ラジオ『Spitz 草野マサムネのロック大陸漫遊記』(2024年9月8日放送)を聴いていたら素敵な曲が流れてきました。【夏の終わりソングで漫遊記】と題された放送回で一番最後にプレイされたのは、『山口さんちのツトム君』を作詞作曲したみなみらんぼうさんの楽曲『乾きゆく夏』。
少し前まで、みなみらんぼうさんのサブスクで聴ける作品はベストアルバムしかなかった気がしたのですが私の記憶違い? ここ何年かのうちに複数のオリジナル作品のサブスクも解禁されたのかもしれません。草野さんのラジオ“ロック大陸”放送で使われた楽曲『乾きゆく夏』が収録されたアルバム『あけぼの町日誌』もサブスクで聴けます(この記事の執筆時:2024年9月)。
乾きゆく夏 みなみらんぼう 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:みなみらんぼう。みなみらんぼうのアルバム『あけぼの町日誌』(1979)に収録。
みなみらんぼう 乾きゆく夏を聴く
途中で印象的につかわれている竪琴っぽい楽器はなんでしょう。フルサイズのコンサートハープという感じはしません。軽くて小型のものを想像させます。私の音の記憶の引き出しで近いものをあげるなら、木村弓さんが『いつも何度でも』で演奏したライアーでしょうか。
みなみらんぼうさんの『乾きゆく夏』で使われている竪琴っぽいサウンドは、パリっとしていてハリがあります。楽器の個性や録音のしかた、ミックスによってもサウンドが変わるでしょうからライアーではないとも言い切れないかわかりません。木村弓さんの『いつも何度でも』のサウンドは非常に柔和でやさしい感じがします。みなみらんぼうさんの『乾きゆく夏』の竪琴サウンドは、絢爛でかつ軽やか。曲名のとおり乾いた感じがします。東欧とかアジアも想像させますね。
イントロから5度、増5度、シックスと経由して戻るパターンで印象づけます。
みなみさんのリードボーカルはダブルのサウンドです。みなみさんの歌声は温かく素朴です。ポジション:音域が低くて落ち着いています。
またメロディが綺麗です。いろんなシンガーソングライターが自分が専らパフォーマンスすることを想定して書いた名曲が世にはたくさんありますが、みなみらんぼうさんの『乾きゆく夏』を聴くと、彼がいかに「歌い手を選ばない秀曲」を生み出すことに長けているかを実感します。フレーズごとの音形がととのっていて、そのリフレインのしかたに秩序や整然とした美しさがあります。みなみさんを形容するには、自由なシンガーソングライターももちろんあてはまりますが、作曲家という形容もしっくりくる理由がそこにあります。
“強すぎる光で 君の笑顔が 泣いてるように見える 渚の写真”(『乾きゆく夏』より、作詞:みなみらんぼう)
写真のなかの表情は見る人がどう思ってその写真を見るかで違って見えるのかもしれません。泣きたい気持ちで写真をみたら、なかの被写体のカオも泣いているように見えるのかもしれません。本当は笑っているのだとしても。
あるいは被写体も、泣きたい気持ちで泣いたみたいな表情で笑っていたのかな。泣き笑いの顔とでもいうのでしょうか。涙と笑顔は、必ずしも相反するものではないはずです。
“ピンで止めた君の写真がいつか 丸くめくれていたのに 気づかなかった”(『乾きゆく夏』より、作詞:みなみらんぼう)
時間の経過を思わせる情景描写が絶妙です。写真は瞬間を記録します。そこでなかの時間は止まる。活きて動いているものたちの時間は流れ、変化を経験します。
写真のなかの時間は固定されている。でも風景を固定した紙(写真紙)は歳をとる。めくれたりきばんだりすることもあるでしょう。
夏の記憶にアクセスしていないあいだにも、主人公にはさまざまな時間と体験が波のようにおしよせ、引いていきます。ふとまた次の夏、次の次の夏が来た時に思い出すと写真がめくれていると気づく。生きた体を持ったものの宿命が変化です。
青沼詩郎
『乾きゆく夏』を収録したみなみらんぼうのアルバム『あけぼの町日誌』(1979)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『乾きゆく夏(みなみらんぼうの曲)ピアノ弾き語り』)