歌は窓

歌は絵空事を描くことができます。別の世界の架空のお話を敷いて、架空の登場人物を動かし、それを切り取って構成するソングライティングも魅力的です。

反対に、実在の世界や登場人物のたちふるまいを題材に歌を書く方法もあるでしょう。

固有の特定の地域を題材にたくさんの歌をつくる試み。私が敬愛する永六輔、いずみたく、デューク・エイセスが『「にほんのうた」シリーズ』として発表しました。1960年代後半のことです。

ほかでもない、私の住む国・日本の都道府県(地域)それぞれを映した歌たちです。『いい湯だな』は群馬を映した作品で、すでに私のフェイバリット・ソングのひとつでしたが、最近『女ひとり』が京都を映したこのシリーズ作品のひとつだと知りました。渚ゆう子が歌ったもので出会ったのですが、元がこのシリーズ作品だと後から気づいたのです。“大原” “三千院”など、歌い出しから固有の土地・スポット名が出てきます。

私は音楽が好きなので、自分が手を伸ばした歌が題材としたもののなかに、実在の人物や地名、史実などが含まれていると興味が湧いてきます。

反面、かつての私は歴史に地理に大変疎い人でした。今でももちろん疎いままですが、かつてよりは多少ましになったと思っています。それは、敬愛する音楽作品一つひとつとの出会いが、学び、知る機会をもたらしてくれるからです。己の意志で作品と対峙したとき、その窓の向こうにある、題材となった固有の土地や人物・出来事などのことがらに、はじめて積極的な興味を抱けるのです。

昔の自分の愚かさを思うと後悔が匂いますが、昔の私が現在の私に、出会いの機会をまわしてくれていたのかもしれません。その時の私にとっては、きっともっとほかの関心時があったのです。しかるべきとき・ところに、しかるべきものが巡るのです。音楽は私にその気づきをくれます。

『女ひとり』発表の概要、作詞者、作曲者

作詞:永六輔、作曲:いずみたく。デューク・エイセスのシングル(1965)、アルバム『にほんのうた』(第一集)(1966)に収録。1965〜1969年に発表された『「にほんのうた」シリーズ』で京都を歌った作品。

デューク・エイセス『女ひとり』を聴く

2拍目のオモテをあけた「タ、ンタ、タ、タ」の伴奏のリズムが印象的。Bパートではこのリズム定型から解放されて、優雅で自由な印象になります。

伴奏のリズム形。クラシックでも聴き覚えのあるリズム形なのですが……(※)

(※)ビゼーの歌劇・カルメンのハバネラ「恋は野の鳥」。こちらは2/4拍子でした。

冒頭のお琴の音も優美です。間奏ではフルートがAパートのメロディを奏でたあとにBパートのメロディをお琴にタッチ交代。バトンを渡します。

チラチラとグロッケンシュピール。ボーカルメロディのすきまに合いの手します。

ホォーーンと心地よいのはヴィブラフォンでしょうか。フェルトや布・糸など、衝突音が柔和になる素材のマレットを想像します。

男声コーラスグループだけあって、ハーモニーの美しさがばつぐんです。十二平均律以上の美しさが匂う純正なピッチを感じます。Gメージャー調で演奏していますね。

イントロのお琴は特にペンタトニックが匂うモチーフです。レミソラシレミソラ、ラソミ……。

イントロ、お琴のモチーフ。

ボーカルメロディもⅳ、ⅶを除いた音階音で紡がれます。ヨナ抜き音階ですね。“恋に疲れた”の「つ“か”れた」の「か」だけはⅶを非和声音で用いています。おしゃん(オシャレ)なスパイス感。清涼が漂う一瞬です。

Aメロのボーカルメロディ譜例。ペンタトニックを主に、わずかな逸脱がオシャン(おしゃれ)。

1番・2番・間奏・3番の構成。各コーラスはA・B・Aの部品の組み合わせです。Aが6小節のまとまりをなしており、対するBは4小節。6+4+6=16小節というお勘定が立ちます。全体のおさまりがきれいです。

Aパートの冒頭は主和音(Ⅰ)で安定。Bパートの冒頭がⅥm。AもBも冒頭がトニックの和音ですが、メージャーコードとマイナーコードの性格の違いで変化が出ています。BパートはⅥmとⅡmを繰り返すのみのコード進行で帰結感がありません。ふわっとさせて、Aパートに戻ることで安定感を取り戻します。

歌詞にみる土地、着物、帯

“京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり”(デューク・エイセス『女ひとり』より、作詞:永六輔)

大原、三千院とはどんな土地なのでしょう。大原観光保勝会が動画をアップしています。

三千院

リンクの動画の2:55頃〜に登場する三千院。広い畳。ととのえられた庭の大小の植樹。小さいものは丸く刈られています。庭の池にL字に沿うように縁側が対峙する建物。庭は植栽が多くみえますが静けさと風通しの良さも想像します。手が行き届いて綺麗な景観です。観音堂があり、円融蔵が映ります。天井(屋根の裏側?)に絵が描かれたような様子がうつります。空色を基調に花びらが散ったような模様にみえる不思議な絵です。浮遊してみえるモチーフがクリオネなどの海の生き物にも似て見えます。

