光は影の生みの親
職業人としての手をしばし止める。その仮面を外し、すっぴんで休暇をたしなむ。だが休暇は見る影もなく召されて、昨日外したばかりかと見紛う無造作に転がる仮面を拾って、またつける。ふとカレンダーをみると月の半分以上が召されている。お前の夏は短かったなと、仮面が心に皮肉を吐く。
飲食店でバイトしていたときは、お盆休みをとらなかった。みんなが休むときに稼ぐのがサービス業の宿命だ。みんなが休むときに休む人が多数だろうから、休暇している人を相手にした商売が成り立つ。その前提が崩れると、社会における七曜や祝祭日にあまり意味はなくなる。
渋谷が渋谷という地名であるのを街ゆく人は日常で気にするだろうか。たとえば取引先とのミーティングの最中だとか(その仕事の種類はなんでも良いのだけれど)、その人はその街の名前が渋谷であること、地名の由縁を気にするだろうか。もちろん気にとめることもあるだろう、“まぐれな思考”は人間の特徴を物語る。
この街はなぜ渋谷というのだろう。ふと立ち止まる人が現れたとき、現実の渋谷の街は、その痕跡を示して迎えてくれるかもしれない。覆いつくされ、変わり果ててもなおまだその名前が残る所以。それも、ひとつの「影の響き」だ。影の響き、影響。立ち止まる暇もなく忙しくする人が、光を放つ人なのかもしれない。光は影の生みの親である。
伊藤銀次『SHADE OF SUMMER』
曲の名義など
作詞:売野雅勇、作曲:伊藤銀次。伊藤銀次のアルバム『BABY BLUE』(1982)に収録。
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“最後のシャッター切る指 震るえていたよ シトロエンで微笑む 君がブレてる Small light だけで走る 都会の twilight time ダウンしそうな時はいつも この通りを流す…「淋しい大人にならないでね」と隣で君が… 「あの日の輝き忘れないでね」といまも心に 囁いている”(伊藤銀次『SHADE OF SUMMER』より、作詞:売野雅勇、作曲:伊藤銀次)
情景を思わせる描写が洒脱。“Small light”は車幅灯。昼が眠り、夜が起き出す。その狭間の時間。ヘッドライトの登場を待つわずかな時間。人生の貴重さを思わせる。
二人の関係も昼夜がせめぎ合うように刻刻と変化するだろう。描かれた二人の関係の機微。シャッターを押す指が震える心情とは。感情の支配が意志にまさって体の制動を奪う。決別に向かう行動は、積極か惰性か。
シトロエンは車だろう。どんな車か。作詞された時代と現在でポジショニングはうつろうかもしれないが、こだわりのない人が選ぶ車だとは思えない。主人公やその人と関係を持つ君の生活も、意志によって導かれるものであるのを思わせる。誰でもそうだとも思う。
「君」のせりふは、主人公が観察の及ばないところへ行く寂寥を思わせる。主人公が行くというよりは、単に君自身が離れていくだけかもしれない。
“押し寄せる時の波 君を見失い いつか僕もクールな大人になってた 哀しい君の笑顔 寄せる波のように 変わらないこの街並に僕をつれ戻すのさ…「淋しい大人にならないでね」といまでも 君が… 「あの日のキラメキ失くさないでね」と遠くで僕に 囁いてる”(伊藤銀次『SHADE OF SUMMER』より、作詞:売野雅勇、作曲:伊藤銀次)
大人になることの定義は難しい。単に変化の度合いを表す尺度でもある。20歳になる誕生日をもって成人とするとかそういうのとは違う尺度である。法の改正で2022年4月からは18歳か。
変化とともに失うものもあるだろう。三日三晩眠らずに没頭する体力だろうか。その熱を失う変化があるとすれば、それは「クールな大人になる」ということかもしれない。その変化とともに、いつまでも君と過ごした時間や、君の放った言葉を主人公は持ち歩いている。そこにあり続ける街の様子とともに。街も代謝を続け変化を続けるはずだが、その街と君は主人公の中で結びつく存在なのだろう。あの時の君は主人公の胸に、今の君はどこにいるのだろう。
“遠去かる夏の影 まぶしい想い出 君の祈りに似て胸にしみる… 「淋しい大人にならないでね」と 隣で君が… 「あの日の輝き忘れないでね」と いまも心に 囁いてる”(伊藤銀次『SHADE OF SUMMER』より、作詞:売野雅勇、作曲:伊藤銀次)
