目の前のものの及ぶ力

いまこの瞬間目の前にあるものの影響力って強いものです。負のスパイラルに突入しそうなとき、修羅場のとき、破滅的な結果が予想されるときは一刻も早くその場、その環境をはなれたほうがいい。離れることが叶うのであれば。

目の前のものほどその身に影響するものもそうそうないのですが、目の前のものが変化に乏しいとき、私は空想に耽りますしほかのことについて思考が及びます。心がここにいなくなるみたいに。

目の前のものごとは、それに躍起になる魔術を私にかけます。視野が狭くなるのです。過去の経験から学びを得て「次回こそはああしよう」と心に誓ったのに、同じ間違いを繰り返していることに、あやまちの繰り返しを演じる最中に気づく愚かさよ。

目を、広い時空につけて俯瞰できたらいいのにと思います。ものごとに取り組むときに、これまでにつちかった学びをふまえて力を発揮する時空の広さ、そこから自分をみおろす目線です。

でも、ちいさい部屋にこもって「さあ、やるぞ!」と思ったとき、その時空の宙から目線をすぐに忘れてしまう。そして間違いや差し障りにぶちあたりながら、「ああ、この失敗はこの前二度と踏まぬようにと心に誓ったのにまた踏んだ」。私はなんとおろかなのでしょう。

空を見ることは、視野を時空にうかべることの象徴です。現在・過去・未来はひとつであり、その意識で自分の宇宙を漂うこと。空をみれば、それを自覚できるのです。

なぜ私は目の前のものにやっきになってしまうのか? 空を見ていないからなのです。

シャ乱Q 空を見なよ 曲の名義、概要などについて

作詞:まこと、作曲:はたけ。シャ乱Qのシングル、アルバム『勝負師』(1995)に収録。

空を見なよを聴く

この曲、知っていたのですが、久しぶりに存在を覚えました。サビくらいしか聴いたことなかったか、その程度の記憶なのですが、ふとサブスクリプション音楽アプリでかかり、なんて良い曲なのだろうと思いました。

最近、小室哲哉さんが携わった楽曲を鑑賞することがしばしばあります。そのとき、Ⅵメージャー調への転調をしばしば観察するのです。短三度下の調へ行く展開ですね。

Gメージャーのオープンな響きのメロです。実直なエイトビートを、ギターやベースやドラムスが奏でます。素朴、というのともちょっと違ってみなぎる気概みたいなものがバンドの響きによくあらわれています。カラオケで振るようなタンバリンのチャリっとした音が、シャ乱Qの「やったる」感をさりげなく象徴しておもえます。

サビでこれがEメージャー調にいくのです。これはギターのいちばん太い弦の開放弦(6弦)が主音になる、Gメージャーにも負けず劣らず開放的で気持ちの良い調性だというイメージが私のなかにもあります。サビでホワーっと、シンセでならしたストリングスのような壮麗で奥ゆかしい響きが鑑賞者の耳を抱擁します。

メロ調のGからみると、短三度下のEメージャー調に行くサビの展開は、私に「二歩でも三歩でも下がって、平静になって、広い視野でものをみようぜ!! 世界はこんなに広いんだよ。前に前に突っ込むなよ。あいつもあいつも、みんなお前のまわりにいるぜ」と諭してくれるように思うのです。短三度下への転調は、視野をひらく動きなのです。

なんだか、すごくハロプロ的な「曲そのものの良さ」を覚えるのですが、作詞がまことさん、作曲がはたけさんで、つんくさんではないのですね。バンドで共有したり連帯している持ち味を、のちにつんくさんがプロデュースしたり作詞作曲したりするモーニング娘。的な遺伝子を感じます。

バンドのメンバーがそれぞれバラバラ個別に活動したり仕事をしたりしても、共通して何か好きになれることがあったりします。たとえが変かもしれませんが、ニルヴァーナとフー・ファイターズなのかなんなのかわかりませんが……はっぴいえんどとそのメンバーのその後の仕事でもいいし、なんでも。数多、いくらでもあるでしょう。そういうのを追っていくのも、音楽の空かもしれません。空、見ます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>空を見なよ

参考Wikipedia>シャ乱Q

公式サイト :::シャ乱Q official web site:::

参考歌詞サイト 歌ネット>空を見なよ

『空を見なよ』を収録したシャ乱Qのアルバム『勝負師』(1995)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『空を見なよ(シャ乱Qの曲)ピアノ弾き語り』)