イントロ 無段階に及ぶ愛

The Ronettes『Be My Baby』イントロドラムパターン譜例。

『Be My Baby』(The Ronettes)とイントロが似ている曲にしばしば出会う。作・編曲者が『Be My Baby』を知っていて冒頭のドラムパターンを自作に引用しているパターンと、『Be My Baby』の存在はさておきたまたま似てしまったパターンが考えられる。有名な商業作品ほど、意識的に前者に近い場合が多いと想像するのは私の偏見だろうか?

『Be My Baby』とそっくりのドラムパターンを用いることで、『Be My Baby』への尊敬や愛を表現できる(もちろん、忌み嫌っているものや軽蔑の対象の一部を自作に引用し、批判や抵抗・反抗・反対を表現する作品も世にはあるだろうけど、『Be My Baby』に似たイントロをもつ楽曲の多くに私が感じるのは敬意や愛のほうである)。

ここでいう『Be My Baby』への敬意や愛は、その境界・対象範囲に無段階の波及、幅の広まりを感じる。用いたドラム・パターンが思い出させる特定の曲はあくまで『Be My Baby』なのだけれど、The Ronettesという実演家、『Be My Baby』の作詞・作曲者(Jeff Barry・Ellie Greenwich・Philip Spector)・編曲者(Jack Nitzsche)、ならびにプロデューサーとして名高いフィル・スペクター、それらと関連の深いほかの作品、あるいは時代・年代・地域・様式・音楽ジャンル全体にまで及んでその愛を示せるように思う。

つまり、『Be My Baby』に似たドラムパターンのイントロでそのオリジナル作品を綴り始めれば、“音楽、好きっしょ!”的に通じ合える。前提を知っている者同士のお決まりの“かけ声”みたいな。“ファイッ”“オーッ”みたいな? 作家とリスナーを結ぶ、一瞬でかかる魔法なのだ。

The Ronettes『Be My Baby』を聴く

『Be My Baby』はThe Ronettesの1963年のシングル曲。邦題『あたしのベビー』。

ドラムス、多様なリズム楽器のハナ

「ド、ド・ド、タン」のドラムスではじまる。シェーカー、タンバリン、カスタネットと多彩なリズム楽器。ドラムパターンに「タタタ」と現れる、一小節内で4拍目のみだったスネアがコーラスで2・4拍目になるなど、ドラムスの変化に注目して聴くも良し。

コーラス、メインボーカルのハナ

「アー」「ウー」といったコーラスの彩り豊かなハーモニー。歌詞でメインボーカルにオブリ(合いの手)……じゃなく、コーラスの方が先に“Be my, Be my baby”を唱え、それにメインボーカルがフェイクありの自由な描き込みでオブリしている感じか。

メインボーカルが先に呼びかけ(コール)、バックグラウンドボーカルが応える(レスポンス)というパターンの方がどちらかといえば大衆歌に多い典型だろうか。些末なことかもしれないが、案外The Ronettes『Be My Baby』の重要なアイデンティティのひとつかもしれない。

ボーカルメロディが映す恋の機微

ブリッジというのか、ヴァースとコーラスを結ぶ部分の「Ⅲ7→Ⅵ7」の副Ⅴの連続、その上でのボーカルメロの短2度の縫うような動きがいじらしい。まえの2小節にカウンターする後半2小節(図中4小節目)では下行形の分散和音をメロディーが顕しており、ボーカルメロディのなかにためらいと大胆さが同居しており、主題であろう恋の機微を映して思える好きな部分だ。

The Ronettes『Be My Baby』ブリッジ部分ボーカルメロディ譜例。

The Ronettes『Be My Baby』フォローのツボ

2:06頃で冒頭のドラムソロを再現し、コーラス型の進行でエンディング。この構成も含めて引用した『Be My Baby』の熱心なフォロワーな楽曲も探せばあるのかも。The Ronettes『Be My Beby』の味わいポイントの例を粗雑にではあるが、いまいちど書き出してみる。

・ドラムスのイントロ・パターン、ベーシック・パターン

・華やかな打楽器小物づかい

・多彩なコーラスのスカッとしたサウンド、支えるホーンセクションのブリブリしたサウンド

ボーカルメロディの起伏、メリハリある動き、わびさび、機微、それらを含む和声感

ピアノを筆頭にした、コード楽器のダウンビート感

主題:恋や愛

大雑把であるが、上記の要素のなるべく多く、あるいはいずれかを映しとり、自作を顕すことで、わたしやあなたも『Be My Baby』を中心にした音楽愛の輪に作家として加われそうに思う。もちろん鑑賞者として評論するなどもいいだろう。

Be My Baby(The Ronettes)を感じるプレイリスト

吉田美奈子『夢で逢えたら』 息もできない恋しい気持ち

吉田美奈子のアルバム『FLAPPER』(1976)に収録。作詞・作曲:大瀧詠一。

こんこんとせわしなく鳴るカスタネットがエモい。ギチギチとギロもいい味出している。グロッケンが夜空の星のようにチラリと光を添える。細かい動きで撹乱するピロピロしたサウンドはシンセなのか? クラビネットのようなサウンドも入っている? とにかくサウンドのマテリアル豊かで、すべてがこんこんと積もる息もできない恋しい気持ちを表現して思える。