「影の響き」と書いて、影響。影は本体に光があたって生じるものだ。どちらが欠けても発生しない。本体が“君”であれば、光を当てるのは“僕”か。本体がいなくなったら、ふつう影は消えるものだ。なのに、消えない。それは「響き」だからだろう。響きはいつも、発生源に遅れをとる。発音体のもとを出発して、空間で起こる現象が響きだ。
“君”はたぶん主人公のそばにもういない。お互いが観察の外側にいる。何を原因にして、どちらがどのようにして離れたのかわからない。主人公は響きだけを感じている。きっと、“君”のもとにもなんらかの響きが残っているかもしれない。もう消えてしまったかもしれないが、主人公のほうには長く余韻しているようにみえる。
夏に起こったことから、距離ができていく。だんだん遠いものになっていく。去るのはこちらなのか、あちらなのか。光の当たる角度はきつく、影は長く延びていく。twilight timeを経て、やがて夜に溶けるのだとしても。
リスニング・メモ
コードの響きが醸す心情
ソングライティングの手本にしたい。安定のさせかた、発展のさせかたが絶妙なコード進行。
サビ頭は主和音の5度音を半音ずつ上げ増音程を経てⅣ、Ⅳmと、ひとつの声部が耳を引きうろつくことで響きを変化させる。感情の境界に立つ主人公の心情を思わせる。Ⅲm-Ⅵ7-Ⅱm-Ⅴと、翻りながら落ちる木の葉のように転々とさせる(Ⅰ-Ⅰ♯5-Ⅳ-Ⅳm-Ⅲm-Ⅵ7-Ⅱm-Ⅴ)。
Aメロは安定のⅠから。BメロはⅣからはじめてⅤ/ⅳ……と転回形の低音位で変化をつける。
変化のDメロ。|Fm-B♭|E♭|Fm-B♭|E♭|Gm-C|F|Gm-C|Cm-F|と、元のB♭調のⅣ調にあたるE♭調、さらに長2度上がってF調を経てB♭調へと帰る。歌詞は“遠去かる夏の影”と、曲の主題が観念的に表れて思える、私の好きな部分である。
アレンジ、演奏パートの妙
エレクトリック・ピアノは声部を動かして和音の響きを移ろわせる、サビでは上行形でアルペジオするなど視点をリードする。ストリングスがオブリガードしたり保続で支えたりしてメロウな雰囲気を演出する。
ドラムスのハイハットの表情づけが絶妙。表情のゆくえは裏拍の入れ方が握る。サビをよく聴くと弱拍の描き込みを増やしたり間引いたり。DAW全盛の現代だろうと、演奏の機微を楽しんで聴きたい。なんていうと自分がまた化石みたいに思える。それでもいいが。
ベースは忙しく分散和音するサビ。なるほど、この功労者がドラムスのおおらかで器が大きく豊かなさまを引き立てているのかもしれない。
ハイハットの裏拍が近く、奥のほうでリズムを彩るのがギターのストローク。憂いているような優しい響きで広げる。
伊藤銀次のボーカルは全編オーバーダビング。このように確かで優しく大人気(おとなげ)あるボーカル曲を私も録りたくなった。
肥大することも複雑に出入りすることもなく、コンパクトなパート数、2ハーフ程(A-B-C-2A-2B-2C-D-間奏-3C)のコーラスで夏の影を演出しきる。都市のドラマである。シティ・ポップなる言葉で音楽が喧伝されるようになるのも、こうした優れた曲の存在の影の響きなのだろう。光を当てる者がいて、作品があれば、影は生まれる。
Shadeの幅
Shadeには日陰、日よけといったイメージを思う。夏の影という語句が歌詞にあり、夏と結びつく“君”の影響の歌とも思えるが、夏の日陰・日よけといった軽やかで洒脱なイメージの幅もある。日よけは車にも装備されるありふれた小物で、乗用車の運転席や助手席の頭上には必ずやそれがついているだろう。
日よけとまぶしさはセットで存在するイメージだ。まぶしくないときは、日よけの必要性を感じない。日よけは時間の隔たりの象徴かもしれない。まぶしさは、強く残る記憶の当時性。時間経過とともそれは薄れていく。やがて天球を暗色が覆いつくすみたいに。それこそが、Shade of Summerなのかもしれない。
青沼詩郎
伊藤銀次ブログサイト 『SUNDAY GINJI(サンデー銀次)』内、『SHADE OF SUMMER』
『少女A』、『涙のリクエスト』などヒット曲の多い売野雅勇。制作において伊藤銀次と交わした話が明かされている、伊藤銀次本人ブログ記事。男性を主人公にした『卒業写真』をロッカバラードで……といったようなイメージとメロディ(曲先とのこと)が、売野雅勇のプロのペルソナを置かせ自(じ)を引き出したのか。私も大好きな曲だが、売野・伊藤両氏にとっても『SHADE OF SUMMER』は特別な一曲なのかもしれない。
『SHADE OF SUMMER』を収録した伊藤銀次のアルバム『BABY BLUE』(1982)
ご笑覧ください 拙演