回顧する。される。

死の直前にみるといわれる走馬灯。死んでしまう、そのふちにあったが、奇跡的に命をつなぎとめた、生還したという人が、走馬灯に相当するようなものをみたという体験を語ることも世にはある気がします(根拠なし)。生還したからこそ、死の淵で見て、そのまま死んでしまったら誰もその存在を知り得るはずがない走馬灯を、その存在を世の中の人が認知しているという理屈も立つかもしれません。

人との関わりの記憶は、私に強く残ります。ある時期、誰それとどういうつるみ方をして、どういうことをやったとか、恋の記憶や、友人とやった無茶の記憶とか……

そういうものが、目を閉じて、そのまま二度と目をひらくことのなくなる瀬戸際(つまり、生と死のはざま……でしょうか)に、パパパと点滅するみたいに巡るのでしょうか。そのとき、私の走馬灯に出演するのは誰なんだろう。私は、誰かの走馬灯に出演することがあるのかな。

曲についての概要など

作詞・作曲:レノン=マッカートニー。The Beatlesのアルバム『Rubber Soul』(1965)に収録。

In My Lifeを聴く

あまりにも尊い2分半。うわーすごい、と打ちのめされているうちに終わってしまいます。

ギターのクリーンかクランチぐらいの暖かいトーンが奏でるイントロ、たった1小節のモチーフに人生のすべてが詰まっているかのような気にさせます。シンプルで美しく、普遍的。真似したくなるといいますか、自分もちょっと弾いてみようかなという気にさせますし、実際、多くの人に刷り込まれた遺伝子や後天的な記憶をよびさます普遍性があるからそういう気にさせるのかなと思い耽ってしまいます。いろんな人に、これは自分の歌だ、自分の出来事だと思われることは、すぐれた大衆歌が備えるべき要点のひとつでしょう。ビートルズはロック・グループとしての側面もありますし、世界の大衆娯楽のテッペンという側面もあると思います。つまり、ポップソングとしてもIn My Lifeはすこぶる優れていると思うのです。

図:The Beatles『In My Life』エンディングのギターモチーフの採譜例。イントロのパターンを再現しつつ、ぴったりと結ぶ導きです。順次進行と跳躍の組み合わさった、優美で印象的なフレーズです。

楽器がおおむね左にかたよっていまして、右側の空間はハーモニーやオーバーダブのボーカルのためにとってあります。まんなかのメインボーカルから右にむかって、声の響きが抜けていくような印象を与えます。

間奏で歌詞と声のハーモニーが抜けた右側のスペースに、世界で最もチャレンジングで印象的な間奏、その殿堂入りといってよいであろうピアノの名演が入ります。

テープスピードを落としてそれにあわせて演奏を収録し、作品としてもちいる段階では落としたテープスピードに合わせて収録したピアノの演奏音源を、もとのテープスピードに合わせる……つまりピアノの演奏についてはテンポがあげる……という処理をやっているそうです。

このことによって、独特のサウンドがえられています。ポコポコとかろみがあって、せせこましい小さな生き物の生活を覗き見ているような気分になります。たとえばアリの生活を記録した映像を数倍の速さで再生しているのを見ているような感じでしょうか。

ピアノがボワーンと立ち上がって独特の強い倍音がで始めるあたり、ストリングスでチェロパートが鳴ったかな?とでも錯覚させる独特な響きを感じます。

2声部のポリフォニー(複数の旋律が同時進行するスタイルの音楽。それぞれに独自の旋律をもっている)のような様相で、まるでバッハのようと形容されることも多いようです。上の声部を私の脳味噌の表層が意識しがちなのですが、下の声部にも注意して聴くと、上とフォローしあうようでいて、それでいて勝手に独自の動きをいしてもいて、まるで個人の人生が接触したりすれ違ったり……人の関わり、人類という種の人生”Life”、かれら種における個体どうしの関わり合いをコンパクトに映しているみたいに感じる趣がすばらしい。間奏のアイディア光るピアノソロからして、『In My Life』の主題のとおおりになっていると思うのです。音楽が、テーマを正しく映している。「正しく」という言葉もあやういものですが、「正当性」「正直」「ありのまま」「素直」といった観念の呼応を私に覚えさせる態度なのです。イン・マイ・ライフ。そういう主題の曲の間奏だから、このソロなんだねと納得させる。それでいて、個人の貴さを思わせる、プレーンでコミカルでコンパクトで愛嬌あるサウンドになっているところが、世界の遺産として後生大事にすべき価値を覚えるのです。アルバム『ラバー・ソウル』を、録音作品としての独創性の面でビートルズが次のフェイズに行ったとするような評し方をする向きもあるようですが、本当にその意見にもうなずくばかりです。

