自転車と2011年3月11日の記憶と『わが美しき故郷よ』
2011年3月11日午後の私は、東京都で公立中学校の生徒の学習を介助・支援する仕事をしていました。そのときに大きく揺れたのです。
教室では何かが割れるとかいったこともなかったと思います。そのあと校庭に全校生徒で移動。体育館の少し前のあたりに全員で集合していたら、余震でとてつももなく体育館の窓ガラスが揺れて、生徒のなかに怯えたり怖がったりする様子がうかがえました。
学習の補助を使命とする非正規雇用の仕事でしたから私は生徒の放課後の時刻には退勤時刻をむかえ、いつもよりは遅れたにしろあの非常事態を思えば幸運な早い時刻に帰途につきました。自転車通勤でしたので、街道の通勤路に沿っていつも通りに自転車を走らせて帰ったわけです。
見慣れない様子の人たちが歩いているのをたくさん道沿いに見た記憶があります。ふだんはこんな時刻にこの道をこんなに歩いていないんじゃないかという様子の人たちです。ふつうはそういう、いつもと違う様子がわからなくてもおかしくないかもしれませんが、なにしろ私にとってはほとんど似たような時刻に毎日のように通うみちですから、ふだんとの様子のちがいが顕著にわかるのです。それでも、まだこれほどの未曾有の事態だという実感が湧くほどの様子ではありませんでした。私は難なく自転車をつかって、日没前には家につくことができたのです。
当時わたしは実家に住んでいましたが、実家の私の両親とすでに顔馴染みだった当時の恋人(今の妻)を夜くらいにはわたしの実家に迎え入れてみんなで一緒に過ごしてテレビを見たりしました。それであのおそろしい津波の映像などを繰り返しみるなどしたのです。
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話はかわって、先日(2024年)、友人のシンガーソングライターのサポートピアニストとしてライブに出たとき、共演者のなかに、アコースティックベースとボーカルのふたりでシャンソンを披露する粋な出演者がいました。そのとき、そのふたり組が披露していた曲のなかでも際立って素敵だったのが『わが美しき故郷よ』という曲で、畠山美由紀さんが書いた楽曲です。
私は知識がなかったので、MCを聞きつつその場で曲名を検索したりしました。
畠山美由紀さんは東北(気仙沼)出身。『わが美しき故郷よ』は東日本大震災が起きたあと、その年のうちに発表された楽曲だとわかりました。
これを聴くに、生きとしいける霊魂やら向こう岸にいってしまった霊魂やら何やらが私に乗り移ったみたいに涙が出るのです。
畠山美由紀 わが美しき故郷よ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:畠山美由紀。畠山美由紀のアルバム『わが美しき故郷よ』(2011)に収録。
畠山美由紀 わが美しき故郷よを聴く
さらっと歌っているように思えますが、ボーカルの音域がかなり広い歌だと思います。繊細に、それでいてつんと尖るような儚い高音から、胸いっぱいに土をかかえたみたいなふくよかな低域の響きまでをこさえたボーカルの豊かな表情は彼女のふるさと景色によせる愛そのもののように思えて私は感極まります。
ナイロン弦のギターのこんこんとしたやさしい指のストロークが伴奏の中心です。ピアノの絡む塩梅が心地よい。単音をつむぐように呼応し、和音をじんとするやさしさでギターの響きに添えていくようです。
アコースティックのベースが低く、土地に深くを根差すようなポジションと響きです。ギターやピアノは低音もかなり出る楽器だと思いますが、そのさらに下に敷く風土の歴史の保持者のようなベースのサウンドです。
弦楽器のアルコのナチュラルでアコースティックな響きに、野の風景が私の頭のなかにたちあがるようです。私のふるさとは東京ですし、気仙沼の風景に詳しいわけでもなく行ったこともない私ですが、音楽がその風景をくれます。
何をしてあげられるわけでもない私です。私が被災者や復興のためにどれだけちからになれた存在かなんて、語り種になるようなものは何もない。ですけれど、この素敵な楽曲『わが美しき故郷よ』が、誰かの真実のような、全人類の理想のようなまだない(これからくる)風景を想起させてくれる。実際に起きた災害の記憶にひととき近寄る意思を私のなかに育んでくれる。ふるさとにおいでとまねき入れてくれるようなやさしさ・てざわりにありがたみを覚えるのです。
青沼詩郎
畠山美由紀のアルバム『わが美しき故郷よ』(2011)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『わが美しき故郷よ(畠山美由紀の曲)ギター弾き語り』)