まえがき

言葉の引っかかりこそ、至高の音楽的要素であるのを思い知る井上陽水さんの語彙感覚が痛快です!時代を思わせるサウンドに乗って。

愛されてばかりいると 井上陽水 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:井上陽水。編曲:川島裕二。井上陽水のアルバム『LION & PELICAN』(1982)に収録後、シングルバージョンをリリース。

井上陽水 愛されてばかりいると(アルバム『LION & PELICAN』収録)を聴く

あらためてヘッドホンで集中して聴いてみて今更気づきましたがこれ、打ち込みとシンセサイザーのみでバックトラックが構築されているようです。ミャウゥーンとテクスチャをグラデーションで引き摺るように変化していく長い音符のような音。電話のコールなのかなんなのか、プルルとでも擬音表現したらよいのか、謎の電子音っぽい音色。ポヨポヨ、こよこよ、これまたなんと擬音表現したらよいものか頻繁に入ってくるゆらめく音色の合いの手。金管楽器ふうの音色。エレキギターっぽくズビーっと歪んだ幅と存在感と伸び・コシのある音色。でんでん・ぶんぶんとひたすらにニュアンスの同じストロークをまっすぐにつらねるベース。これらぜんぶシンセサイザーの音だと思います。

デシデシと質感のファットなドラムトラックも打ち込みでしょうか。手打ち中心に、音形が細かすぎるところは打ち込みしたものなのか16分音符の連打でフィルインするところなど機銃掃射みたく直線的で間断ありません。右と左に振り分けたサイズ違いのタムタムでリスナーの両耳をシェイクするのは基本パターンに含まれて頻繁に私に襲いかかります。臨場感あるサウンドですがこれも打ち込みの音でしょう、サンプル音なのかシンセなのかでいったら……シンセ(合成・生成された)音かなと思いますがいかがか。リズムマシンの名器などにこんなドラムトーンもバンクされているのかしら。

このまっすぐでシンセたっぷり、デジタルな冷感に私はYMOのサウンドを思い出します。間奏のところで何か、人間の声(陽水さんの声?)がぶつぶつぼやいています。このしゃべりの演出までYMOの名曲『君に、胸キュン。』を私に猛烈に思い出させます。

編曲者の川島裕二さんとYMOの影響を関連づける言説は私の安易なネット検索ではあまり確認できませんが、1983年のセンセーショナルなYMOの「散開」に至るその活動期間、この『愛されてばかりいると』を収録した井上さんのアルバム『LION & PELICAN』(1982)の発表時期を並べてみても、お互いが影響しあって自然といえる、極めて同時代・同時期の動向だと考えても大きな的外れではないと思えます。

フォークギターをかかえて、異次元からの声を抽出するみたいな井上陽水さんの独特なイメージを塗り替える、このシンセ中心の『愛されてばかりいると』のサウンドもまた私にとってセンセーショナルです。井上陽水さんの作品こそ、時代によって実に多様です。長いキャリアで変化・進化・挑戦を続けているであろうとも思うし、そんなおおげさな話ではなく、単に引き寄せられるほうへ身をまかせるように、時代の舟にゆられながらリスナーを同乗させるのが井上陽水さんという異次元のメディアなんじゃないかな。

青沼詩郎

参考Wikipedia>LION & PELICAN

参考歌詞サイト 歌ネット>愛されてばかりいると

井上陽水 公式サイトへのリンク

『愛されてばかりいると』を収録した井上陽水のアルバム『LION & PELICAN』(1982)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】愛されてばかりいると(井上陽水の曲)ピアノ弾き語り』)