一杯のコーヒーから 霧島昇 & ミス・コロムビア 曲の名義、発表の概要

作詞:藤浦洸、作曲:服部良一。霧島昇 & ミス・コロムビアのシングル(1939)。

霧島昇 & ミス・コロムビア 一杯のコーヒーから(『決定盤 大歌手 霧島昇全集 〜旅の夜風・誰か故郷を想わざる〜』収録、2020年)を聴く

エスピー盤とかでしょうかね、チリチリ、ズサァーというヒスノイズの最強版みたいな霧雨をかむったサウンドですがそれも味。

霧島さんの歌唱は極上のマイルド。コーヒー豆でいったら何かな、タンザニア・キリマンジャロとかでしょうか。ブラジルよりも魔性の誘因力がありますし、深煎りのマンダリンほどギラつく重みがあるわけでもありません。さらっとしているのに、品の深さでこちらの関心をひくのです。ジェントルですね。霧島さんの歌声みたいなオトナになりたいものです。

ミス・コロムビアって誰やねんとの思いで検索すると松原操さんがヒット(参考Wikipedia)。「覆面歌手」と呼ぶのですね。DTMerとか「歌い手」文化隆盛の潮流で、漫画やイラストタッチのアーティストアイコンで素顔や本名を伏せて音楽を発信する人が多くいる現代ではむしろ部分的、あるいは全面的な覆面が多数派かもしれませんが当時はどうだったでしょう、覆面歌手は珍しかったのかな?

『一杯のコーヒーから』。かろやかなサウンドで、高域の比重が大きく感じます。比較的マイルドに聴こえる手持ちのヘッドフォンで聴いても結構キンキンする。許容範囲ですが。

木琴の調子の良い密度あるトレモロが良いですね。エンディングのグリッサンドがキマッています。気分もはずみますね。アコーディオンが緻密に出入り。管楽器がメロウでなめらかな耳心地です。

女声と男声で番を分けて、オクターブ違いで歌っていきます。余談、先程検索したWikipediaページによればミス・コロムビアと霧島さんは実生活でも結婚したと記載しています……蜜月じゃんか。それは楽曲の世界とは別の話として……

歌詞 余裕で望みたい小洒落た時間

一杯のコーヒーから

夢はほのかに香ります

赤い模様のアラベスク

あそこの窓のカーテンが

ゆらりゆらりと ゆれてます

『一杯のコーヒーから』より、作詞:藤浦洸

「コーヒー」の主題は素案では「ビール」だったと書くWikipediaページがあります。日本人が会話でコーヒーと発語する際、語尾の「ヒー」を語頭の「コー」と同じくらい重めで長めに発語するように思いますが、楽曲『一杯のコーヒーから』ではまるで「コーヒ」と書きたくなる、まるで「公費」と発声しているみたいなイントネーションです。この公費……じゃなくて「コーヒ」の部分に、ビールという幻の素案タイトルの1語を当てはめるとピッタリ日本語のイントネーションが合います。まぁそれは余計な話かもしれません。

コーヒーを囲んだ、ふたりのまわりの情景と心象をつらねていく歌詞に品があります。

主題は恋でしょうけれど、描き方がさらっとしていて品があるのです。

コーヒーを囲むというのは、たとえばデートのプロセスであれば、比較的ハードルの低いトピックではないでしょうか。また、恋人候補の仲でなくとも、いろんな関係の人がコーヒーを囲みうるので、恋愛を描くことにスケベじゃない。

恋愛を描いているというよりは、人生を描いていて、そのかたわらにコーヒーがある。まるで、コーヒーを擬人化して、観察者の立場に置いたみたいな演出にも思えるのです。

アラベスクはアラビア風の、とかいった意味でしょうか。カップの模様かもしれないし、カーテンの模様なのかもしれない。カーペットとかラグの模様としてもありえそうです。「唐草模様」を想起させる場合もあるでしょうか。

いずれにしても、外来の文化にふれる、ちょっと小洒落ているが比較的にハードルの低いリラックスした時間を思わせます。

コーヒー飲みたくなるけど、ただコーヒーを飲むだけじゃ駄目だ。こういう、小洒落た時間になんの気の迷いや不安もまぎれこまない純白な気持ちで望めることが際たる幸せな瞬間だと思います。

青沼詩郎

参考Wikipedia>一杯のコーヒーから

参考歌詞サイト 歌ネット>一杯のコーヒーから

『一杯のコーヒーから』を収録した『懐かしのメロディー 霧島昇全曲集』(1992)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『一杯のコーヒーから(霧島昇 & ミス・コロムビアの曲)ウクレレ弾き語り』)