まえがき 眠れる夜に、眠る夜。
したいことがあるのに、できないことがあります。それは、願いが本当の望みでないのかもしれません。
私の願いや望みが、いつも私にふさわしい内容とは限りません。見誤ります。背伸びします。身の丈未満に縮こまります。私の姿を、私は案外知らないものです。
目を空に浮かべて己を見る。それがかなえば、己の姿を把握できます。それなのに、私の目は顔面についている。おもに、左右への広がりや上下を、前方を中心に見ることに長けたつくりになっている。それは私の望んだつくりなのでしょうか。初めからそうだったのでしょうか。願ったら、別のものになれるのでしょうか。
眠くなったら眠ればいいのです。眠くなければ、起きていればいい。好きなことをできる環境なら、すればいい。疲れたり、冗長になってきたりしたら、そのとききっと眠りはやってきます。
いつもは眠っている時間なのに、眠気が来ないとき、その原因は不安かもしれません。決まった時間に寝て起きる安心な毎日を過ごしていれば、明日もあさってもそうなる可能性があります。でも、何か、毎日とちょっと違った刺激があると、そのリズムが乱れることもあるでしょう。
同じに見える毎日でも少しずつ違うはずです。でも、空に浮かべた目で見ても、私の毎日はどれも似ているのかもしれません。
失恋が眠りを乱すこともあるでしょう。気持ちの動きは、眠りに大きな影響を与えます。感情は目にみえないものかもしれないけれど、確かにある。それ次第で、私の眠りは上下・左右し伸び縮みするのです。
感情の波形を保って、決まった時間に寝起きしたら、恒常の観点では良いのかもしれません。長く、平らな命をまっとうするのなら望ましい生活です。
恋は、気持ちを乱します。それが欲しくて私は恋をするのでしょうか。恒常は理想のようにも思うけれど、変化を望む心もあります。恋は好奇。好奇は恋。
気持ちをおだやかに、恒常を保ちたい。どこかでピョンと飛躍して、新しい地平に進みたい。相反する思いを私は持っています。恙無い休養。命を燃やす前進。眠れる夜に、眠れぬ夜。
曲の名義など
作詞・作曲:小田和正。オフコースのシングル、アルバム『ワインの匂い』(1975)に収録。
オフコース『眠れぬ夜』を聴く
イントロのシンセが存在感あります。曲の顔でしっかり印象づけます。ピアノのダウンビート。ハイポジなアコースティックギターがアップビートで各拍のウラを打ち、補完しあいます。これを背景にシンセが乗ります。
きらびやかなアコースティックギターは12弦ギターでしょうか。キラキラとしたトーンです。ピックで弾いた感じのアルペジオ。ピアノの音も明るく抜けています。アコースティックギターと合わさってひとつ音の房を形成しているようにも感じます。
ベースのポジションの取り方が非常に独特です。強拍以外でコードの根音以外を用いて徘徊します。時空を自由に行くベースです。第5音が目立つでしょうか。浮遊感あります。サビではアップビート。ウラ拍を強く出します。
ベースの自由さの補完といえるかわかりませんが、コーラスに厚みがあります。歌詞、アー、ウー、ハーと色あいを変えながら声のハーモニーで音の壁を成します。ベースが根音をスポット(点)したら、あとは壁にお任せする。ミュージシャンの個性の集合。オフコースのバンドとしての魅力を感じます。
ドラムスは実直です。四つ打ちのキック。安定の象徴です。サビではスネアも強拍4つ打ちでしょうか。繊細に感情の綾を表現するハーモニー。ヒットアンドアウェーする気ままな猫のようなベース。それらをまとめあげて、何かあったらいつでも帰るための基地となる。大地や母艦のようなドラムスです。
