my life Mr.Children 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:桜井和寿。Mr.Childrenのアルバム『Versus』(1993)に収録。
Mr.Children my lifeを聴く
音楽を聴いていると頭の中にノイズが入ることがあります。聴いている曲と関係があることもあるし、単に自分が集中していなくて、楽曲の世界の外……つまり現実の自分のその日・その週の予定に思いをはせて気が散っているなんてこともあります。
小林武史さんがプレイしているであろうキーボードの類を聴いていると、音楽の技術や知識や理論のことについて思い耽ってしまいます。そういうテックが詰まっているからかもしれません。
アコギの同一パートをプレイした別トラックを左右に振っているでしょうか。左右からコードストラミングが聞こえるのです。こういうバランスの音の設計が私は大好きです。
ギターはアコギの要素が私の耳の注意のほとんどを占めるのですが、もし桜井さんがコードのアコギをプレイしているとしたら田原さんのギターパートはどれでしょう。あるいはアコギを田原さんがプレイしているのでしょうか。シタールっぽい音が聞こえます。これが田原さんのエレキシタールか何かなのか、あるいはプログラミングの音なのか。田原さんのこの楽曲におけるロールが妙に気になってしまいます。
エンディングで口笛がきこえてきます。この音色がなんとも絶妙でソフトな、いい意味での「違和感」。プログラミングで入れた、作られた人口の口笛でしょうか? たとえばRadioheadの私のフェイバリットアルバム『OK Computer』に収録された『Fitter Happier』みたいな、えも言われぬ人工物の質感。楽曲『my life』についての話を超越しますが、Mr.Childrenの作品にはしばしばそういう交雑したような、文明の光と闇のコントラストをふと感じることがあります。そこが彼らの魅力のひとつであり、根幹かもしれません。
“62円の値打ちしかないの? 僕のラブレター”の歌い出しはなぜこんなにも印象を残すのでしょう。
36271円、とか私がいまここで適当で出鱈目な数字を書いたところでなんの意味もなくなんの印象も残しません。62円であることから、聴いた人がその品物がなんなのかを想像できることが重要です。それは、社会・世間に浸透していて、一般性を獲得しているものである必要があります。“僕のラブレター”と続くことで、郵送料金のことをいっているのだとわかります。もちろんそれだけではわからない人もいるかもしれませんが……
当時の封書の郵便料金だそうです。今は値上がりしています(執筆時:2024年)。封書の郵送の価値があがったのか? いえ、単に円の価値が下がっただけでしょうか。人件費が上がっただけか。マンパワーの価値が高まったのか。人口が減っていく現在から未来を思います。
そんな歌い出しから絶大な印象づけに成功しているキュートなラブソングであるのに、なぜこうも同時に私は「闇」を感じてしまうのか。ポップなサウンドの質感の表層の奥に、眉をひそめたり、煩悩に頭をかきむしったりする人格が溶けている気がするのです。
コードのハーモニーが、マイナー系とメジャー系の響きをひんぱんに交雑します。病的なくらいに、ポップできれいなボーカルメロディの背景で和声の響きが移ろうのです。
ピアノが印象付けるイントロ付近の一瞬の不穏な和音の濁りも、Mr.Children作品の「闇」の象徴かもしれません。主音のベースの上で、一瞬長二度下の短和音をザッピングしている。そんな一瞬なザッピングありかよというくらいに一瞬です。なんだこのフレーズ。こんなの聴いたことないぞ。偶成和音というほどでもなく、時間的にも一瞬すぎるただの非和声音づかいなのでしょうけれど……朗らかで平和な会話の流れに、さりげなくトンデモナくブラックでシニカルな表情や短い言葉をサブリミナル効果かよと思うくらい一瞬挟んでくるみたいな、そういう瞬間的な振り幅です。子供番組と思って油断していたら、30フレーム中の1コマくらい一瞬セックスシーンが挟まれるみたいな……(どんな感じだよ)……この感覚、お分かりいただけるか不安しかないです。あなたにもきっと、あなただけが感じるMr.Childrenのどうにもできない特異な魅力ってあるはず。
青沼詩郎
『my life』を収録したMr.Childrenのアルバム『Versus』(1993)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『my life(Mr.Childrenの曲)ピアノ弾き語り』)