇役的なものかもしれませんが、個性的なバンドの音を成す彩りで、意外性、フックの素地かもしれません。間奏はトランペットが活躍。でも、「どセンター」をかっさらっていくようなしゃしゃり出方でないのが、楽曲の「青空」のモチーフを尊重して思えます。歌詞のないところでリスナーがポカンと物思いにふけるのをほどよい距離で抱擁してくれるような印象です。
鈴木慶一さんのボーカルのダイナミクス、ことば尻のニュアンスなどの機微が儚いです。ヘンな曲やヘンな歌唱で、ユニークな表現に富んだバンドであるのが私の抱くムーンライダーズのイメージの一面であり、青空のマリーもまたヘンテコで個性的な楽曲であるのは確かなのですが、そんな鈴木さんの歌唱、バンドとしてのムーンライダーズなりにも、どこかリスナーの集合知の中心に語りかけています。
安直でへたな評論(未満)ですが、やはり「青空」、あるいは七曜といった、普遍的で一般・大衆的なモチーフを扱って恋を描き、シンプルなコードの進行を素地に実直にヴァース・コーラス的な波を編んだところ、ユニークかつ風通しがよく生っぽさと革新を抱き合わせたようなバンドや歌唱のサウンドがその所以でしょうか。
“Sunday 雨降りの朝に電話したら 誰もでないなんて どうかしてる また ひとりぼっちのぼくは さびしい
Blue 月曜の空はいやだ
Blue 火曜日の空は好き
Blue 水曜の空は好き
Blue 木曜の海は好き
Blue 金曜の夜は好き
Blue 土曜日の朝は好き
Blue 日曜の朝はいやだ”
(『青空のマリー』より、作詞:佐伯健三・ムーンライダーズ)
平日日中に働くのがおそらく社会人の多数であり、その集合の平均的なものが七曜に対する感覚を呈するでしょう。だいたい月〜金で働くので、月曜の朝なんて最悪です。土日休んで、また働く。「行きたくねぇな」です。
どうにかこうにか自分をちょろまかして週のあいだをやりすごし(いえ、誠心誠意からだと心を動かして働き……)金曜の夜にたどり着いたら最高。いえ、まぁ、なんとか最高、くらいでしょうか。土日の始まりを告げる朝もやっぱり最高(金曜の夜飲みすぎて気持ち悪い、とかでなけりゃね……)。
で、束の間の土曜の時計の針は非情に駆け回り、もう日曜の朝。あしたの朝にはもう出ていかなきゃならないのに、たかだかそれまでの猶予に何ができるっていうのか? 土曜日の朝に感じた、「夜をまわっちゃってもまだぜんぜん平気なんだぜ」的な余裕はなんだったのか。もう日曜なんて最悪だよ。
……というのが、個別のストーリーをいっさいミュートしてしまっても残りうる七曜感覚の一面ではないかと思います。
青空のマリーでは、楽曲の前半で、主人公と「きみ」の仲がふかまる様子を想像させるラインがつらなり、関係の進んでいくさまを鑑賞者の心に描きます。
これが、おや? っとたち消えてしまう。日曜の朝に、ふわっと、そこにあった椅子が消えてしまう。
まぼろしみたいで、夢心地の七曜の進行を総括したエンディングなのでしょう。月曜はことがこれからはじまるので、まだ最悪だ。でも火曜、水曜、木曜、金曜、まわって土曜……恋に高まり、揺らぐ気持ち。動きがあるので、いつも緊張感を保てます。刺激がある。変化がある、モチベーションのタネがあることによる充足です。
すっからかんの月曜にもどってしまうみたいなカットアウト。日曜の朝に置き去られて、どうやって明日の月曜の朝を迎えろっていうの? この24時間の空白を、リスナーに強烈にぶん投げて終わってしまう。こわいくらいです。「青空」は美しいけれど、非情な宇宙。
青沼詩郎
『青空のマリー』を収録したムーンライダーズのアルバム『青空百景』(1982)