リスニング記
うっとりします。なつかしくてキラキラしています。ほっこりとして暖かくてみずみずしい。抽象的なことをいっぱい書きたくなるサウンドと演奏。私の憧憬です。
楽器を弾かずに歌うボーカルを4人で囲う。非常にシンプルで、5人編成で再現できる以外のパートは追加されていない……人数でやりきるアティテュードのセッションです。オープニングの効果音(?)はテープフラッター的なものでしょうか。
Coccoの息遣いがしゅわしゅわと頭を抜けて背中へ流れていくみたい。カキクケコの子音が気持ちよく刺さります。太く暖かいバンドは残響感……ルームアンビエンスが豊潤です。これの全面に、解像度高くCoccoのボーカルがいる。見事なミックスは髙山 徹さん、くるり作品の担当でも恒例です。
ドラムスに大胆なディレイがかかっています。太く増幅感があってホットで気持ち良い音。ベースは音像が雨でにじんだみたいに接着感があり、しゃしゃり出ることなく、雨の路上を行く人を見守るみたいでやさしげです。
オルガンはとにかくサスティン。アコギもピアノもいませんから和声感を担います。万華鏡みたいにキラキラと響きをアナログ(無段階)的に移ろわせていくところに、私は猛烈に光や陰や色彩を感じるところです。こういうオルガンには本当に憧れます。
エレキギターがまた素晴らしい。Fender社を思わせるサウンドですがなんの楽器でしょう。裏声からうなり上げるような、ニュアンスに富んだブルージーでいぶし銀光りまくり(矛盾?)なプレイ。オルガンとバンドに和声感もリズムも放り投げてがっつりと休む。ハーモニックに数本の絞った弦でボーカルに静かにオブリガードする。かと思えばそのままシームレス(継ぎ目なし)に間奏や後奏のソロに突入する気骨、滑らかさ・スマートさ。レコーディング作品としてボーカルとバンドの近さ・遠さの絶妙なバランスが担保されていますが、スタジオの空気感、バンドの一期一会の時間と肉体を記録した生々しさがあります。私が聴きたいのはこういう音楽です。湯水のように欲しい。およそ2000年代以降〜2020年代のDAWで作る音楽の全盛へのアンチなんていうとじじくさくてカッコ悪いですがそれを口にしてしまいたくなるくらいに喉のつかえがとれ、心も頬もゆるむ気分がします。みんな、「演奏」しようぜ、「空気を録ろうぜ」と……。
6/8拍子といっていいのか、1小節を2分割して3分割したのをさらに個別に3分割(何言ってんだ?ってなります?)したような「ディヴィジョン」といいましょうか、タッカタッカ……とゆらぐ……スウィングするビート。奇数の分割を究めたまぁるいビートがやさしげで儚げな体温感。これも数多のDAWサウンドにお決まりのカチッとしたスクウェア・ビートと(じじくさくも)対比させたくなってしまいます。みんな、フリーハンドで直線も曲線も書いてみようぜ……と。
プロコル・ハルムの某超有名曲やら、最近の私のリスニングの趣味ですとジョン・レノンの『マインド・ゲームス』などを思わせるベース下行系のバラード……と括ってしまうとまたこれも涙が出るくらいに大雑把ですが、それらの壮大で無情なテーマよりはむしろ『雨のララバイ』には私室の匂い、コンパクトさ、身の丈の至極近くにあるパーソナルな知覚の響きが露呈して感じるのが好きなところです。
心を救う気ままな音信
“水色の にわか雨 恋はなんて 水びたしの あったかい 胸の奥まで来るの いつかまた会いましょう 今日の気分で さよならも 傘もたたんで”
(『雨のララバイ』より、作詞:岸田繁)
語句と語句がつながっているようでつながっていない。このセルの隙間がすごく寂しいですし、この音楽の魅力です。隙間なしに詰まりすぎている、何もかもが……またじじくさい私が顔を出し感涙。
約束を重ねて、計画的に仕事を進めて、安全に確実な成果を得ることの積み重ねが社会を支える側面も認めますが、“今日飲まない?” “今、来ない?” といった思いの音信、気ままで偶然の生理に心が救われたり、もう何ヶ月かがんばれそうだなという気分にさせられることもままあるものです。
青沼詩郎
『雨のララバイ』を収録したSINGER SONGERのアルバム『ばらいろポップ』(2005)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『雨のララバイ(SINGER SONGERの曲)ピアノ弾き語りとハーモニカ』)