シンセサイザーなど鍵盤の類が色彩でしょうか。ポッポッと笛っぽいトーンのアクセント。2コーラス目のメロに目立つのはピィーーとサスティンするオルガンのトーン。コーラス間には冒頭のシンセが帰ってきます。低音のほうでクラビネットのようなトーンがジーンと響きます。骨格と壁に色をのせる運び。ときに単色、ときにグラデーション。
エレクトリック・ギターはリズムで絵を描き込みます。非常に緻密です。16分で歯切れの良いオルタネイトストローク。空間にアクセントを添えます。ハチドリのような存在感。泣くような鋭さある音色でもあります。
メイン・ボーカルはダブって輪郭を立体にしています。クールなボーカル。理知、抑制、平静を感じます。恋をやや俯瞰したような立ち位置。曲想をよく表現しています。
総観して、粒立ちや喉越しがよいアレンジメント。爽やかなボーカルポップスに仕上がっていると思います。
構成
イントロ(10)、A(16)、B(8)、A’(7)、間奏(8)、2A(16)、2B(17)、 3B 【F.O.】(9〜)
※カッコ内は小節数。
Gメージャー調、4分の4拍子。
イントロ
上下や跳躍が目立つメロディ。動きの多いモチーフです。順次進行でなめらかさを感じるところもあります。下の導音まで用い、広い音域にわたるモチーフ。折り返しのフレーズ頭に準固有和音(Ⅳm)の和声音を交え、表情に幅を出します。主音の低音保続上で、細かく食ったリズムでコードチェンジ。
Aメロ
同音連打、強起のメロディ。3小節目のあたま(“ひざま「づ」いて”)で4度上行。4小節目4拍目、弱起で次のモチーフ(“わすれて”)が登場。オクターブ跳躍です。“わすれて”、“ほしいと”と、同じ音形をリフレインします。“なみだながしても”となめらかなモチーフで半終止(属和音で読点)。
折り返しはおおむねこのパターンの相似形ですが後半、“あれがあいのひびなら”で音形を短い周期で連ねます。前半のこの部分(“わすれて・ほしいと”)が2つの波だったなら、同じスペースに3つのメロディの波(“あれが・あいの・ひびなら”)を寄せています。波と緊密させて高揚感を演出。さらにBメロにつなぐ和音は緊張感の高いⅢ7(B7)。Ⅵmに進行したくなる副Ⅴ(セカンダリー・ドミナント)です。
Bメロ、A’
強起フレーズではじまるBメロ。いきなり4度上行(“あ「い」にしばられて”)です。山なりでおおむねなめらかなメロディ。次の“うごけなくなる”は“うごけ”と“なくなる”の間で6度下行しています。上のほうと下のほうに分かれてモゾモゾするモチーフです。Aメロが上行の跳躍で印象づけるメロディだったのに対し、Bメロは下行の跳躍で印象づける点において、Aメロとの対比が見出せます。
折り返しの“「な」にげない”は8分音符ひとつはみ出させた弱起になっておりやや勢いづいていますが、2コーラス目以降のBメロの同じ部分(“わすれかけてた”)が強起になっています。モチーフの反復形としては強起でそろっているほうがより厳密です。どちらかといえば1回目のBメロのはみ出しをバリエーションとしてとらえるのがよいのか……軽視して問題ない差異でしょう。歌詞に合わせてフィックスしたのかもしれません。小田和正の作詞・作曲における柔軟な姿勢がうかがえます。
1Bメロのむすびは“きずつけてゆく”でⅥm(Em)へ進行。偽終止にしておいて、後続のA’の全終止にすべてのカタルシスを託します。解決する主音(Gメージャー調なので「ソ」)も上のほうの音域です。そのまま、神々しいコーラス。ベーシック・リズムが引っ込みます。続いて、イントロシンセモチーフの再現。2Aへ突入します。
