曲についての名義、発表の概要など
作詞:東龍男、作曲:平吉毅州。NHK全国学校音楽コンクール課題曲(1974年・第41回、小学校の部)。
気球に乗ってどこまでも 東京都神代中学校合唱団、指揮:渡瀬昌治、ピアノ:井上美都を聴く
ピアノのコード奏法がリズミカルでグルーヴィ。なみの合唱曲とは思えません。ロックでファンクです。合唱というジャンルを越えようとする攻めのアティテュードでしょうか。さすが主題が『気球に乗ってどこまでも』です。体裁は合唱だとしても、これは革新を唱える讃歌なのではないかと思わせます。
スピーディでコンパクト。疾走してぱっと地平の向こうに消えてしまうようです。大空にいるのを地上から見上げているぶんにはおおらかな動きでしょう。地上すれすれまでおりてくると、地面と比較できるので案外スピードが出ている……のが気球の実際なのかもしれません。私自身は気球に乗ったり、間近で見た経験などがあまりないもので想像するのみです。
すっとした清涼感のあるハーモニーで、上声とそれを支える声部のバランス感も好ましい演奏です。ホールの響きと、声の輪郭の距離感もきもちがいい。素敵な録音だと思います。
“ときにはなぜか 大空に 旅してみたく なるものさ 気球にのって どこまでいこう 風にのって 野原をこえて 雲をとびこえ どこまでもいこう そこになにかが まっているから”
(『気球に乗ってどこまでも』より、作詞:東龍男)
サビが「ランラーラララララ……」なのですよね。旅の先を、まだ語られることのない未来を創造させます。気球の至る先はどんな景色なのでしょう。
気球はしばしば歌のモチーフになります。上昇志向の象徴。希望をおもわせます。よりよい世界を求める冒険者。ここでないどこか、ひらけた眺望への意思です。
“ときにはなぜか 大空に 旅してみたく なるものさ 気球にのって どこまでいこう 星をこえて 宇宙をはるか 星座の世界へ どこまでもいこう そこに かがやく夢があるから”
(『気球に乗ってどこまでも』より、作詞:東龍男)
「ラー、ラララー」と、エンディング付近のメロディがファーストコーラスと変わるところがいいですね。旅は、つねに変化することへの意思です。旅の景色どこをとっても、おなじものはない。
水平線もこえて、大気圏もこえて、宇宙への展望を描きます。
闇の世界にこそ輝きがあるのかもしれません。広い、広い空間の、わずかな部分を占めるのが「星」であり、かがやき・光であるのです。それに巡り合うことの奇跡を思わせます。わたしもあなたも、宇宙をただよう、ひとつぶの奇跡なのだと。
青沼詩郎
東京都神代中学校合唱団、指揮:渡瀬昌治、ピアノ:井上美都による『気球に乗ってどこまでも』を収録した『ビリーブVII 歌い継がれる卒業式のうた・新しい卒業式のうた』(2016)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『気球にのってどこまでも ピアノ弾き語り』)