定番で世代がわかる合唱曲
私が中学生くらいの頃に親しんだ合唱曲は『Tomorrow』『翼をください』『旅立ちの日に』『心の瞳』『大地讃頌』などが思い浮かびます。中学校の合唱コンクールの、学年別で各クラス共通の課題曲として親しんだもの、あるいは自由曲として自分のクラスだけが選んだもの、あるいはそれとは違う他のクラスの自由曲に惹かれるなどのきっかけがあってもろもろの合唱曲にふれました。
大学を卒業してから数年、私は中学校の特別支援学級の生徒の学習活動を支援する仕事に就いたことがあります。TA(ティーチング・アシスタント)を思い浮かべてもらえれば近い観念の仕事でしょう。多様な教科の学習をする生徒たちですが、かれら特定のクラスに一日ずっと付き添うので、あらゆる教科を再体験……いえ「改めて」「新しく」体験するという面白い仕事でもありました。一緒にプールに入ったりマラソン大会に出て伴走したりもした思い出があります。
音楽の授業もあるので、彼らの世代がふれる定番なる曲を知る機会がありました。その時にふれたひとつで、記憶に残る曲が『大切なもの』です。これは私自身が中学生の頃には世に出ていなかった曲です。
大切なもの 合唱曲 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:山崎朋子。合唱曲。2006年に教育芸術社から出版。
合唱曲 大切なものを聴く
早稲田実業学校音楽部合唱班
パートごとに整った声色で実に心地よい歌唱です。ステージを天井から吊ったステレオマイクで収録したような定位で、左が男声、右が女声(ソプラノ)、中央よりやや右寄りが女声(アルト)、中央よりやや左寄りにピアノといった様相の左右のバランスを感じます。実際のステージ配置はピアノが完璧に左(下手)なのかもしれませんが、ヘッドフォンで聴くにそんなに極端に左ではなく中央付近からにも感じるような安定感あるバランスです。
何回・何時間練習したらこんなに声が揃うのでしょうか。もちろん『大切なもの』だけでなく、日々多様なレパートリーを練習する積み重ねがこの『大切なもの』の実演に結実しているのでしょうが……
調和を重んじるのが合唱の歌唱でしょうから、1本のリードボーカルで魅せる大衆音楽の腕前の価値観とは違った評価軸があります。
特筆は、声部が違ってもキャラクターがばらばらしていないことでしょうか。男声・女声で歌っているメロディの動きが独自のものになる瞬間も、人格を一つにするパフォーマーの平行世界が同時に流れているのを見ている気分です。
アルト(内声の女声)は人数的に少なめなのかもしれません。声量のバランスとしては外声のかすがいになる役割に自覚的な、見事なバランス感の声量と声質です。
ピアノ伴奏者がざっとCDの販売サイトなどで見ても特記されていません。部員の生徒の一人が弾いているのか、あるいは顧問の先生が弾いているのか未確認です。合唱を食うでもなく、平静を保ち、しかし前奏などの平静さの内に秘めた情動の豊かさを確かに顕現させる確実なピアノ伴奏です。指揮は佐藤洋人さん。
山崎朋子、調布市立神代中学校合唱部
演奏者に作曲者の山崎朋子さん自身と思われるクレジットのある配信音源を見つけました。
教室の中で生徒たちの正面に座って目の当たりにしているような音の空間。これだけでこみあげる感慨があります。ステレオのボイスレコーダーで瞬間をそのまま記録したような音源です。
はっきりと右に男声、左に女声のセパレーションがあります。内声はやはりぐっと抑えてかすがいを担うバランス感。ピアノはもちろんというのかやや左寄りな印象。
山崎朋子さんがこの音源の演奏者名に含められているのは、ピアノ伴奏を担われたのでしょか。合唱のド定番様式である4分打ちのビートを確かな輪郭と音量、感覚で安定して出していく、フィジカルの強さのある伴奏です。
あとがき
4分打ちの合唱曲は金太郎飴みたいに思える向きもあるほどひとつの確立した様式だとも思います。世代によって定番に違いがありもする、合唱曲のひとつひとつに味わいの違いを見出すのも鑑賞の楽しみかもしれません。歌詞もおおむね、卒業シーズンに、自分たち自身の心に向けたもの、級友に向けたもの、保護者や指導者に向けたもの、いずれともとれるもの……となると平らなデザインになりがちです。だからこそ多くの人に響くともいえますし、聴き手を選びません。暗に「卒業シーズンに聴く・演奏する」という前提があるから誘いやすい感動もあるかもしれません。それだけ多くの人が普遍的に卒業という人生の節目を経験しているのって、ある種異常……というと言葉が悪いかもしれませんが、奇跡じみて思えもします。この国の学校教育の構造ですね。
青沼詩郎
指揮:佐藤洋人、合唱:早稲田実業学校音楽部合唱班による『大切なもの』を収録した『もう一度、みんなと歌いたい。クラス合唱 名曲集<混声合唱編>』(2021)