リスニング・メモ
イントロのエレキギターのなんと美しいことか。草野マサムネさんの超人的なボーカルの透明感もさることながら、『ロビンソン』を心に思ったときに真っ先に思い出される手がかりがこのアルペジオフレーズでしょう。
高めのフレットで、おおむね3本ほどの弦がこんこんと降り注ぐように織り重なります。同時に鳴っている弦が長2度でぶつかってうねるようなところがあったり、ベースとの関係で瞬間的に9度になっていたりといったところが、このアルペジオフレーズがえもいわれぬ複雑で心を惹く響きを呈している理由でしょう。緊張感があって目が離せない。胸キュンなのです。
アルペジオギターが引きつける私の注意が恒常的になるやいなや、伸びが強く存在感があるクリーンなトーンのギターが慎ましやかに合いの手を入れます。
ベースが16の微妙な分割でグルーヴを与え、ドラムスは端正に8をキックとスネアで出していきます。鑑とあがめたい気持ちの良いベーシックです。Bメロで根音の周辺へ果敢に動き出すベース。フィルインで定位を左右に広げるテンション感あるハイトーンのチャーミングなタムはスピッツサウンドの「はんこ」のひとつでしょう。キックの音がデチデチとアタックし、スネアがスコンと抜けて爽快です。
16分割のオルタネイトのピッキングでアコギがビートを躍動させます。同じアレンジを2回演奏し、左右にめいっぱい振った感じのアコギ。シャクシャクとクリスピーなサウンドがまた心地よいです。
エレキギターの構築が彩り豊か。Aメロではブリッジミュートでポンポンと和声音をふくよかに刻む。やや緩慢な動きでコーラスの効いたクランチトーンのアルペジオも絡みます。サビではイントロのパターンを応用したアルペジオトーンがボーカルの背景で同時進行。歌詞の折り返しのすきまでは、『空も飛べるはず』で聴き覚えのある感じの12弦ギターのトーンが下行音形をコラージュ。
Bメロでボーカルが字ハモ。サビでも字ハモしつつ、字ハモを外れて母音を伸ばすなど変化のあるアレンジです。基本字ハモは下ハモなのですが、先述のように字ハモを外れる長音でメインボーカルの上に残り、さらに上に天井を広げていくような動きでエンディングのサビのリフレインにつなげたりととにかく巧い。
サビでは複数のボーカルパートやアルペジオギターによってハーモニー感がばっちりですが、基音に空虚な倍音が加わった感じのシンセのポルタメントするトーンがさりげなくサビのほろ苦い奥行きを演出しています。オルガンのロータリースピーカーのようなちょっと揺らぎ感のあるトーンのシンセでしょうか。「ウィーン」と機械的なサスティンが、スピッツの骨格のしっかりした風通しの良いシンプルなサウンドと絶好の相性をみせています。
歌詞の細部をみる
“新しい季節は なぜかせつない日々で 河原の道を自転車で 走る君を追いかけた 思い出のレコードと 大げさなエピソードを 疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに 同じセリフ 同じ時 思わず口にするような ありふれたこの魔法で つくり上げたよ 誰も触れない 二人だけの国 君の手を離さぬように 大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る”(スピッツ『ロビンソン』より、作詞:草野正宗)
わかる(共感できる)ようでいて、とてつもない跳躍力を発揮し、飛躍を備えた歌詞の凄み。バンドの音がこれだけカッコ良いのだから、せめて歌詞くらいは多少いなたくいてくれよという気もするのですが、どう育ったらこの奇跡の詩人になれるものか。取り出して見入るほどに、さらに吸い込まれてしまいます。
“新しい季節”と聞くと春をポンと思い出してしまう。4月を年度の隔たりにする社会を前提に生きている自分を思います。人や環境が動き、胸がそわそわする。“なぜかせつない日々で”が共感を誘う理由です。