俯瞰して気づいたのですが、イントロと間奏は軽視するとして、ABメロで全終止(Ⅴ→Ⅰ)しているのは1B後のA’の結びの部分だけです。ABメロで半終止(→Ⅴ)、偽終止(Ⅴ→Ⅵm)、変終止(Ⅳ→Ⅰ)、セカンダリードミナントの解決などの運びはあっても、スッパリとした全終止が1B後のA’だけなのです。
2AB以降においても、Ⅵmやブレイク(休符)してのⅣなどへの進行をとっており、完全な緊張の緩和を放棄しています。
この1Bメロ後のA’が、この楽曲のハイライトです。メインボーカルも歌詞“できはしない「さ」”で全音符の長さを伸ばしています。曲中のメインボーカルで最も長い音符です。歌詞については後述しますが、“誰も僕を責めたりできはしないさ”こそ、観念上の動機・曲想の中核であり、主人公の最たるアティテュードだと感じます。決別やせつなさを受け止め、前を向いて開き直っています。エネルギーを感じる部分です。
1AB後のA’、つまり曲の真ん中あたりにピーク(頂上)のある図形を想像します。あとはもんもんと眠れない夜に回顧をつづけている……なかなか苦しい結末の曲のようにも思えます。主人公の越えるべき壁は、ここからなのかもしれません。
歌詞
“たとえ君が目の前に ひざまづいてすべてを 「忘れてほしい」と 涙流しても 僕は君のところへ 二度とは帰らない あれが愛の日々なら もういらない 愛にしばられて 動けなくなる なにげないことばは 傷つけてゆく”(オフコース『眠れぬ夜』より、作詞:小田和正)
強い決別を示します。主人公を束縛する関係。心理面、身体面の束縛を想像。いったいどれほどの負担をもたらした日々だったのでしょう。不安、焦燥、落胆、不快。人との関わりや交際につきまとう情動は忙しいもの。一方的に主人公にもたらされた、望まない出来事でもあったのでしょうか。誰かが人に“ひざまづく”場面は日常では稀です。「ひざまづく」のはかなり極端な態度の示し方ですが、それをもってしても、主人公の許容には足らない様子。
“愛のない毎日は 自由な毎日 誰も僕を責めたり できはしないさ”(オフコース『眠れぬ夜』より、作詞:小田和正)
主人公の自尊心を感じます。不自由からの解放が、作曲面でも表現されています。先述の全終止の部分です。愛は自由を縛るものなのか。かたちのない観念が愛です。人やその関係によっては、鎖や縄の姿をしているのかもしれません。常に姿を変えながら、移ろっていくもの。それが愛の一面かもしれません。一時は鎖や縄のような姿だったものも、結び目や織物のように何かを繋いだり包んだり、保持したりするものに変容するかもしれません。主人公の未来を思います。
主人公の云うこの時点での「愛」は、お互いを責める瞬間を含む関係。確かに、それも一理あるかもしれません。距離の近さゆえに、責め合うこともあるでしょう。愛それ自体も、表情や態度を変えるのです。
“それでもいま君が あの扉をあけて 入って来たら 僕には分からない 君のよこを通りぬけ とびだしてゆけるか 暗い暗い暗い 闇の中へ”(オフコース『眠れぬ夜』より、作詞:小田和正)
主人公に許容し難いものをもたらした日々が愛だったのかもしれません。けれど、望むものもきっとたくさんもたらしたのでしょう。ここで主人公が君と対峙することは、望ましいものを与えてくれた愛が強く出ているようです。主人公の決別心を揺るがすのでしょう。
扉は、主人公の心の入り口の比喩ともとれます。一度、心の外側に排除したはずのものが、ふたたび入ってこんとする場面。主人公にはそれを退け排除する意思がないのかもしれません。だから、逃避するのです。相手を退けるのでなく、自分が相手と入れ違って去っていく。しかし、そこにも恐怖や不安があるようです。外は暗く、先が見えません。希望を見いだせないのでしょう。いっぽう、君との間柄に感じた希望が主人公には記憶されているはずです。
