ピアノガール 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。くるりのアルバム『図鑑』(2000)に収録。
ピアノとルームアンビエンス
私室で録ったよう。宅録なのか、スタジオで宅録っぽい雰囲気をあえて出したのかどうでしょう。ルームアンビエンスが好ましいです。宅録は部屋鳴りを克服するのが味噌。生活している部屋そのままが、好ましい音響をしてくれるとは限りません。多くの場合は、望ましくないヘンな反響音がついてしまうでしょう。では生活感まるだしの部屋の音響は必ずしも作品に良くないのか?といえばそうでもなく、ゴチャゴチャと物が多くて、服や本が部屋の中の空間を占めに占めているほうが、案外デッドな(余計な反響・残響の少ない)録音が得られるかもしれません。
『ピアノガール』の録音はルームアンビエンスが「ある」感じなので、モノがめちゃくちゃ多い(汚い)部屋で録ったデッドな方向ともやや違う感じでしょうか。タテ型ピアノ? ピンピンした音色でもないので、家庭向けのサイズのグランドかな?とも……ひょっとしたらルームアンビエンスの質感の正体は縦型ピアノに歌声がぶつかって反響した音かなとも想像します。自分の部屋で一人、パンツ一丁……あるいはすっ裸で録音ボタンを押して吹き込んだような「素の味わい」があります。
歌詞
歌詞に癖があるといいますか、ちょっと変わっています。「歌姫」が出てくる。主題のピアノガールのことでしょうか。「私をだまさないで」、といったかと思えば、フレーズの再現のところでは「私をだまして」といったり、リスナーの私まで振り回す姫か。
“彼は平然を装ってる 実は下着もつけてないのに たぶん彼なら 誰でも快く受け入れるでしょう”
(くるり『ピアノガール』より、作詞:岸田繁)
下着をつけていない……という歌詞。思わず振り向きたくなる引っ掛かりです。このあたりが「変わった歌詞」の印象を私にもたらすディティール。
「それ、なんのメリットある?」という変な行動、些細な「日常への投石」で波紋をもたらす手法は、特にアーティストのような目新しいものや刺激に敏感だったり貪欲だったりする人は積極的に試行する傾向があるかもしれません。「なんで下着つけないの?! 」「わざと不便や不快を味わおうと思ってね……」。単に下着を汚損してしまったが今この瞬間手持ちの替えがない、という現実的な問題かもしれません。
“人だって平気で刺すかも 頭も回れば体も回るし 何のやり方も全部知ってる お願い私をだまして”
(くるり『ピアノガール』より、作詞:岸田繁)
恋愛において、その思いや感情があまって「刺す」「刺さない」くらいに場がひりつくこともあるでしょう。そんなつもりないのに、一方が「刺されるかと思った」とか……。「刺すわけないじゃん!」「それくらい異常だったし、怖かったんだよ」「だからって、刺すわけないじゃん……」不毛な問答を重ねてしまう恋愛も色々でしょうか。
“彼は悪魔に血を売ったんだ 歌姫にそそのかされて こないだから戻らないんだ 胸が痛むんです”
(くるり『ピアノガール』より、作詞:岸田繁)
悪魔は、個人の人格の端っこのボス。こいつがイニシアティヴを握ると言動や行動が極端になります。誰しもがそいつを心の端っこに棲まわせている。たぶん、いつも悪さをするばかりじゃないのです。悪魔がいるからこそ対極の正義が成立します。観察している人格……胸を痛めているのは誰でしょう。心のなかの「もうひとつの端っこ」の人でしょうか。そそのかされて戻らない人とは別? おのれの分身でしょうか。
私室の青い薫り
ピアノのベースの下行にあわせ和声が変化していくバラード。4分打ちのリズムで、ちょっとほろ苦さやテンションある響きをところどころに含める。いきなり歌い出すオープニングに、ピアノのエンディングをつけて構成とサイズ感のバランスをとる弾き語り。ピアノと歌声のダイナミクスの機微が良いですね。バンドで語りきるのか、ひとりで弾き語りきるのか……アルバム『図鑑』の収録曲として起伏をつける役割を担いますが、ぽつんと、若者の私室にパックされた孤独な離島感、浮世感ある青い薫りのピース。
最後の情け
……と、この記事を結んでしまおうと思ったのですが、歌の解釈で後ろ髪を引くものを感じるので、もう一度味わってみます。
「歌姫」と「彼」と、あと一人、この歌の主観の持ち主「私」がいて……女性としておきましょう。この三人が三角関係のドラマとして読むのも一興です。「彼」が下着もつけずに平然を装う状況は……ほかの誰かさんと(「歌姫」と?)情事しやがって、さっきまで裸でいたところに急に「私」が来たものだから、急いで下着を省略して服を着たから、かもしれません。場面の詳細や、つけられることのなかった原因となる下着の状態はほかにもいろいろ可能性が考えられます。
“人だって平気でだますし 笑顔だって涙だってあふれるさ 何のやり方も全部知ってる お願い私をだまさないで”
(くるり『ピアノガール』より、作詞:岸田繁)
コーラスのラインも、基本、「私」が「私」について言っているのでしょうか。したたかだし、笑うし、泣く。知識や手法、算段もわきまえてる。私はそういう人間だと自覚している。そんな私の関心事は、あなた(彼)なのです。あなた(彼)よ、どうか私をだまさないで。
2コーラス目の歌詞も、基本は「私」が「私」について述べていて、あなたにお願いを請うていると設定すると見えてくる筋があります。私は刺してしまうような極端な行動だってとれるし、頭も体も出来が良くて、手技も手法も十分に備えている。そんな私が想いを寄せているのはあなた(彼)。どうか、あなた(彼)が「歌姫」にそそのかされて、こないだから戻らないなんて……悪魔に血を売ったなんて嘘だと言って。私をだまして、なかったことにしてよ!
誰が何について述べているのか。各ラインが誰から誰に放たれた言葉なのか。各行の文章的なつながり、因果があいまいにされたところが、「私」に残った唯一の優しさ、かけることのできる最後の「情け」なのかと思うと、せつなさにグッときます。
青沼詩郎
『ピアノガール』を収録したくるりのアルバム『図鑑』(2000)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ピアノガール(くるりの曲)ピアノ弾き語り』)