“思い出のレコード”が口をついて出たら、“大げさなエピソード”が押韻の導きを受けるのはわかる気がしますが、その“大げさなエピソード”が上手い。ヒトは自分の心にあるもの(“思い出のレコード”)を根拠に、事実を自分の思うようにねじまげ、真実をでっちあげるからです。その歪みに自分自身が振り回され、ときに疲れてしまい、でも顔をしかめて作り笑いをして見栄を張る。鑑賞する人の心の多面性を引き出す歌詞に驚愕します。
1Bメロから1サビの“二人だけの国”に向かって文章が係っていくところが、音楽上の構造の境目にまたがって読み味にレイヤーの重なりをもたらします。“同じセリフ 同じ時 思わず口にするような ありふれたこの魔法で つくり上げたよ 誰も触われない 二人だけの国”(スピッツ『ロビンソン』より、作詞:草野正宗)までが、ひと続きになっているのです(あるいはそれ以上)。
“大きな力で 空に浮かべたら”は『空も飛べるはず』のパラレルストーリーなのかなという気もします。スピッツという長大な奇譚集のところどころがリンクしていたり、おなじみの顔が見切れたりする楽しみかもしれません。
宇宙に風は吹くのかというツッコミはこの名曲の歌詞の細部に注目した私を含めた億万の屁理屈屋さんが指摘したことかもしれません。風は何かの情報がどこかに届く観念…と思いますと例えば光も情報ですし「風」の亜種のような観念かもしれません(暴論すぎ?)。宇宙にでもどこにでも、何かを伝うものや運ぶものはあって、風は吹くのでしょう。宇宙も厳密な真空でなく、また太陽風なるものもあるそうです(参考リンク:宇宙地球環境研究所,名古屋大学>一般・中高生向けページ>「50のなぜ?」を見てみよう>宇宙天気50のなぜ>5.太陽から風が吹いているのはなぜ?)。
“誰も触われない 二人だけの国 終らない歌ばらまいて”(スピッツ『ロビンソン』より、作詞:草野正宗)
風も光も、そのとき確かにそこに「ある」のに、手に残るものがなにもありません。「歌」の儚さも、光や風によく似ています。音波はその瞬間だけ認知できるもの。もちろん、詞は文字にできるし、音程やリズムは楽譜にできるかもしれません……それにしても、散ってしまう儚いもの。“ばらまく”のみなのです。ばらまかれることが、歌のアイデンティティなのだと思わせます。
“いつもの交差点で 見上げた丸い窓は うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた”(スピッツ『ロビンソン』より、作詞:草野正宗)
丸い窓はやや珍しい。窓の多数は四角いもの。“丸い窓”は月の輪郭のことを比喩しているのかなと思わせます。三日月に雲が半端にかかった様子を“うす汚れてる”と表現したとすればシニカルかもしれません。地球の影が落ちた月の表面、三日月に取り残された暗い部分が“丸い窓”なのだと……考え過ぎでしょうか。
“洗いたてのブラウスが今 筋書き通りに汚されて行く”(スピッツ『スパイダー』より、作詞:草野正宗)
汚れる、の観念で思い出すスピッツレパートリー、『スパイダー』。奇跡の詩性の正体に少しでも迫りたい。美しいもの、イノセントなもの。経てきたプロセスが、より少ない方へ近づこうとする態度を思わせます。ロックと初期衝動を結びつける言説は耳タコですが、初々しさは誰もが持ち、そして誰もが失います。その記憶だけが残るのです。汚れ、すなわちエイジングされて、変容していきます。真理であり不可抗力です。スピッツ詩性のひとかけらの端っこくらいに触れるヒントにはなるでしょうか。
原初のもの、イノセントなもの。まだ、穢れていないもの……“誰も触われない 二人だけの国”。誰もが持つが、決して戻れない風景を、複数のレパートリー(楽曲)にまたがって風のように旅しているのがスピッツという宇宙船なのかもしれません。
青沼詩郎
『ロビンソン』を収録したスピッツのアルバム『ハチミツ』(1995)
『空も飛べるはず』『スパイダー』を収録したスピッツのアルバム『空の飛び方』(1994)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ロビンソン(スピッツの曲)ギター弾き語り』)