自分の部屋=心を飛び出して自ら去り、未知の場所へ行くのは変化の希求かもしれません。過去の良かった記憶と、変わりたい願望がせめぎあいます。でも、変化の矛先がわからない。暗いのです。様子がわかっているぶん、過去の甘美さが際立ちます。
“眠れない夜と 雨の日には 忘れかけてた 愛がよみがえる”(オフコース『眠れぬ夜』より、作詞:小田和正)
記憶にある蜜の甘さ。良かった思い出。愛の安堵。それらの比重が増して感じられるのは、現実が厳しいとき。厳しさを際立たせる条件のとき。雨や不眠は、人にうしろを向かせます。
低気圧は心理にはたらきかけます。気圧は物理。体に影響を来すのは思い込みではなく、物理でしょう。雨の日は頭が痛いとか、調子が悪くなるとかいったことがあるのは科学や理屈で証明できそうです。
雨や不眠はきっかけでしかなく、回顧は己の願望なのかもしれません。引き金を、そうした気象や心身の諸条件に引かせているだけなのです。あるいは、ほんとうに雨や不眠が回顧を促すのかもしれません。にわとりが先か卵が先か。眠れないからあなたを思い出すのか。あなたを思い出すから眠れないのか。ふたつは、関係があるのか。理屈が立ち、統計がものを云うけれど、科学や理論で証明できないものごともあるかもしれません。
晴れの日や、安眠の最中やその前後に愛の記憶が蘇ることだって、あってもいいはずです。でも、身の回りが厳しい条件のときと、何かを結びつけてしまう。記憶の主人の意思なのか。無意識に意図はないのか。もちろん、雨の日や夜更かしした日に相手と実際に過ごした体験があれば、関連付けは明らかです。
“忘れかける”程度には、期間の幅がありそうです。それをもってしても、未だによみがえる愛。きっかけさえあれば、記憶を引き出すのは一瞬。
きっかけが生じるのは、偶然のこと。偶然を引き寄せるのは、行動の方針。種をまけば、芽が出ます。果てるものもあるけれど。
あとがき 柔らかさと冷やっこさ
小田和正の描く曲想、歌声にはクールで理知的な印象を抱いていました。オフコースの『眠れぬ夜』は、サウンドに丸みのある印象が残留します。
愛の感傷を扱っていますが、ぎすぎすせず、触り心地に配慮を感じます。センシティブな主人公を描いていても、商業音楽を送り出すつくり手の総意が滲んだり映り込んだりして曲が仕上がるのでしょうか。
私はソロの小田和正の印象が強くて、オフコースの印象が未形成でした。槇原敬之が影響を受けたものにオフコースを挙げていると最近知って、異なる出自のもののあいだにつながりを見出し、オフコースへの関心も強まりました。なるほど、言われてみると槇原敬之の音楽にはオフコースの世界が映り込んでいる気がします。メロディに宿る情動に共鳴を感じるのです。
ソングライティング面では、言葉も音楽のように扱う態度を感じます。私のフェイバリット・ミュージシャンでいうと、岸田繁(くるり)、奥田民生などにもそうした姿勢を感じることがあります。言葉と音楽の関節が柔らかいのです。その柔軟さが、なぜだか小田和正の場合はクールな響きを私にもたらします。声質のせいでしょうか。透明ですし、ポジション(声域)高めです。感情表現の関節も柔らかいから、クールさを保てるのかもしれません。
青沼詩郎
『眠れぬ夜』を収録したオフコースのアルバム『ワインの匂い』(オリジナル発売:1975年)
『槇原敬之 歌の履歴書』(ぴあ、2021年、著:小貫信昭)。
『眠れなくても、まぁいいか』(飛鳥新社、2018年、著:クスドフトシ)。「眠れぬ夜」で真っ先に思い出しました。出会う動物たちが安眠法を主人公に教えてくれる内容。極めつけは表題のとおり、眠るのを気負わないこと。
ご笑覧ください 拙演