憂鬱地獄でなく?
憂鬱天国 ピチカート・ファイヴ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲: 小西康陽。ピチカート・ファイヴのアルバム『couples』(1987)に収録。
ピチカート・ファイヴ 憂鬱天国を聴く
ため息をつかせる出来事がたたみかけ、おしかけ、列をなしてやってくる。どうして今日はこんな一日なんだ? という負の神秘です。
『学園天国』というフィンガー5が歌った有名な曲がありますね。
ピチカート・ファイヴとグループ名の一部が重複していますし、曲名もそうした商業音楽の文脈に乗っかった洒落でしょう。駄曲だったら一笑に付すところかもしれませんが、これはうならせる。見事に『憂鬱天国』という主題を音楽で射抜きます。
ソングライティングとしては、サブテーマは「ため息」といいますか、先に述べたような……ひとえに突っぱねてしまえば「些事」といっていいのかもしれないが、しかし確実に主人公のメンタルを削りモチベーションを萎えさせていくエンカウントが連なっていくようすをさらりとしたタッチで描いていきます。
まず和声。メインはマイナー調です。はっきりわかりやすいマイナー臭に終止すればただの湿っぽい歌謡曲ですが、フラフラした和声展開が洒脱で私をうならせます。平行調のFメージャーが基準に変わる展開をみせたかと思えば、「お前はなんなんだ! はっきりしろ!」と怒鳴り散らしたくなるような、イライラしているときに粘着するような、「竹を割ったような」という表現のまるで真逆をいくような和声展開です。これはなんの和音なんなだよ、という。機能和声をあざ笑うようなあいまいな響きをふんだんに含ませています。
そしてその和声に乗っかったのか、あるいはメロディが和声を導いたのかわかりませんが、ボーカルメロディがまたふらふらとあいまいなポジションをさまよいます。ん゛ん゛ー……なんなんだ。はっきりしてくれ。と言いたくなる。上がるのか下がるのかどっちなんだ……キャラクターの定まらない旋律なのです。モチーフらしいモチーフがない……は言い過ぎでしょう。おおむね歌い出しのフレーズが楽曲としての『憂鬱天国』の主たるモチーフだといえそうで、なんとなくリズム形などもそれを踏襲している感じで、「電話が朝から鳴り出す」のところと「こんなに愛してるのに」のところはボーカルメロディのリズム形がなんとなく似ています。しかし両者はそれぞれ短調と長調の響きで対比がつけられています。
金管の類が間奏をうめるフレーズはトリプレットのハネ感をたたえており……こんな状況じゃなかったらこのスウィング感をもうちょっと楽しめたかもしれないのになんだか負の連鎖を祝福されているようで「馬鹿にしてんのか?! お前!」と怒鳴り一蹴したくなります。気の利いた音楽的モチーフが、かえってウザ絡みみたくなってしまう主人公の哀れさと来たら“憂鬱天国”そのものです。
おまけにラスト1分の後奏の展開がまた笑わせます。もうこのままジャズの演奏が流れるラウンジで酒のんでしっぽりと消えてしまいたい。ラスト40秒程度は分かりやすくフォービートのスウィンギーな音楽スタイル、ジャズっぽくなってフェードしていきます。ご機嫌なサックスだよこりゃ、おれの身の周りの現実を忘れさえすればね……
電話で兄貴が泣きつく 「お金を少々借りたい」 その話は明日にして 明日は駄目 明日はゴルフがある日だから
『憂鬱天国』より、作詞:小西康陽
「知らんわ」ですよ。ゴルフなんてお前の都合だろうがー! お金がないとゴルフに行けない? 金がないならNo ゴルフ! 優先度判断バグってんのか? 百歩譲って貸してやろうか。十日で一割だぞ。糞が!
あるいはゴルフって会員制で明日その場でお金を払うとかでなく月だか年額だかで事前に納めているため明日その時点でお金のあるなしにただちに影響されるわけではないのかもしれません(私にゴルフ経験がなく、わかりかねます)。
お金がなくても、お金がかかる人付き合いを切れないのだとしたらそれは見栄、虚栄心といったものでしょうか。虚しき”兄貴”よ……(これはあくまで楽曲の中の架空の“兄貴”の話です)。
なんだか私までバグらせる狂おしい音楽集団、ピチカート・ファイヴのブルーな傑作。
青沼詩郎
『憂鬱天国』を収録したピチカート・ファイヴのアルバム『couples』(1987)
my blue heaven
PIZZICATO FIVE
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『憂鬱天国(ピチカート・ファイヴ』)