大原

大原観光保勝会のイラストマップを見るに、高野川を中心に寺院や神社があるのどかな土地のようです。京都駅周辺の市街地の真北よりもやや東。鴨川・高野川のY字合流地点よりも北北東といった感じです。京都市の中では南北でいえば中央、東西では東か。やはり大原観光保勝会のアクセス図がわかりやすいです。

歌詞の情景に話を戻します。こんな土地に、“恋に疲れた女がひとり”。さまざまな事情のさなかにある人たちを、何世紀も抱擁してきた土地なのかもしれません。

“結城に塩瀬の素描の帯が 池の水面にゆれていた”(デューク・エイセス『女ひとり』より、作詞:永六輔)

“結城に塩瀬”とは。きものカルチャー研究所の記事『703.大島紬・結城紬・塩沢紬』が、歌詞の1〜3番に出てくるきものの特徴を伝えてくれます。結城は落ち着きがあってオトナな感じでしょうか。場になじみ、調和する印象です。結城は茨城なのですね。塩瀬は新潟県五泉地方か(参考:腰原きもの工房)。

「結城 きもの」「塩瀬 素描 帯」などで画像検索した図をみると、おとなしくおちつきのある色味のきものに、帯のシンプルな墨絵が映える感じ。彩度が抑えられていて、自己主張よりも調和を尊重する態度を示せそうな組み合わせです。

しおらしい……控えめで慎み深い複雑なの感情の綾。

“恋に疲れた女”の心模様を、きものや帯の色彩・図柄が語っているかのようです。きもの姿の彼女が、三千院の池の水面に映った光景を提示する歌詞です。

栂尾 高山寺

“京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり 大島つむぎにつづれの帯が 影を落とした石だたみ”(デューク・エイセス『女ひとり』より、作詞:永六輔)

2番はかなり西へ移りました。1番の大原よりも山が深まった感じでしょうか。“日本ではじめて茶が作られた場所”(栂尾山 高山寺 公式ホームページより)とも。この地域の茶摘みのシーズンは5月のようです。

「栂尾 高山寺」の画像検索で紅葉の写真がたくさん出ます。冬は寒そうです。

出てくるきものは大島つむぎ。鹿児島県のものなのですね。大島は奄美大島のことのようです。

画像検索でヒットする「大島つむぎ」もまた渋い。正方形を45度回転させ、頂点を天に向けたような図柄もあるようで、こういった柄も大島つむぎなのでしょうか。色も落ち着きある感じです。やはり1番同様、“恋に疲れた女”のこころ模様をきもので演出しているように感じます。でも、1番の結城ともまたちょっと違う。心のさまざまな表情、角度による見え方の違い、その奥深さを思います。

“つづれの帯”は、つづれというくらいですから、複数の材料(糸?)を連続させてあわせて織った品物のことでしょうか。

株式会社 浅田 京都西陣 つづれ帯をみるに、“金・銀糸の入っていないものは、紬や大島などのおしゃれ着にもお締めいただけます。”とあります。大島つむぎとの相性が認められるようです。

花邑の帯あそび>帯の種類-綴れ帯- をみるに、“「綴れ帯」は手間をかけることによってより芸術性のある、格調の高い帯になります。”とあります。希少でありがたく、独創性の高い帯であることが想像できます。

大島つむぎやつづれ帯が醸す高級感や稀少性と、写真などから窺い知れる栂尾・高山寺の孤高感・尊さ・険しさ・厳しさを感じる土地柄が、舞台と登場人物を引き立てあっているように思えます。

“恋に疲れた女”の輪郭は、2番では石だたみに影となって映ります。1番では水面でした。2番でも、間接的に彼女の姿を描いています。彼女本体の外側にある情景をみせることで、彼女の表情を聴く者に想像させる描写です。漫画作品などでも、登場人物の表情をあえて描かない手法をしばしば見ます。歌でこれをやったのが、本作の歌詞かもしれません。高山寺の石だたみが、ここではスクリーンの役割です。彼女のアウトラインを投影しています。

嵐山 大覚寺

“京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた女がひとり 塩沢がすりに名古屋帯 耳をすませば滝の音”(デューク・エイセス『女ひとり』より、作詞:永六輔)

大覚寺は2番の高山寺からみると真南でしょうか。紙ヒコーキ目線で大覚寺の様子が見られる不思議な動画を旧嵯峨御所大本山大覚寺チャンネルが公開しています。

広大な敷地に点在する建物どうしを、屋根つきの渡り廊下が接続している感じです。歴史もののファンタジーのゲームやアニメ・映画などに出てきそうな建物の様子。紙ヒコーキが出演(?)し、滑空する目線がスピード感あります。(大覚寺ホームページ>参拝・アクセス>お堂エリアのご案内のイラストが域内を把握しやすいです。)

