時を戻れたら
そのときの大正解を瞬間的にいつも選び取れたらどんなにいいでしょうか。
なんか知らんけど道を歩いていたら急に怒られた。おそらく、むこうにとっては私が道のまんなかに異常にはみ出して見えて、邪魔だったのかもしれません。
怒られた私はぽかんとする。何も言い返す言葉がおもいつかないけれど、なんだかすごく、急に一方的に怒られて不快な気分になる。そんなふうにもやもやした気分に冒されている瞬間には、もうとっくにお互いすれ違うか追い越されるかして遠く離れ「ことは過ぎて」いる。
ほんとうに、実際に私が、誰がどうみても道のまんなかに異常にはみ出してふらふらしているかしていて、怒られて当然というのが客観的に正当と思える状況であれば、私がなにかを言い返す筋合いなどないのかもしれません。
でももしそれがそうじゃなかったら? 道にはみだしている・はみだしていないというたとえが悪かったかもしれません。もっと違う状況を想像してもらって良い。
そうした、こっちにそんなに不当に怒られるような非はないよ? という状況で理不尽に怒りをぶつけられたり理不尽な対応を受けたりしたときに、その瞬間に、感情的なることは決してなく、あくまで平静で紳士でまっとうな応対の範疇において、いかにこちらに非がないのが当然といえる状況か、またそうした対応をこちらにぶつけられるのがいかに理不尽で不当極まるものであるかを、その場で瞬間的に、的確にスピーディに、かつちょっとした鋭さと攻撃力を宿して言い返してやれたらいいのにと、あとになって猛烈に悔しくなることが、生きていれば一度や二度くらいはなんでもない日常の(油断した)瞬間の記憶に思い当たるふしがありはしないでしょうか。
私のたとえがへたで、なぜか不当に怒られたときの理不尽な気持ちについての話になってしまってかなり逸脱しているかもしれませんが、ここでちょっと注意を向けておきたいことは「時はもどれない」という至極当然のことです。
たとえば誰かに車に乗せてもらってどこかへ連れて行ってもらっている時…………「あ、そこそこ! あの青いコンビニが入ってるビルの角を左です!」「しばらくまっすぐ行ったら都立公園が左側に出てくるんで、その交差点で右です」とかなんとかいって運転者に具体的にわかってもらって、その通りに正しい道を選ぶ瞬発力を同乗者も運転者も発揮できたら理想なのですけれど、現実は「え、どこどこ? ああ、すぎちゃった? もう、もうちょっと早く言ってくれたらいいのに」「え、あそこってどこ? しばらくまっすぐの“しばらく”って、どんくらい?……え、何? もうすぎた? あんたのいう“しばらく”がわかんねぇわ!」とかなんとかいってコントみたいになってしまうのもまた、日常のあるあるではないでしょうか。時を戻れたらいいのにね。
トキオドライブ 曲についての概要
作詞・作曲:奥田民生。Charのアルバム『ROCK+』(2015)に収録。奥田民生の配信シングル(2017)、アルバム『カンタンカンタビレ』(2018)に収録。
奥田民生 トキオドライブを聴く
「カンタン」というコンセプトが「簡単」を意味するかどうかわかりませんが、テキパキと、瞬発力をもって、かつ作業や演奏を楽しみ、トントンとリズムよく楽曲を組み立ていく小気味良さがそのまま現れたようなひとり多重録音。
ガバガバと増幅感のあるギター、ベース、ドラムのサウンドが太くぶっとんでいる気持ちよさ。
右のリズムギターはウラ拍に引っ掛けるようなフック感があり、左のリズムギターは根音から5度の音を6度に向かって動かしては戻す、いわゆるロックンロールのリズムギターの典型をおちつきのあるダイナイクス感で的確に描きこみます。2本のギターパートが機能しあい、ひとつのバンドサウンドをつくります。
右の、リズムにハナがあるギターパートは間奏で中央に定位が瞬間移動。達者なソロプレイです。巧いです。これだけのウィットのあるソングライターでありながら、つくづく奥田さんがハナと腕のある優れたギタリストであるのを思います。右にいたが中央に移動したギターはソロを弾き切るとまたもや右に瞬間移動。パート(トラック)の数を、ソロのときばかりむやみに増やさないところは、単に8トラックレコーダーのトラック数の制限の問題なのかもしれませんが、たとえばライブを4人のメンバーでやりきる際にはこんなふうに、どちらかのバッキングを弾いていたパートが間奏でソロに趣くといった流れが生じるわけで、そういう生演奏としてのアタマ数の面での整合性があるレコード(記録物、作品)を私は好ましく思います。
