「町」すれ違いポイント、あるいは希薄な接点
はなはだ私の独断と偏見による選曲で、音楽ブログ上で記事を公開したり、その曲を自分で弾き語りしたのをYouTube上で公開したりしています。
閲覧数、みたいなものが、そのブログのアカウントなりYouTubeアカウントなりにログインした自分の画面で見られます。どの楽曲を取り上げたものがどれくらい見られたかというのが数字でわかりうるのです。
なんで特定のある曲が、ほかの曲をとりあげたものよりもある期間に、いくぶん閲覧数が伸びたのだろう? などと思う挙動がみられるときがありまして、その理由としてひとつ推察しうるのが、固有名詞なのだと思います。
特にここで話題にしたいのは、現実に存在する土地の固有名詞です。街の名前とか、街の名前と同時に駅の名前にもなっている地名とかですね。それを歌詞、あるいは曲名に含んでいる曲を取り上げたブログ記事などの閲覧数が、ときおりある期間に増えるように見えることがあるのです。
最初から「詩郎(私、このブログの主です)の記事をさがそう」と思って検索する人の閲覧数はその中では絶滅危惧種の個体数以上に希少であり、ほとんどの閲覧数は、ある特定の実在する地名、町の名前などを検索ワードに含めた人が、うっかり表示された、その検索ワードに含まれた地名を含めた楽曲などをとりあげた詩郎(私)の記事をクリックしてしまったといったものなのではないかと大雑把に推察します。そういう挙動が含まれた閲覧数の動きで私が一喜一憂して良いものか、純粋にまっしぐらに的を射る情報が欲しい人にとっての検索ノイズ、ノイズならまだ良くて害悪になっていやしないかについてはもう少し真剣に考えるべき私かもしれませんがまあそのあたりは検索エンジンの性能だとか性質だとかアルゴリズムみたいなもののせいも関わってくるのかもしれませんし、ここで言いたいことの中心を外れるので胸をはってここでは棚に上げさせていただきましょう。
街(町、土地)というのは、他人がすれ違うのですね。あるいは、そのうっすらとした希薄な接点を奇跡的にも未来の太い縁のきっかけとして、人と人は、土地で、街で、出会い、大なり小なりの関係を築きはじめたり、交流を持ったりしはじめうるわけです。
そんなところもあって、私は、他人どうしが接点をもつきっかけとなりうる、楽曲名に土地や町の名前を含んだ音楽作品が好きなのです(それ以前に純粋に音楽が好きなのですが)。
望んでページをひらいたのじゃなくても、たまたま開いてみたら気を引かれて、私(詩郎)という存在を認知し始めたあなたがひとりでもふたりでもいたら嬉しい、そこからつながりや関係が生まれればもっと嬉しいというのは、このブログやらなんやらの活動を私がつづける理由のひとつだと思っています。このページをここまでみてくれたあなたも、本当にありがとうございます。
『ともだち始め』(1973年)収録 西岡たかし ジャンジャン町ぶるうすを聴く
オーブンの温度が上がっていくようにじわじわと、安定した地平と共に盛り上がっていく感じ。たった一度のセッションをパックした新鮮さや生々しさがあるのに、録音作品としてもすごく感度のあるサウンドになっていて好感ですし、なにより中央を司る歌、声、歌の言葉(歌詞)が良い。このアルバムの収録曲にみられがちな、歯擦音がちょっと潰れがちに聴こえるところが玉に傷ですがそれを包含し丸呑みさせるくらい好きです。
右にいるピアノの存在感、流暢な伴奏が印象を大きくもっていきます。リズムも和声も低音位もほとんどを担っている。要であり核でしょう。
左にギターのストラミングあるいはコードカッティングがいて、裏拍の跳ねる感じを出しています。真ん中付近に流暢なギターがいますね。ちょっとオブリガードっぽい役割です。
左にはエレクトリックピアノもいます。右のアコースティックピアノと対になっていてバランス感が良い。
これでほとんどバンドが成立しているのですが、ハンドクラップ、そして字ハモ(歌詞でハーモニーパートを歌う脇役のボーカル)が入っているところがなお良い。楽器とメインボーカルは一発録りして、ハモリとクラップだけオーバーダヴィングしたのかな?と勝手ながら推察しますが真実はどうでしょう。とにかくこの生々しくごきげんで、なのに諦観も漂う楽曲を最高に気の利いた確かな腕前で演奏しきっているのが好感極まります。エンデイングではお客さんが拍手しているみたいにみえる演出がしてあります。これ、私の勝手な想像だけど、たった今書いた通り「演出」じゃないかなと思います。バンドメンバーのオーバーダビングでお客さんが拍手してるふうの音を、録音作品として挿れたんじゃないかな。そんな感じがします。曲の中に入っている、的確なクラップの音色とエンディングのお客さんの拍手の演出ふうのものと、音色が似ていると思います。まあ、作り手側の意図としても「お客さん」のつもりじゃないかもしれません。音楽仲間どうしが、場を囲って、「輪」が生まれているという表現なのかもしれません。いずれにしても、すごく良いです。
視点のスイッチ
”ちょいと歩いてごらん ジャンジャン町あたり 通天閣のぼれば そっと目をとじて 動物園も ちゃんとちゃんと見えてるけど そこじゃァなくて 君の立ってる所が オリの中 ちょいと歩いてごらん ジャンジャン町あたり”
(『ジャンジャン町ぶるうす』より、作詞:西岡たかし)
何がすばらしいってこういう気の利いた、悪くいえばああいえばこういう風の論が立つ頭の回転、視点の自由さが素晴らしい。展示され、観察される動物はこっち(ヒト)なんだと。
