誰に書くか 想いの矢印

曲を、自分宛に書くということもしばしばあるでしょう。それは、他人に媚びない表現者として尊いアティテュードとして私は歓迎します。自尊心を大切にする人を私は尊敬しやすい。自尊心に導かれた表現や作品は、はたから観察しているだけの私にとっても潔く気持ち良いものが多い……これは私の自尊心擁護寄りの偏見かもしれません。

自尊心自体をおもてなししたがゆえに、気持ちの悪いものが出来上がることもままあるでしょう。はなはだ自己陶酔がすぎるもの、鑑賞のために感性をフル稼働し、こちらから作品に努めて歩み寄り、解釈に心を砕いてもその余地のないもの……そこまで醜悪な作品もそうそうないかもしれませんが、自己満足のみにまっしぐらすぎやしないかのチェックを常に怠らない態度もまた表現者に必須の心得でしょう。

誰かに向けて曲を書くというのもまた、もっとも作曲するうえで尊重すべき心持ちであるように思います。特定の誰かに向けて書く。特定の誰かの思いにまっしぐらに答えるように書くのです。それは、その想定する誰かが具体的であるほどに、強く万人に作用しうる名作が生まれる可能性を孕んでいるようにも思います。もちろん、その結果不気味なものが出来上がらないとも限らないのが作曲の沼る所以かもしれません。

具体的にはっきりとしている特定の誰かに向けて作曲にのぞんだが、結果として宛先を自分自身として読み替えてもグッと来る作品になった、というのがベストかもしれません。あるいは、その反対……自分自身に向けて書いたが、不特定の他者が宛先を自分と設定して読んだらグッと来たというのが理想であるようにも思います。鑑賞者がメッセージの宛先を自分と読み替えることがなくても、世の誰かと誰かのあいだに、そういう想いの矢印が起こっている、そのことをしっかり描けていること自体に鑑賞者が感動する、というのがベスト中のベストかもしれません。

曲についての概要など

作詞:春嵐、作曲:浜田省吾。浜田省吾のアルバム『In the Fairlife』(2020)に収録。

浜田省吾 てがみを聴く

渋い光がまばゆい曲。浜田省吾さんの、ざらっとした中低域の魅力がぞんぶんに出た歌唱です。もっと高いとこまで張り上げていてテンションの高く、カリスマ漂うサウンドの楽曲の印象が私の中で強い浜田省吾さんのレパートリーでしたが、こんな楽曲もお持ちでした。2020年のアルバムにおさめられた一曲。比較的、近作といってよさそうです(この記事の執筆時:2024年初頭)。

メランコリックなピアノの伴奏。開離した音程や2度でぶつかる・濁る響きを含むアルペジオパターンがこの楽曲の基礎、核になっています。根音に対して9度の関係にある音程を印象的につかっています。雪が、すでに降ったところに対してさらに折り重なっていくしんしんとした表現であるように思います。ここに、絹のようでも木綿のようでもある浜田省吾さんの質感豊かな歌唱が乗るものですから極上の、静謐で洗われるようなサウンドが成立しています。

名演はもちろんチェロにもあるでしょう。単一の線で優雅です。音像の前後関係が良く、ボーカルやピアノの少しうしろにいる感じが好印象です。極端な左右への定位づけでなく、音像で前後感を出しているのが良いですね。間奏は歌のモチーフをトレースする、折り返しでオクターブあげるなど実直なアレンジのソロです。手紙を宛てた人と離れた場所で、私室で弾いているのがオーバーラップする映像を想像させる音像です。ソロのうしろでは、ピチカートの音がリズムを添えます。チェロのピチカートをオーバーダビングしたのかもしれません。ささやかですが、シンプルな編成に慎ましく適性な彩りを添えます。

“あなたを想うよ”の歌詞のあたりでⅡ7。副次調Ⅴを用いてシンプルなパターンで構成された楽曲に光と兆しを与えます。

人生の夕暮れ

“しあわせに 暮らしているのですか? あなたは今 大切な家族を 愛しながら 生きていますか? 一日に一度は 声を出して 歌ってますか? 誰かと手を繋ぎ 夕暮れの道 歩いてますか?”

(浜田省吾『てがみ』より、作詞:春嵐)

一日に一度は声を出して歌うことが、この手紙を宛てた人の自然な暮らし、日々のいとなみだとわかって、この手紙の主はこれを認めているように思えます。歌手へ宛てた手紙だと思うと、浜田省吾さんという存在自体に宛てた手紙のようにも思えます。もちろん歌うことは、歌手を生業とするものでなくても、誰にとっても普遍的なアクションです。(浜田省吾像以外の)特定の誰かを想ってしたためた作品かもしれません。作詞者の春嵐さんが、いつぞやの時代の浜田省吾さんから、キャリアを詰んだ先の浜田省吾さんに宛てるような想定で書いたのかもしれないとも想像します。

“あなたさえ しあわせなら 僕は消えてしまってもいい 降り積もる 雪のように あなたを想うよ”

(浜田省吾『てがみ』より、作詞:春嵐)

浜田省吾さんの有名な作品、『悲しみは雪のように』を想起させる歌詞です。長く、歌を表現することを生業としてきているであろう人格を、「手紙」の体裁で掘り出します。

シングル曲っぽいハナガタの楽曲ではないですが、そうした楽曲が映えるのはこうした楽曲があるからでしょう。私は猛烈に好きです。

刹那刹那(そのときそのとき)で、いちばんだと思う誠実を発揮し、全霊で生きることを続けてさえいれば、いつの時代の誰に宛てても、手紙は歌になるでしょう。

想いはそのときのその人の胸だかどこかにあって、目にみえないかもしれません。それは、降ってはとけて去る雪のようでもあります。「手紙」、すなわち紙に手で書いて残すことで、その雪の痕跡くらいは、寿命を伸ばすことができます。そういうわびさび、風流、「粋」を感じる、おしゃれで優美な響きです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>Fairlife

Fairlife ソニーミュージックサイトへのリンク

参考Wikipedia>浜田省吾

浜田省吾 公式サイトへのリンク

参考歌詞サイト 歌ネット>てがみ

『てがみ』を収録した浜田省吾のアルバム『In the Fairlife』(2020)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『てがみ(浜田省吾の曲)ピアノ弾き語り』)