これもあれもたぶんきっと
松坂慶子さん、役者業だけじゃなかったんですね。
ふだんテレビを見ない私。実家で食事したときにリビングでついていたNHKの歌番組(“うたコン”といったか)。その番組で女性歌手のヒット曲特集のような形で紹介されていたのが本曲『愛の水中花』。残念ながらその日の放送回に松坂慶子さんのスタジオ出演はなく、ただの特集映像(編集版)のなかでの登場だったのですが、「〇〇〇愛」の形式で4度繰り返すサビの愚直なまでの純情ぶりが一瞬であろうとも私の印象に強く残りました。
“これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛”(『愛の水中花』より、作詞:五木寛之)。「これも・あれも・たぶん・きっと……」と、反復の刷り込みが強烈な割には「愛」に自信がなさそう。曖昧模糊として、不定形で、輪郭や境界がはっきりとしないのもまた愛の真実を巧みに捉えての表現といえましょう。
これぞ歌謡曲といっていいのかわかりませんが、期待した通りの展開が期待した通りにやってきてくれる気持ちよさ。1番と2番で歌詞の字脚(母音の発音数)が合っているのは当然のこと、メロディの抑揚と言葉のアクセント、イントネーションなどもうまく機能してはまっているように思います。自分自身が実演家を兼任するシンガーソングライターやバンドマンによる作詞作曲作品は字脚や歌のリズムがコーラス(番)によって不規則・イレギュラーになりがちですが、こういった歌の輪郭がはっきりとしている(番によって細部が揺らぎがない)特徴による安心感、気持ちよさが認めうるでしょう。こういうものを“歌謡曲”と認定して然るべしではないでしょうか。
マイナー調の響きの臭みも歌謡曲らしさの一端だと思うのですが、その水面下に隠されている本質は悲哀です。飛躍がすぎるかもしれませんが、令和時代を代表する大衆音楽作家、米津玄師さんの作品にみるマイナー調の響きの奥にあるのも本質は悲哀であるという点においては昭和の歌謡曲と通じているのではないでしょうか。
本曲『愛の水中花』の作詞者はTBSドラマ『水中花』の原作小説となった同名小説の作家の五木寛之さん。そのドラマなり映画なりの原作だったり脚本だったり監督だったりが主題歌の作詞を担当することは、作品として全体の統一感を保証するどころか作品の本質を抽出して意匠化する確実な手法となるわけです。
愛の水中花 松坂慶子 曲の名義、発表の概要
作詞:五木寛之、作曲・編曲:小松原まさし。松坂慶子主演のTBSドラマ『水中花』(1979)主題歌、松坂慶子のシングル(1979)。
松坂慶子 愛の水中花(配信『昭和の歌姫伝説 コロムビア編』収録)を聴く
羽田健太郎さんがこういうソロピアノ弾きそうなイントロとエンディングがリスナーを水中へ誘い、水中から送り出します。マンドリンのような複弦楽器。クラヴェス。フルートにホーン。ストリングスは高音低音出所がそれぞれにあってピツィカートによる表情の変化も絶妙。アコースティックギターが右に定位して響きとリズムの恒常を保証し安定を担います。ドラマ『水中花』は水商売の物語だといいますが、さまざまな客が出入りして大小さまざまなトラブルが起こる?!お水の世界のマーブル模様を想像させるみたく、多様な特性を持つ多様なパートがリスナーの意識を出入りし入れ替わり流れていきます。
こうした多様なサウンドを松坂さんのリードボーカルの甘くスムースな歌唱がひとつなぎに統率します。非常に気持ちの良い力加減と質感の歌唱です。ダブリングやハーモニー、余計なバックグラウンドのコーラスはなく夜の孤独な哀愁を思わせます。音楽の意匠や様式面でも、ジャンルをはみ出すような特異性があるのではありませんがそうした様式美やジャンルの向こうにある悲哀へのリスナーのアクセスをスムースに誘う完璧なまでの編曲美、録音作品としての審美が尊いです。そしてサビのこれも、あれも、たぶん、きっとに続く“愛”。記憶に残る一曲なのは、愛のあいまいさとどこにでも神出鬼没にあらわれては私たちを幻惑し幸福へ誘う真理を掴んでいるからでしょう。たやすく言わないようにしている「名曲」の称号にふさわしい一曲です。
青沼詩郎
『愛の水中花』を収録した『エッセンシャル・ベスト松坂慶子』(2007)
『昭和の歌姫伝説~コロムビア編~』(2025)