ベースはごきげんに躍動し、ドラムスもちょっとだけ独特の「なまり」あるいはハネ感があって、演奏にウキウキをもたらしているように私は感じます。奥田さん自身が、演奏や録音、すなわち音楽そのものを楽しんでをすすめていることのあらわれなのかなと勝手ながら思います。
左のほうから、合いの手を入れるサブボーカルがいて、歌詞が完成するしくみになっています。多重録音であればひとりでトラックを分けて演出できます。ライブであれば、メインボーカル以外のメンバーが合いの手をいれる役割を引き受ける必要がありそうです。メインボーカルとわずかに重なるように合いの手が入るアレンジで、間のつかいかたが上手いですね。さもそこに、運転者と同乗者がいるような「場」が顕現しています。
カンタンカンタビレ収録のアルバムバーション
セルフカバーアルバム『カンタンカンタビレ』収録のほうのバージョン。演奏はほとんど同じ内容にきこえます。音の圧が明らかにちがい、ぶっとんでくるパワーがあるし、各パートの明瞭度も立っており、配信シングル版よりも善処を図ったような趣が感じられます。サブボーカルの合いの手なども歌詞の内容が聞き取りやすいですし、繰り返しますが音のパワーが出ていて満たされる感を覚えます。エンディング付近の「ドライブ、サバイブ」のサブボーカルの定位が、配信シングル版は真ん中付近から左側に動いていくような気がするのですが、こちらのアルバムバージョンは真ん中付近にとどまっているように聞こえます。基本的に演奏内容は同じのようですが、ミックス面で微修正など図っている可能性はありそうです。
Char トキオドライブを聴く
これはモノラル音源……といいますか、定位を左右に振らずに真ん中だけをつかって音の合体を図った趣向でしょうか。メンバーでえいっと音を合わせて歌もその場でうたってパックしたような生々しさ、勘の良さ・反射神経のよさ、ひとえに演奏のすばらしさが如実です。ひとり多重録音の味わいとはまたまったく異なり、Charさんの歌になっています、提供曲を自分のものにしっかりできる……あたりまえの必須要素かもしれませんが、うならせるさすがの味わいを覚えます。
ドラムスがグラマーで太く明瞭なマッチョなキックの音像がバンドをぐいぐい運んでいきます。ベースの音も色と太さがあって、5度音、6度音で動きを出し、ベースラインひとつとっても響きが豊かです。そのベースにあやかってか、ギタートラックはこれ、ひょっとして一本だけでしょうか?ソロのときも、ベースが太い音で5度や6度をとって動いていくのでリズムギターがいなくても気になりません。濁った複数の音程をぶつけるような、汚しの効いた渋くて上手くてアツいソロギターのフレーズの良さも単純にあるのかもしれません。3人とか4人でロックンロールを演奏し歌う模範演技のようです。とにかくお見事。
”竹中家に戻れない”など、歌詞の小違いも奥田さんバージョンと聞き分ける楽しみの仕掛けになっています。
時をドライブ
トキオドライブ、の主題は「東京っぽい、架空のような現実にあるような街」を思わせる「トキオ」のことであると同時に、「時をドライブ(する)」の意味のようにもとれます。ソングライティングからして、遊んでいて楽しくて、とんちが効いていてうまい。さすが『マシマロ』をつくった名人の作品だと思います。潔くも肩の力が抜けていて、かつロックンロールとしてシンプルで熱さもある、とても好きな作品です。
あ、あそこの角まがり損ねたよ……時間が戻せたらいいのにね……景色はもうはるか後ろです。時を流していくドライバーなのですね、誰もが。
青沼詩郎
『トキオドライブ』を収録したCharのアルバム『ROCK+』(2015)
『トキオドライブ』を収録した奥田民生のセルフカバーアルバム『カンタンカンタビレ』(2018)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『トキオドライブ(奥田民生からCharへの提供曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)