おおむろ山
私は新婚旅行で大室山に行きました。温泉地を複数めぐる旅にしようと図って、訪問地のなかに伊豆を含めていたのです。
ゴンドラが出ていて(←※リフトの間違い)、山頂にのぼるとそれはすばらしい景色でした。眺望のよいこと。
向こうのほうになにか見える島……伊豆大島でしょうか。とにかく遠くまで視える。眼下にも、伊豆の地形や色とりどりの土地の様子がみえます。記憶があいまいなところも多いですが、とにかく良いところでした。写真をとりました。
くるりの2023年のアルバム『感覚は道標』は伊豆でレコーディングされました。“伊豆スタジオ”を拠点に制作されたアルバムです。私はこのスタジオを訪れたことはありませんが、自分がかつて旅行で行ったときの土地の記憶が交雑しました。磯が多くて、ごつごつした足場の海辺も記憶に残っています。くるりの『感覚は道標』のジャケット写真も、そうした伊豆のなりたちを象徴する臨海スポットで撮影したもののようです。
アルバムの内容が実にすばらしい。くるりのオリジナルメンバーでドラマーの森信行さんを迎えて制作されました。そのバンドのフィールあってか「せーの」で録ったような瞬発力と語彙の躍動するベーシックを基調にした楽曲が収録されています。その息のあったフィールと、メンバーが感じ合っている体臭のようなものが如実に出た愛せるアルバムなのです。
バンドらしい、複数の人間がえいや!とシコを踏んだ素晴らしい楽曲群をシメるのが『aleha』です。アルバムの曲順の最後に収録された曲ですね。
これは実にシンガーソングライター然とした作品です。「3人のメンバーで、えいや!」感はこのアルバム中で最も低い楽曲かもしれません。もちろん、3人の音と海の音で構築されているので3人の作品であることは間違いありません。「3人による、伊豆ノート」かもしれませんね。
作詞作曲者の岸田繁さんは、ソングライティングにおいて、ときに、なにかをまとう……歴史上の何者かの意思や感情を憑依させるような手法を私に思わせます。そこにただよう霊魂のことばを代弁しちゃったんじゃないか? そう考えでもしない限り、こんなに私の涙がとまらなくなるのはなぜなのだろう? 説明がつかないじゃないか……と私の顔面をほとほと情けないびしょびしょの形相に変えてしまう美しい曲をドリップしてしまうのです。
『aleha』は、「3人でえいや!」の向こうもちょっと見えたから、ここらで落ち着いてちょっと海でもながめようか……ほら、なんかでっかい島みたいなんも見えるよ? とでもいいながらちょっとお茶の入った器をかたむけながら、耳の注意を潮騒にやりつつ、心を解き放って波に浸すような……私にそういう(どういう)感慨をくれる、アルバムをシメる霊感と眺望に満ちた人肌のフレーミングなのです。
くるり aleha 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。くるりのアルバム『感覚は道標』(2023)に収録。
くるり alehaを聴く
豊かなアコースティックギターの低域の響き。ただようハーモニクスが霊魂のように。それらののれんをひょいと持ち上げて顔をのぞかせるように、繊細きわまるボーカルが私の注意を射止めます。
海の音はスマホのボイスメモで録ったものでしょうか。左右に広げることはなく、正面のほうにいち素材として背景にすえられます。
ピアノがコチリと嘆き……ペダルスティールかボトルネックかわかりませんがポルタメントする系のギターのトーンがふわふわとやさしく、森やら海のような気配を浮かべます。アコースティックな響きをとにかく尊重した美しくてやわらかくて暖かい音景です。
Gメージャーから、まんなかのコーラスでEメージャー調になります。これが眺望の展開です。歌詞を排して、ら、らら、らんらんらん……といった発声。言葉がないことでかえって言葉を見出させるようです。言葉以上に、情景ですね。直接的に海の音もつかわれた楽曲ですが、鑑賞者の過去や未来の眺望を、いまここで音楽に浸っている現実に収束させます。
ドラムスのトリプレットのハイハットが細かく繊細です。ベースはオクターブをぶうんとやさしく上りおり。音のうしろだてを得て、またGメージャーにもどって未来の続きを。
ヴァースとコーラスの「らんらら……」が融合し、やがては海の音もクロスし融合しながら、波打ち際で視界はフェードしていきます。未来を眺望させつつも、いまここの自分の足元を示すような結尾がやさしい。
ほんと、つぎはくるりは何をやってくれるんでしょうか。
私自身、いつも感覚を稼働して精一杯いたいです。世界の挙動を楽しみ、そこに私も重なるように。
青沼詩郎
『aleha』を収録したくるりのアルバム『感覚は道標』(2023)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『aleha(くるりの曲)ピアノ弾き語り』)