カレーライスみたいな「定番食」って理想だと思うのです。

雨の中で歌った 吉田拓郎

作詞・作曲: 吉田拓郎。吉田拓郎のアルバム『ah-面白かった』(2022)に収録。

吉田拓郎 雨の中で歌ったを聴く

時間を超越するジンワリさってあると思うのです。たとえば突飛な話ですが、「カレーライス」って、今この瞬間にポっと出てきたものではないですよね。でも、「カレーライス」と云えば、それが何かが多くの人に通じるわけです。反面、「カレーライス」で想像するもののディティールは人によって様々でしょう。

世に発表された瞬間、人々のあいだに瞬く間に広まって、流行歌になる……そういうキャラクターの楽曲ではなく、10年経っても30年経っても、ふと聴いたらじんわりと「いい歌だねぇ」とすっぴんの心が思わずつぶやく……そういう恒久な素敵さが『雨の中で歌った』にはあります。お味噌汁とかみたい。日常の、背伸びしない、ありのままのおいしいゴハンという感じです。国民食として定着しているカレーライスですから、この吉田拓郎さんの楽曲『雨の中で歌った』を聴いたら、ふと突飛にその話がしたくなったのです。

余談ですが、なんだかこれに似たような感慨、じんわりとした気持ちの良さと、身近な人にいつもどおりの優しさを投げかけるような「スピードに抗うスピード感」、ある種の「スローさ」、そのテクスチャ……流行り廃りに左右されない恒久な友愛・親愛・慈愛じみた味わいについていうと、小山田壮平さんの2024年のアルバム『時をかけるメロディー』を一聴した時にも思いました(あるいはこの感慨はその前作のアルバム『THE TRAVELING LIFE』(2020)の余韻を含むものとして)。

小山田壮平さんの2024年のこのアルバムも、吉田拓郎さんの『雨の中で歌った』あるいはそれを収録したアルバム『ah-面白かった』も、「さあ、発表したぞ! 今すぐ流行れ! 爆発しろー!」という鼻息の荒さとは対極にある作品だと私は思うのです。いつまで経っても、いい歌。それでいて、その瞬間の「イマ」が詰まっている。時間が経っても、後の世の中の時代においても共通する「イマ」らしさ。これって、おこがましいながらも私(筆者:青沼詩郎)自身が理想とする音楽であり生き方そのものなのです。

日記みたいだとも思うのです。でも、「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」では作品になりません……いえ、あるいは……私がここまで述べた文脈によれば、実は「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」こそが、恒久普遍の真理であり、真にリアルな作品なのかもしれません。

だって多分、10年経っても、30年経っても、「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」という日記を読んだら、「わかるわぁ。カレーライス、おいしいよね!」と共感できるに違いないと思うからです。

それは、吉田拓郎さんや小山田壮平さんが「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」を言うからこそ、対象への愛着や尊敬とともに「わかるわぁ。カレーライス、おいしいよね!」と共感できるのでしょうか? どこの誰とも知らない、たとえば私のような無名人の「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」では、「お前のカレーライス食べた日記なんか知らんし。どうでもいいわ。」となるのでしょうか?

あるいは、自分の愛する子どもとか、親戚関係のかわいい姪っ子・甥っ子とかの日記であれば、「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」について「わかるわぁ。カレーライス、おいしいよね!」と素直に思えるでしょうか。

本当は、その気持ちや感想を述べたのが誰であっても、その感想や気持ち自体の質や価値は普遍であるはずです。カレーライスはうまいのです(もちろん、カレーライスが苦手な人もいるでしょうけれど)。

相手に対する偏見が一切なければ、カレーライスの日常におけるおいしさを知っている人であれば、素直に「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」という誰のものとも知れない日記にうなずきを添えられるはずなのです。そしてそれを、人並みならぬ音楽作品として「云う」からこそ、吉田拓郎さんも小山田壮平さんも尊いのです。

そして、たとえば吉田さんや小山田さんのような非凡な経験値と才能と努力を備えた者でなくても、自分の手で、己の人生と肉体と精神を賭して書き殴った「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」という、その人自身のありのままの声・手描きの文字の日記は、誰のものであっても私は尊いと思うのです。発言者が誰かではなく、本来は発言内容そのもののに価値があるはずなのです。

「そんなことはない。そんなありふれた、なんの工夫もない感想には芥ほどの価値もない」とおっしゃるかもしれません。確かに、ありふれていて平凡な感想や気持ちを述べるのであっても、その主旨に対していかに自分が感動しているかを他者に伝えるためには、やはり並々ならぬ努力や工夫、死角を突く鋭い発想が必要です。

多分、幼児が手描きした「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」の日記に感動できるのは、それが、その幼児にとってできる最大限の努力と工夫を注いだ表現手段であるからなのです。かつ、純粋な感性の解像度をありのままに伝えているからです。

だから多分、私:青沼詩郎も、いくら無名であっても、「きょうの夕飯はカレーライスを食べました。おいしかったです」みたいな平凡なことを主旨として他者に伝えたい場合、私が持てる最大限の努力と工夫と発想を結実させてそれを云わなければならないでしょう。そこに対して妥協を許すつもりは、私とて毛頭ありません。

少し雨がやんだら もう一度 この道を走りたい

『雨の中で歌った』より、作詞:吉田拓郎

『ah-面白かった』という2022年の吉田拓郎さんのアルバムを、ラストアルバムと銘打って伝えるメディアが発表当時ありました。そうか、最後のアルバムなのかと思いました。

先日2024年6月14日、オールナイトニッポン・ゴールドが放送され、吉田拓郎さんがラジオ出演しました。そこでは、なにやら、次のアルバムの構想があることを前提にトークが進んでいるような印象を受けました。なんだ、次があるのか! 「ラストアルバムは嘘だったの?」と責める気持ちの真逆です。こんな嬉しいニュースはありません。

『雨の中で歌った』は、この日のラジオ放送のなかでプレイされました。そうか、吉田拓郎さんのイマの気持ちを素直に、それも6月という季節感までも視野に入れて表現した選曲だったわけです。最高じゃないですか。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ah-面白かった

参考歌詞サイト 歌ネット>雨の中で歌った

吉田拓郎 エイベックス・オフィシャルサイトへのリンク

『雨の中で歌った』を収録した吉田拓郎のアルバム『ah-面白かった』(2022)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『雨の中で歌った(吉田拓郎の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)