こんな映像もありました。観月の夕べとのこと。大沢池が灯りを反映し幻想的です。池を囲んでか囲まれてか、関係者や観覧者ふうの人々の影。

恋に疲れたときにこんな場所にたたずめば、その広さや漂う歴史の層の厚み、日常の延長にある非日常的な雰囲気から冷静な気持ちや自己俯瞰を取り戻せそうです。「嵐山 大覚寺」で画像検索するに、紅葉や桜のシーズンも景観がなお良さそうです(大覚寺ホームページ>参拝・アクセス>大沢池エリアのご案内のイラストが域内を俯瞰しやすいです)。

嵐山

嵐電で四条大宮駅から嵐山駅まで路面電車で行けます。市街地から景勝地まで、手軽に地面に近い景観を楽しみながら乗った記憶が私もあります。桂川にかかるのは渡月橋。写真や映像でも見たことのある人は多いかもしれません。

大覚寺は、嵐山駅から渡月橋の方へ向かうのとは反対。ずっと北ですね。嵐山と高山寺をむすんだ、嵐山寄りの場所に位置しています。

『女ひとり』三千院・高山寺・大覚寺(図)

『女ひとり』の主人公が巡ったであろう地域は、京都の市街地を中心に扇状に広がってみえます。

3番の歌詞のきものの話にもどると、塩沢がすりは通好みするものなのかもしれません。さきほどのきものカルチャー研究所のページにかえってみるに、結城や大島でさえ私には落ち着きのある見た目に思えましたが、塩沢はそのなかでも特におちつきがあるもののようです。まわりを引き立てる、和の精神を感じます。調和を愛する大人が好むかもしれませんね。「塩沢がすり」で画像検索すると、それも納得いくほど。控えめの彩度が見るものを吸い込むような美しさです。

“塩沢がすり”の「がすり」を私は初めて聞きましたが、絣(かすり)とは、絣糸(かすりいと)を用いて文様を表現する織物技法のようです。絣糸とは、のりで固めた糸を、さらに糸でしばったり板ではさんだりして染めることによって白い染め残し部分をつくった糸のこと。(参考:繊維用語集きもの用語大全

塩沢つむぎは新潟県魚沼市で生産されるもののようです(参考:塩沢つむぎ記念館)。1番で出てきた塩瀬の帯の産地、五泉地方よりずっと南です。

名古屋帯は文字を見てのとおり、発祥地に由来する帯のようです。普段づかいから礼装まで幅広く用いれるようです。一重太鼓結びにする軽い帯。「重ならない」ので、色によっては冠婚葬祭にもつかえるのかもしれません。袋帯と呼ばれるものより、1mくらい短いもののようです。初心者にも好まれやすいのかも?(参考:Wikipedia>名古屋帯キモノビ

つまり“塩沢がすりに名古屋帯”とは、かなり落ち着いた見た目のきものに、軽くて用途の広い帯でアクセントをつけた装いなのかもしれません。帯の色柄によっては、アクセントといいますか、引き締めたり、反対にぼかしたりすることもできそうです。想像がひろがります。

歌詞は“耳をすませば滝の音”とつづきます。やはり、心を落ち着けるシーンのように感じます。ここで登場する“塩沢がすりに名古屋帯”のよそおい・いでたちも、しーんとした神妙な空気の演出に加わる性格の、粋なきものなのではないでしょうか。

むすびに

登場するのは、“恋に疲れた女がひとり”。舞台は、京都の市街を扇状にめぐるように位置した寺院。とてもシンプルですが、さまざまなスタイル(様式)のきものも登場します。その色や柄の細部は鑑賞者の想像に委ねられます。このよそおいが、女性の心を表しているように感じられるところに、『女ひとり』の小粋な妙味があります。着物の色や柄に想像をはせることは、同時に主人公の女性の心もように思いを巡らす時間でもあるのです。

主人公の女性の来訪を受け入れる、京都の歴史の層。土地を吹き抜ける風を感じさせる、霊感に満ちた名所の数々。この歌『女ひとり』を胸に、歌詞に表現された場所を巡って旅したくなります。私よりはきっと、きもの姿の“恋に疲れた女”の方が映えるのでしょうけれどね。

登場したきものや帯の産地は茨城県、鹿児島県、新潟県など。小笠原諸島あたりを中心に扇状に分布している感じ。心が海の向こうまで飛んでいきそうです。歌の舞台はもちろん京都ですが、きものや帯のスタイルが本土、島にひろく渡ります。京都には、風のようにさまざまな文化が舞い降りるのでしょう。魅力です。

青沼詩郎

作曲家 いずみたく 株式会社オールスタッフ

永六輔

『女ひとり』を収録したデューク・エイセスのアルバム『にほんのうた 第1集』(オリジナル発売:1966年)。『いい湯だな』も収録。

『女ひとり』ほか、にほんのうたシリーズ全50曲を網羅したデューク・エイセスの2枚組CD『プレミアム・ツイン・ベスト にほんのうた~デューク・エイセス、ふるさとを歌う』。

ご笑覧ください 拙演