ジャンジャン町とは違う場所の話ですが、東京の井の頭恩賜公園の動物園に、鏡が展示してあるのです。それは、「ヒト」(という表現だったかどうかは忘れましたので仮です)という種の展示なのです。観察しようとする、あなた自身を映す鏡なのですね。通りがかった鳥とかも「ヒト」になってしまうじゃないか、という屁理屈を考えたあなたは私の仲間:「ヒト」かもしれません。
通天閣には展望台があるようです。閉鎖された高所にのぼって町を眺めている展望客こそ、地上の人、あるいは天王寺公園の動物園にいる動物たちからみたら、まるで天空からぶら下がった檻の中にいる奇特な……物好きな変わった生き物なのかもしれません。そんな狭くてお高く止まったところにいないで、ホラ地べたを歩いてごらんよ、おれたちもさんざんほっつき歩いたこの町をみて、ふれて、浸りなよ……というフレンドシップと親しみを勝手ながら覚えます。
ジャンジャン町ってどこ
ジャンジャン町とは、ジャンジャン横丁と呼ばれる地帯のことでしょうか。通天閣のおひざもと……とでもいうのか。道頓堀付近の難波駅方面から来ると、通天閣を越えて南側あたり、天王寺駅付近から来ると、通天閣に向かって北上するような位置関係といえそうです。
“ちょいと歩いてごらん 大阪の町 一度のぞいたら 忘れられない 世界旅行なんか 出来はしなくともよォ この町をぶらり歩けば 裏も表もまる見え ちょいと歩いてごらん 大阪の町”
(『ジャンジャン町ぶるうす』より、作詞:西岡たかし)
大阪の町をざっくり語るときに、キタとミナミという表現にしばしば出会います。キタは梅田付近のことで、都会的でアカ抜けた雰囲気。ミナミは難波付近あるいは以南あたりで、下町っぽくて猥雑な雰囲気……というイメージで私は解釈していますがどうでしょう。実際は、上の図や文章で表現した解釈よりももっと広かったりズレがあったりするかもしれません。大阪のこのあたりのエリアを私は一度訪れたことがありますが、確かに地続きに世界が変わるような、大阪の町に世界の様相が凝縮されたような街歩きの楽しさを実感した記憶があり、『ジャンジャン町ぶるうす』を鑑賞したいま、改めて訪れてみたい土地です。
梅田の辺りから天王寺辺りは、距離にして6~7㎞程度でしょうか。健脚な人なら、半日~1日かけてしこたま観光や街歩き、食べ歩きや息抜きを楽しむにも良さそうな規模感です。
「ジャンジャン」は飛び交う三味線の音色に由来するんだとか。音が飽和するくらいに狭くてにぎやかな路地を思わせます。実際、軍艦内部の通路か!というくらい狭い様相だったようで、軍艦横丁と呼ばれた時期もあったというエピソードにうなります。圧がすごそう。
五つの赤い風船 ’75 ジャンジャン町ぶるうす
『コレクション』収録 ジャンジャン町ぶるうす
これまた方向性が見事に異なります。ここまでそれぞれに違ったアレンジで正解を出せる。言葉をつむぎ世界を立ち表すソングライター:「語り」の人でありながらもミュージシャンとしても非常に精彩な腕と感性をお持ちでいらっしゃるのを思わせます。音楽の腕も作家性も、それらは別のベクトルであるものではなく、すべてがシナジーしあう包括的な資源なのですね。
このアレンジは私にカントリー・ミュージックを思わせます。ジャンジャン町あたりこそ自分の故郷なんだと親しみ、時空をいくら隔てても心に持っている態度のようです。金属弦の撥弦の響きがきらびやか。ギターがピンピンと鳴り、字ハモ(歌詞でハーモニーを歌うサブボーカル)がぴったりとメインボーカルに連れ添います。トレモロ奏法の線を描き込むのはマンドリンか何かでしょうか。ギターは12弦のものがいる響き。ハーモニカはいっそう哀愁が漂い、素朴な響きを添えます。『コレクション』(1975年)収録。
『ライブ・夢商人』収録 ジャンジャン町ぶるうす
これまた全然タッチが違う。変幻自在、一体何面相なのか……怪人、あるいは言葉の幻術師か。ポエトリー・リーディング:詩を朗読する珍奇なパフォーマンスのようでもあります。つらつらつ~らつら……と滑るように、ほぐれおちる毛糸のように、言葉が身をかがめて門をくぐってそそくさと出ていきます。弾き語りライブ音源でしょうかね。『ライブ・夢商人』(オリジナル発売:1976年)収録。フェードアウトなしで最後まで聴きたい、なんて惜しいのか。しゃべりながら会場の門を出て行っちゃうみたいです。そういうお人柄だったりして?
「再三」という表現以上に取り上げている『ジャンジャン町ぶるうす』、表現者:西岡たかしとしても、心の底からその身と一体化している大切なレパートリーなのがうかがえます。Osaka soulを感じますね。
青沼詩郎
西岡たかし『ジャンジャン町ぶるうす』を収録した西岡たかしと泉谷しげるのアルバム『ともだち始め』(1973)
五つの赤い風船’75の『ジャンジャン町ぶるうす』を収録したアルバム『五つの赤い風船’75』(1975)
西岡たかしのベスト集『コレクション』(1975)。カントリーっぽい味わいの『ジャンジャン町ぶるうす』を収録。
西岡たかし『ライブ・夢商人』(1976)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ジャンジャン町ぶるうす(西岡たかしの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)