図:The BeatlesIn My Life』間奏のピアノモチーフの採譜例。スピードを下げて録音したという音形、スピードを上げると非常に演奏も聴き取りもハードルが高い、ある種異常な表現に変貌。革新的です。器楽的で鍵盤的でバロック風な旋律。人気の渦中にあるバンドの録音作品にこれを取り入れようとは、品があるのに頭のネジが外れているのか?というほどにチャレンジングにも思えます。

左のほうでライドシンバルとかさなって、鈴のようなタンバリンのような音色がリンリンと鳴ります。ドラムスのシンプルだけど特徴のある、楽器を鳴らしすぎないパターンが良いですね。ドラムセットから七色の音を引き出す魔術師のように思えます。ベースはギターの音色の印象とあいまって暖かです。おおむねメンバーの演奏する音(オリジナルメンバーの頭数)で再現できる編成でありつつ、ジョージ・マーティンのピアノやタンバリンといったオーバーダブの創意が光ります。

“赤盤” 2023 Mixを聴く

時代特有の、ベーシックトラックからしてはっきりと定位をわける傾向は尊重しつつ、定位を大胆に再構成しています。

左にドラムス、イントロが印象的なギターは右です。ベースも右ですね。ギターはまるでカリンバやウクレレやマンドリンをぽろぽろと撫でるような、独特の優しいニュアンスまで感じ取れます。音がすごく良い。ドラムスのスネアの音もタスッ、カスッといっていいのかわかりませんがとにかく音がすごくイケメンです。

間奏のピアノはボーカルが空いた中央に来ます。間奏の前と後ろで、タンバリン+ベルのようなトーンの存在感、扱い方がぜんぜん違うのが意外です。間奏前に入るときは、いちパーカッションとして脇役の扱いである音量感ですが、間奏のあとは、まるで主要なエピソードの一端を担うキャストであるかのような音量の扱いを感じます。どうして間奏の前と後でこうした小物楽器の音量感(存在感)をつかい分けたのか、その意図が気になるところです。ドラムと定位が離れたことで、ドラムのライドシンバルのカップショットのような甲高いトーンとの分離がよくなり、それぞれがはっきりしました。

こまかい意図の如何はともかくとしてサウンドがリッチですし、再構成した定位は左右のバランス感が良いと感じます。演奏の機微が隅々まで感じられる、解像度の高さはまるで蘇った、生き返ったかのような鮮烈な印象を覚えます。人生は繰り返す……個体の肉体はつきても、命(人生“Life”)は輪廻するようです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>イン・マイ・ライフ

歌詞とその対訳の参考サイト 世界の民謡・童謡>イン・マイ・ライフ In My Life 歌詞の意味・和訳 ジョン・レノンが故郷リヴァプールでの思い出をつづった作品 まるでこの曲の主人公が、失くなる直前に走馬灯を見ているのではないか……という気分にさせます。観念的で回顧的な歌詞が、聴く人に、意味をもってせまり、ひとりひとりの人生の記憶や人との関わりを喚起するのではないでしょうか。

ビートルズ ユバーサル・ミュージック・ジャパンサイトへのリンク

『In My Life』を収録したThe Beatlesのアルバム『Rubber Soul』(1965)

”赤盤”で親しまれる『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』。オリジナルリリース:1973年。『In My Life』の2023年ミックスを収録。

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『In My Life(The Beatlesの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)