安打メーカーにもらうギフト

奥田民生さんの楽曲にはいつも楽しませてもらっています。この音楽ブログと、あと自分の弾き語りを晒すYouTubeチャンネルも私はやっているのですが、そこで数多く題材にしているひとりが奥田民生さん。ほかは吉田拓郎さん、松本隆さん作詞関連、ユーミン、くるりなども多いです。とにかく、かれらはみな多作なことよ。

作品の数はただ多ければいいとはいえないでしょうが、作る、発表する、作る、発表するサイクルのなかでふとソニックウェーブがメーターをポーンと吹き上げるみたいに素晴らしい楽曲が生まれることがままあると私は思っています。

とにかく作る、発表をしていると、いつも、作ったり発表したりするための準備運動が済んでいる状態になります。だから、ポンといいアイディアが出たときもすぐかたちになるし、すぐ発表できます。いいことばかりではありませんか。

自分の話で申し訳ないですが、私自身が、昔より曲がつくれるぜと思えるようになったのは音楽を鑑賞するこのブログや、弾き語りをさらすYouTubeをやり始めてから。毎日更新でやっているので、やる(鑑賞する)、書く、さらすのサイクルです。毎日、数多の楽曲のすばらしさに新鮮な驚きと「ニヤニヤ」をもらっています。

そんなニヤニヤを、ユーミンやくるりや松本隆さん関連や吉田拓郎さんや奥田民生さん関連には頻繁にもらっています。かれらの作品の多いこと、そのすばらしいことは尽きません。私の心に、いつも安打(ヒット)を叩き込み続けます。この音楽ブログでこれからもしげしげと取り上げることでしょうがお付き合いいただければ幸いです。

奥田民生 恋のかけら 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:奥田民生。奥田民生のシングル(1997)、アルバム『股旅』(1998)に収録。

恋のかけらを聴く

左右からひずんだギターがリズムとコードをきざみ、太くぶっ飛んだドラムスとベースがテッコツをなし、無敵のボーカルがわーんと轟き、ちょっと奥のほうの空間やリズムあるいは歌詞の切れ間などの一瞬のすきまに発光や明滅を与えるオルガン。一筆箋にバンドの音を描いてはい完了。はい最高。私のユートピア音景がここにあります。

間奏のソロはオルガンそっくりのサウンドなのにフレーズィングやニュアンスがエレキギター。これはどういうこと? レスリー・スピーカーにエレキギターをぶちこんだのでしょうか。何やら回転する機構をそなえているのがレスリー(ロータリー)スピーカーというもののようで、オルガンを出力するときに組み合わせられることが多いようなので私のなかでなんとなく回転スピーカー=オルガンのサウンドという結びつきの図式があるのですが、これはギターと組み合わせても『恋のかけら』の間奏のような効果が得られる、ということなのではないかとひとり仮説します。実際のところはどうなのでしょうね。レスリーがない場合は、マイクをぐるぐると、人間の手でまわすなどして距離をフラフラさせることで近い効果を得ることもできるそうです。ほかのアーティストの話になって恐縮ですが、音楽雑誌のくるりのインタビューを読んでいてそんな制作エピソードに出会ったことがあります。

エンディングでバーンとバンドがブレイク(和音を伸ば)し、バンドの復帰の怒号をドラムスのフィルインが与えます。このドラムサウンドがまたエレキギターみたいに荒々しく歪んでいる。プリアンプを通るとか、その前段でオーバーゲインさせている感じでしょうか。迫力があって好きなサウンドです。フルデジタルのレコーディング環境ではなかなかこういう音をホンモノとして作るのは難しいでしょう。クリップ(オーバーゲイン?)すると嫌な音になるだけです。宅録でも奥田民生さんのような音が録りたい……と思うと、もうそういう機材を揃える方に向かうのみなのか……それもアナログ墓地に骨を埋める愉快な人生だと思います。

“木のかげで泣いている 美しい人の悲しい姿 彼女のつらいわけなど きっと僕にはわからないので”

(『恋のかけら』より、作詞:奥田民生)

その人が、何についてどれだけの感慨を持ちうるのかは無限です。だから、ひとの悲しいわけを、ひとの喜びや幸せや充足を、推し量ることはできても、そっくりこの頭にこの胸に立ち上げることはかなわない。時間旅行と同じくらい、他者の感覚や感情を自分にコピーするというのは夢のあるSFです。

“木のかげで泣いていた 美しい人は泣きやんでいた”

(『恋のかけら』より、作詞:奥田民生)

美しい人が変化するのが描かれています。いえ、描かれているとまではいえないかも。余白で、フレームの外で、宇宙レベルの多様な経過が起こっているはずなのです。泣いていた人が、泣きやむ。四コマ漫画のようなざっくりとした大胆な抽出なのですが、私をはっとさせます。

“たった一度きりの なつかしい人生 指折り数えて 日がくれた いい日だった おかげで 恋のかけらを たぐりよせては 思い出しては”

“指折り数えて日が暮れて 完成 たった一度きりの しあわせがくるのだった とてもステキさ”

(『恋のかけら』より、作詞:奥田民生)

回顧のすえに至る一瞬の充足でしょうか。激動をくぐり抜けてきた。その最中では、その結果がどうかなんて賞味している暇はありません。瞬間瞬間でおこったり泣いたり、最高だとうつつをぬかしたり最悪だと唾を吐きまくったりしたかもしれませんが、それらがつながった紐が描く躍動全体を余白をもってフレーミングしたときの美しさがわかるのは、人生のずっとあとのほうでしょう。

こんな仙人みたいな歌詞ですが、1965年生まれの奥田民生さんが30代前半の作品なのですね。まぁ30代前半……どうでしょう、バットを随所でふるって活躍してきた現役選手であらば、そろそろこういう仙人の境地に至って然るべしタイミングなのか。あるいはこんな仙人めいた一筆箋を30代前半でさらっとやれるのはやはり奥田民生さんの天性なのか、ふたつの思いが同時に私のなかに湧き起こります。

“愛してる 愛してる 恋のかけらと なつかしい日々と ステキな君よ”

(『恋のかけら』より、作詞:奥田民生)

シンプルなメロディを繰り返しますが、ちょっとずつ「小違い」させ発展していきます。また、時間のとりかた……スペースの使い方にもフックを出して、さらっと次に行くかとおもえば、念をおしてもう一回似た音形をリフレインするなどします。和音進行もシンプルなようでまなざしをむけるほどに豊かです。つくづく、人生の色味を愛でるような、それでいて平坦なモノクロームの水墨画のような……墨一色だからこそ全ての色が込められているような……宇宙味・滋味があふれます。

他人にはなれない、他人の感性や感情はジャックしたりコピーすることができない。“ステキな君よ”のところに、主人公自身をあてはめて、自己愛、自分へのねぎらいの歌と解釈してもよいでしょう。鑑賞するあなた自身であり、私自身の讃歌でもあります。

もちろん、自分の胸という暑苦しい距離感でなく、自分のことでさえも宇宙の一端にふくめて、フィクションのなかの峠の先っぽから眺望しているような超越感も覚えます。奥田民生さんの作品には通じてそういう趣を感じることが多いです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>股旅 (奥田民生のアルバム)

参考Wikipedia>恋のかけら

奥田民生 OFFICIAL WEBSITEへのリンク

参考歌詞サイト 歌ネット>恋のかけら

『恋のかけら』を収録した奥田民生のアルバム『股旅』(1998)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『恋のかけら(奥田民生の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)