明日がちょっと楽しくなる友達・ビートルズ
私はこの音楽のブログを始めて、人が作った曲を自分でも伴奏しながら歌ってみる(弾き語りする)、そしてその動画も公開することにしています。曲をただ聴くのでなく、自分の肉体を通してインストールしたり最低限自己解釈が必要になり、その程度でその曲との関わりを持つことで、私ははじめてその曲と友達になれた気がするからです。
ビートルズには、言わずもがな世界中に楽曲と友達になっているレベルのファンが多いです。私はそこにある種のハードルを感じてしまいます。「オレもビートルズの楽曲xxとは友達になってるけど、オマエが友達になったって主張している楽曲xxって、アレ、お前の思ってるような奴じゃないからね?オマエはあいつのこと、とんだ勘違いをしているよ!」とでも怒られそうな気がして気後れしてしまうのです。つまり、オマエのビートルズコピー(解釈、鑑賞や寸評)はひどい!と言われかねないのではないか?というおそれが、ビートルズ曲の場合は世界規模でリスクが高いのでは? という気にさせてしまうのです。
実際は、ビートルズの楽曲と友達になっている人って、とてもやさしいし音楽が大好きで寛容で好奇心の強い人がいっぱいいるはずです。だから、私の気後れや、感じるリスクは幻想といいますか、不当なものかもしれません。もっと、どんどん気軽にあらゆるかたちでビートルズ曲にふれて、楽しみ、いろんな角度の発信をしていけば、自分の世界も広がるはず、とも思います。
私は単に自分のビートルズ曲への触れ方が半端だと許せないというだけなのかもしれません。でも、その半端な度合いが許せないからビートルズ曲にはなかなか触れられない、しこたまエネルギーと時間を割くことができないときは恐れ多くてビートルズ曲に触れられないなんて言っていたんじゃあ、いつビートルズ曲にふれればいいのか?人生の荒波はやむことがありません。きのうある地域で地震が起こったかと思えば今日は別の地域で航空の事故です。1分でも、私やあなたが何かをする気になったとき、それを「1分じゃどうしようもないな」と引き止めることは賢明ではない。いえ、もちろん、1分の寸暇でやれることばかりではないのが現実だとは思います。でも、ビートルズ曲に触れる、友達になることは、数日(あるいはもっと)前から道具や交通手段や自身の健康状態を準備してたとえばゲレンデに行ってスキーをするとかを船に乗って海原に出てロウニンアジを一本釣りするとかよりははるかにハードルが低いわけです。私もあなたも、それをしたいと思ったときに、ビートルズ曲と友達になればいい。
これだけのことをいいたいがためにこれだけぐだぐだ駄文を垂れてしまう私も少し何かのネジがおかしくなっているのかもしれませんがそれも含めて自分を世界に垂れ流そうと思います。ビートルズ曲と気軽に友達になった明日のほうが、ならなかった明日よりもちょっと楽しそうに思えるではありませんか?
Across The Universe 曲についての概要など
作詞・作曲:レノン=マッカートニー。The Beatlesのアルバム『Let It Be』(1970)、コンピレーション『No One’s Gonna Change Our World』(1969)に収録。
Across The Universe (Remastered 2009)を聴く
ギター一本で世界の真理を象徴する雪山のてっぺんの白雪をスピード感をもって掬い取ったみたいなコンパクトさを感じます。それでいて、この稀有なソングライターの歌を豊かなアレンジメントにするビートルズというチームの稀有さ、変質的で革命的なキャラクターを思わせます。これはフィル・スペクターの魔法の一面でしょうかね。
ジョンの弾き語り(歌とギターの同時録り?なのかどうか)に、なんだかアタック感のわかりづらい太鼓のようなものがダウンビートでずっとついてきます。サウンドの核はほぼこのギターと歌とビートです。
イントロのフレーズはもう世界的な名物といってよいでしょう。6度を中心に2声が平行する感じの、ギターらしいハーモニックなモチーフのイントロです。ハーモニーも6度中心につくられているような趣がありますし、冒頭付近の跳躍も6度の跳躍音程です。12弦ギターなのかワイドな綾がある音像です。
やさしくダウンストロークでまっすぐに進んでいくビートをなすストラミングギター。コーラスでは渾然一体の壮麗荘厳なん音が歌にかぶさってきます。ストリングスなのか、コーラス(BGV、クワイア)なのか、ハープが絢爛に立ち回るような、そして「ミョーーーー……ン……」といった具合にシタールのようなビヨンと伸びる音も渾然一体となりながら光を放ちます。なんなんだこれ、世界がいっしょくたになっちゃったような奇天烈サウンドです。挙句、なんだかボヨンボヨンいいはじめるのなんだこれ?、エレキギターか? エンディングは楽曲『Hello, Goodbye』のボーカルモチーフみたいな上行音形を低音弦が再現、なのか引用なのか。曲を超えて表現が交雑しています。
言い訳をさせてもらえば、今回は出先でこの楽曲を聴きこの記事を書いています。いつもは家のスピーカーと、重たくて持ち運びにやや不便だが定位がわかりやすいヘッドホンで楽曲を集中して聴いています。今日は、世界中にもっとも普及し定着している定番のヘッドフォンのひとつSony MDR-CD900STを外部のアンプを通さずパソコンに直接つないで聴いています。サウンドが満遍なく平たい、しかしそれなりにラウドなパワーに満ちた量感で聴こえるのがこの名ヘッドフォンに抱く私の印象なのですが、よくもわるくもサウンドが渾然一体となり、「定位がわかりやすいヘッドフォン」とはお世辞には言い難い機種だと思います(軽くて丈夫で、持ち運びには最高です)。
