まえがき
YouTubeに、ひとの曲をカバーした弾き語り動画をあげています。それをじぶんのSNSでシェアすると、観てくれたひとが反応をくれることがあります。
そうした反応のなかで、新しい音楽や、私の狭くなった視野の外にある(といってもあくまで「地続き」)素敵な音楽たちを教えてくれることもあります。
きのうおしえてもらったのは、10-FEETの『シエラのように』。
OSAKA GENKi PARK(10日・11日)のトータス松本のステージにサプライズゲストで10-FEETのTAKUMAが登場し、14日にリリースされたばかりのこのシングル曲の演奏があったそうです。
……というのを観ていた旧知の友達がおしえてくれました。さっそく聴いてみる。
曲についての概要など
作詞・作曲:TAKUMA。10-FEETのシングル(2020年10月14日)、アルバム『コリンズ』(2022年12月14日)に収録。
シエラのようにを聴く
結尾の歌詞
“信じられないことは 信じることでしか生まれないなんて 今の僕には眩しすぎて シエラ シエラ”(『シエラのように』より、作詞・作曲:TAKUMA)
その時点で「何を信じられるか」は、変化することを思います。何かを信じて生き、行動することで、「ある時点で信じられなかったこと」こそが「信じていること」になりうる。それが自分の身に、心に馴染むころには、そのときの自分の「信条」「思想」のようなものの一部になるかもしれません。で、そのときまでの自分が信じることを続けていくことで、その時点では信じられなかったことが新たに「信じ(られ)るものごと」になっていきます。
また、そうした一連を指して “今の僕には眩しすぎて シエラ シエラ” といっているようです。嘆きのような、祈りのような。ふれられるようでふれられない。自分を包み込むもののようで、自分の中に包まれているもののようで。憧れでもあるし、厳かな現実でもある。
シエラとは
「シエラ」はスペインのことばで「山脈(の)」の意味。規模がおおきく、背景にそびえる存在でもあり、たちはだかる巨大な存在でもあります。また、日本語の音(おと)としてshi e raという発音。清音にi+e+ra。「ぃぇあ」と、開いてく印象の発音。これがこの曲を、それまでの10-FEETの中にあったようで、10-FEETをくるんだ大きな存在にしていると私は思います。
休符がすごい
曲をすみずみまで、作った人の体感をも想像しながら味わうために私は自分でもなるべく対象となる音楽を演奏したり歌ったりしてみるようにしています。
『シエラのように』の歌唱に挑戦してみて何度もミスをしたのは、大胆な休符。Aメロ歌い出し ”どうやらここでお別れみたい“ というライン。「お別れ」のところで、「おわ・かれみたい」という分けかたをしています。大胆!
Cメロ(A・Bメロでもサビでもない部分)の冒頭で “デコボコ” と歌い出すところなどは、小節の頭からかぞえて2拍の休符。この休符が私には「シエラ」のように大きな存在に思えます。大胆!
コード進行 AメロとB・サビの関係
この曲はB♭メージャーではじまる曲ですが、BメロのあたまのⅤm(Fm)いっぱつで流れをE♭メージャー調にしてしまいます。そのままサビもE♭メージャー調。これには目を見張りました。Ⅴmはその調のなかであくまで「Ⅴm」の響きを特異なものとして扱う、つまり元の調の中で異質な響きを扱うつかいかたが多いと私は思うのですが、この曲では、そのまま「Ⅴm」と思わせて、次の調の「Ⅱ」(サブドミナント)として移っていってしまいます。もちろん、いきなり次の調の「Ⅱ」を聴かせてそのままその「Ⅱ」を持った調に移行してしまうという手法はこれまでにありますけれど、「Ⅴm」がある意味飽和している、「あるある」になってしまっているポップやロックの世界で、この転調に出会うのはとても私には新鮮でした。
歌詞の良さ、サウンドのまっすぐな力づよさだけじゃない。10-FEETはどんどん先へ行って、新しい「シエラ」に出会っている。そんなことを思わせる、すばらしい新曲にタイムリーに出会うことができました。この曲を私におしえてくれた旧知のともだち・Mさん、ありがとう。
青沼詩郎
10-FEET のシングル曲『アオ』(2021年3月)MV。「ピコピコ」と鳴るプログラミング?のまるっこくソフトなサウンド。倍音透き通る歪んだギターのサウンド。人にも楽器にもペンキ、ペンキ。乾いたらこれはやばいよー! とハラハラ。
10-FEETのシングル『シエラのように』(2020)。ジャケットが「シエラ」(山脈)!
ご笑覧ください 拙演