GSのなきどころ

自ら作詞作曲し、自分たちオリジナルバンドメンバーだけで演奏しながら歌唱するスタイルは今でこそなにも珍しくありません。GS(グループサウンズ)はある時代とても流行った向きがあり、流行ったがゆえに音楽を世の中に届ける側のあらゆるポストからのテコ入れといいますか干渉をしりぞけられなかったとでもいうのか、いつしか職業作家からの提供を受けて歌謡っぽい路線を走る傾向が見え見えになります。最初から提供を受けてスタートしたバンドもままあるのかしらとも思います。

もし自作自演の高い純度をGSバンドが貫き続ける平行世界があったら(職業作家からの提供を受けないでメンバーによる自作のみの発表を貫いたら)今といくぶん違った音楽が醸成されていたのかはわかりません。そうしたifを考えるのは無駄なような楽しいような。もちろん自作のみの発表を貫き続けたバンドも中にはあったかもしれません。

とにかく、職業作家から提供を受けて歌謡曲じみてしまうところを、GSの泣きどころ(惜しいところ)と批評することも可能なのでしょう。

ただ、私はむしろそういう泣きどころに泣けるのです。そういう、「惜しい」感じ。「完璧」であり続けられない感じがたまらないのです。「完璧でない」というか、「鉄壁でない」感じでしょうか。防御力に隙がある感じ。「B級感」なんて私ふぜいに言われるのは心外かもしれませんが、そういうツッコミどころが残る趣が良いのです。

ただそうはいっても、GS出身でのちに音楽業界にい続けて重要な功績を残し続ける、長く素晴らしい仕事を続ける業界人はかなりいるようです。ある意味、GSに泣きどころがあるからこそ、「余白」「まだまだやれること」があるからこそ、そういう顛末になったともいえそうです。

歌謡曲みたいになってしまって、どこかツッコミどころがあるよねと笑い合って現代の人が聴ける、そういう楽しみもGSにはあると思うのですが、なかには、「お! 当時でもこういうカッコイイサウンドを提案していたのか! 全然古臭くも隙だらけでもないじゃん!」と私に純粋に思わせる楽曲、あるいはそういう態度やポリシーを感じさせるGSバンドもままいるのです。GSで括れるかどうかはどうでもいいじゃん、という、純粋に音楽として美味しいものがあるのです。たとえばザ・ワイルドワンズの『青空のある限り』を聴いてみましょう。

青空のある限り ザ・ワイルドワンズ 曲の名義、発表の概要

作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦。ザ・ワイルドワンズのシングル(1967)。

ザ・ワイルドワンズ 青空のある限りを聴く

このスピーカーコーンがぶっとびそうなあらあらしいサウンド。12弦ギターにファズをかけているのでしょうか。左にそのワイルド極まるギター。右側には金管楽器でしょうか、こちらも凶暴なくらいに歪みがかったサウンドになっています。左のギターと右の金管が対になって、この雄だけしくて勇ましいサウンドが襲ってきます。

ドラムスは右側に振ってあります。ダス!と、アンビエンスがビショビショ(残響感が大)でたまりません。実際にどれくらいの音量で叩いているのかわかりませんが、一緒にスピーカーコーンをぶっ飛ばしにかかっているのじゃないかと思わせるパワフルな演奏が私好みです。

ベースは右のドラムスの対に、左側に振ってあります。ギターと近い位置からシンクロ感をもってはりつくようなフレーズを奏でたり、ぐいぐい前にいく、頭拍と2拍目裏をとるパターンでベーシックを強固にします。

真ん中がボーカルで、バックグラウンドボーカルでハーモニーが熱い。厚いというより熱いのです。

ストラミングギターに頼ってコード感を出すのでなく、ほぼこうしたボーカルハーモニーの類が和声感を担っているように思えます。バンドは、この攻撃的で勇猛なサウンド、リズムのエッジ感あるアティテュードの表現に集中している感じがかっこいいのです。

右のドラムと金管楽器、左のギターとベース、まんなかのボーカルの構図です。

現代では重い楽器は真ん中に位置させるのが定石だと思いますが、『青空のある限り』のサウンドは、ちっともギクシャクしたりアンバランスに思えません。ばっちりしっくりきています。各パートが激しくドライブしたようなサウンドで猛攻をかけて思えるからでしょうか。物足りなさなんてどこにもありません。「ベースやドラムスが重い音域を中心に担う」というよりは、各楽器の自然な演奏による帯域:バンド全体のサウンドで各帯域をつかい、空間をホットにぶち上げれはOK! という、至極自然な熱量をそのまま録音作品にしたような感じです。ベタづけのマルチマイクとはかけはなれたドラムの自然かつ熱いサウンドは私の思う鑑です。

下行するベースと一緒に「アー」系コーラスも下行していく、楽曲まんなか(1分43秒〜)あたりの展開もシンプルな構成の楽曲に変化と引き締めを与えます。絶唱という感じで、ただネガティヴな意味でメンバーの自作自演に意固地になっているという感じもしません。この中間部の声は女声っぽいですし金管楽器についても、オリジナルメンバー以外のスタジオミュージシャンの類の助けも借りているのでしょうか。総合的に録音作品にとって吉、よい結果をもたらしているようにおもえます。作曲はメンバーの加瀬邦彦さんですが、作詞は安井かずみさんですしね。

人が心血注いで演奏して結果としてできあがってきたものは、メンバー個人個人の独創性や芸術性を強く映しているかどうかはさておき、私にとって楽しめるものばかりなのです。それがたとえ職業作家から提供を受けた歌謡っぽいGSでも私にとっては格好のエサ(言葉が悪い)なのです。

そうしたGS界隈の中でも、ワイルドワンズの『青空のある限り』は素直に衝撃的にかっこいい。種々の要素・条件とか環境とかもろもろ(曖昧でスミマセン)、功を奏しあった結果を感じる秀作です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>青空のある限り

参考歌詞サイト 歌ネット>青空のある限り

THE WILD ONES 公式サイトへのリンク

『青空のある限り』を収録した『ザ・ワイルド・ワンズ・アルバム 第2集』(オリジナル発売:1968年)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『青空のある限り(ザ・ワイルドワンズの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)