でも、逆にこれで聴くことで、ビートルズ、この『Across The Universe』という楽曲の、世界中の風が交雑したような、そのご来光のむこうに真実を垣間見るような楽曲の趣が、MDR-CD900STの混沌とするサウンドと強調しあってある種の魅力を感じとることもできます。それこそビートルズの雑食・暴食性です。
リスニングはその都度、その環境や条件、聴くものの心理や生理の状況で音源が与える印象を万華鏡のように変化させます。ビートルズ曲は、世界的に有名だからこそ、いろんなところでいろんな機会に触れる記憶を築きやすく(たとえば街鳴りやメディアからの露出にも遭遇しやすいはず)、いろんな状況下で聴いた複数の体験を得やすいはずです。だからこそ、そこに乗っかって、引き続き多様な鑑賞体験の続きを書き込みやすい。推力や慣性がすでに用意されているみたいなのです。利用しない手はないではありませんか。
2021 Mixを聴く
本当に印象が違います。ひとつひとつの音素材の粒立ちが良い。キラキラと輝いて、生気を宿して思えます。先程感じなかったことや、感じたが一度聴きながら流れて忘れてしまった思念が私の中に顔を出します。
ミャウミャウいっているのはエレキギターのワウワウでしょうかね。ダツ、ダツ……とダウンビートする太鼓のような衝突音も明瞭です。音の定位感もなんだかこちらのほうが立体的に感じまうす、BGVやらストリングスが左右に翼を開いているような気持ちよさがあります。エンディングのフェードアウトも私の気のせいや色眼鏡のせいなのかニュアンスを最後まで追わせてくれる印象です。
楽曲そのものについて思い出したのですが、ちょっとしたところ(次の構成にいく、あるいは現在の構成を繰り返すところ)で5/4拍子っぽくなったり6/4拍子っぽくなったり、拍を増やして間をコントロールしています。こういうちょっと気まぐれを映したような間の取り方がジョン・レノンはほんとうにうまい。ビートルズ以後の彼のソロ作品なんかにも、2拍の間をおいてスっと次の構成に行ってしまうなんて快作を見出すのはたやすいと思います(例、『Power To The People』とか)。ギターで淡白な歌を、まるでそこにあったように造作もなく歌う趣があるのですが、こういう「間の」フックが聴いている。改行やスペーシングで短詩や小節を魅せる作家みたいでもあります。音楽でさえも、表現の媒体の一部でしかないような……ジョン・レノンの眼鏡のあちらとこちらを、世界の真理が行き来しているみたいです。
バード・バージョン World Wildlife Fund Versionを聴く
テンポはやっ!!キーも高い。2009 Remasterと2021 MixはD♭キー、こちら”バード・バージョン”は全音高いE♭キーでしょうか。
イントロとエンデイングの環境音が印象的。鳥の声の定位がふよふよ動きます。水場もある、流れる音もかすかに聴こえるような……エンディング付近ではけたたましく水面を蹴って鳥がバシャバシャ飛んでいくようです。
左にミィーーーーン……とシタールの弦の共鳴感。みぎにミャンミャンゆらめくギターのオブリがきこえます。左のほうで、少年少女のような女声のようなBGV、右側でジョン・レノンのオーバーダブのボーカルオブリ。デモ音源をそのまま進展させたような趣があります。環境音も、自分で公園で録ってきたみたいな自前感。世界の真理を匂いとったその初日がこちらで、オリジナルアルバムの『Let It Be』収録バージョンはその後日といった印象がします。このすばらしい歌が、本当に日常の街の公園にある日転がっていたのをその場で掬い取ったまんま、のような趣がバード・バージョンにはあります。鳥が行き交うようにしてあたりに煌めきの尾鰭が満ちているのです。そういう世界。
歌になれば輝く世界
歌詞の参考サイト 世界の民謡・童謡>アクロス・ザ・ユニバース Across the Universe 歌詞の意味・和訳 ビートルズがインドで瞑想修行 サンスクリット語のマントラが歌詞に コーラスを印象づける謎の言語の秘密が明かされています。歌い出しの歌詞の比喩の高等な言葉のウィット、そのネタ元になったのは当時のジョン・レノンの妻のシンシアとのエピソードだといいます、このエピソード自体もビートルズファンの間では有名でしょうか。
それ(妻が彼にかける連綿としたトーク)を聞き取り、内容を理解し、あいづちをやさしく打ってあげられるキャパシティを超えて注がれる(?)言葉の数数は、まるで容量の小さな紙コップをあふれているのにも感知せず注ぎ続けられる飲み物……それはわたしをうるおすのでなく、いったい世界のどこへ流れていってしまうのか……それを掬い取ったので、このエピソードは世界で最も有名な歌のひとつになったのでしょう。ジョン・レノンの生きた事実や残した作品は、「これを歌にしないことには、この世界の真実の一瞬は何になりえるというのか?」というものを題材に歌をつくることに勇気をくれます。歌にするしかない。歌にする以外ない。それで初めて輝くことのできる題材に世界は満ちているのだと思わせます。
青沼詩郎
The Beatlesのアルバム『Let It Be』(1970)
The Beatlesの『Past Masters』(1988)。“バード・バージョン”の『Across The Universe』を収録
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Across the Universe(The Beatlesの曲)ギター弾き語り』)