間奏のボーカルの「せりふ」は嘆かわしくアンニュイで色気に満ちている。冒頭のドラムスには「チャッチャ」とクラップ(手拍子)が絡む。フルートのオブリガードがリズミカル。バック・グラウンドボーカルの彩り豊か。フィル・スペクターのサウンド研究の伝説の多い大瀧詠一氏の作として本記事の筆頭にしたい。

岸田繁&上田麗奈『ポケットの中(feat.スズネ)』 時空を結ぶ革新的な愛嬌

『「リラックマと遊園地」ORIGINAL SOUNDTRACK』(岸田繁、2022年)に収録。

ポーンとエレクトリックピアノのようなサウンドがのびやかな音価でコードを描き込む。アタックがマイルドでやさしく響きが広がるトーンが気持ちいい。

イントロを経て、楽器としてのドラムトーンとプログラミングならではのリズムトーンが同居。カスタネット、タンバリンが『Be My Baby』的ドラムにはこれやろ? それそれ! 的な相槌を誘う。かろやかで素早い動きのハープは非常に絢爛で優雅で天使感。バックビートを添えたりサスティンを描き込むオルガンが器用で的確な仕事ぶり。サビ頃から目立つグロッケンのようなハンドベルのような金属的なトーンがチンチンと華やかであるがアタックがまろやかで健気。

2コーラス目ではチェンバロのような古楽器っぽいトーンも目立つ。ハンマーダルシマーのような感じもする、弦を叩いたり弾いたりする系の楽器のトーンが安定した間隔で視線を動かす。

ボーカリストの特長とシナジーする颯爽としたテンポ、かろやかで愛嬌ある曲調。華やかで耳をひく音の仕掛けに富む。『リラックマと遊園地』のタイアップを映し、可愛らしいなかにも儚さ漂う、プログラミングや歌手とのコラボが活きるアレンジなのだけれど、クラシック音楽への愛の深さも随所にちりばめ、効果的にマテリアルを用いて構成した独創性の高いサウンドにうなる。

(関連)くるり『ポケットの中』 霊木のようなバンドサウンド

くるり『ポケットの中』、岸田繁&上田麗奈『ポケットの中(feat.スズネ)』両バージョン共に『「リラックマと遊園地」ORIGINAL SOUNDTRACK』(岸田繁、2022年)に初収録。くるり『愛の太陽 EP』(2023)にはくるり版を収録。作詞・作曲:岸田繁。

くるりのオリジナル『ポケットの中』もドラムスの提示で幕を開けるが『Be My Baby(The Ronettes)』を思わせるアレンジと異なる。奥行きと空間の演出に富む着実なテンポで楽器や声の演奏の情緒を豊かに顕す。時空を超えて文化にまたがる『ポケットの中(feat.スズネ)』の自由でデジタルなデフォルメの効いた可愛らしいフィールと対になって映えるくるり版。地面から生えたようなバンドの無段階の音に深い感動を覚える。

くるり『(It’s Only)R’n R Workshop!』 可憐で儚いロックンロールサウンド

くるりのアルバム『NIKKI』(2005)のラストを結ぶトラック。作詞・作曲:岸田繁。

エレピの8ビートのダウンストロークのアクセントがノリを出す。独特のレコーディング方法を思わせる温かみと透明感の同居したサウンド。淡く可憐な音像にエレクトリックギターのロックンロールバッキングパターンの取り合わせが映える。

タンバリン、スネアの「タタタ」のフィルインパターンが忠実で愛。ファルセット様(よう)の柔和なボーカル、バックグラウンド・ボーカルが天井から降ってくるような音像で繊細・多彩を極める。

少女漫画のような描画タッチを思わせるサウンドの儚さと「ロックンロール(R’n R)」のモチーフの掛け合わせが中性的で絶妙なバランス感。

甲斐バンド『昨日のように』 朴訥とした独白

甲斐バンドのアルバム『英雄と悪漢』(1975)に収録。作詞・作曲:甲斐よしひろ。

ボーカルのポルタメント、息のはしばしが時折気だるげで影があり、やわらかな色気の漂う耳をひく歌唱。イントロのドラムスがウェット(残響が多い)で、以降のバンドの音はドライ(残響がない)な音像のパートがくっきりして見える。すっきりとして朴訥としたサウンドが洋楽的。

主人公のつらつらとした独白のような歌詞と歌唱。彼の身の周りの様子、空気を想像させる。素朴ですっきりとした空間、焦点の明瞭なサウンドがえもいわれぬ情緒を醸し、主人公の自我を投影して思える。

バックグラウンド・ボーカルも素朴な味わいだがエンディングで主題“昨日のように”を唱え存在感を増す。メインボーカルとかけあってフェイドアウトしていく流れに上行跳躍するモチーフが現れ、希望が射す。瞬時に私の頭にThe Beach Boysのようなサーフ・サウンドの風が吹く。

甲斐バンドのアルバム『英雄と悪漢』(1975)収録作で、アルバムタイトルはThe Beach Boysの楽曲『Heroes and Villains』(1967)からとったものか。そこにもロック愛、音楽愛が相乗りして思える。

(関連)The Beach Boys『Heroes and Villains』 闇と光の畏怖

The Beach Boysのシングル、アルバム『Smiley Smile』(1967)収録。作詞・作曲:Van Dyke Parks、Brian Douglas Wilson。邦題:『英雄と悪漢』。

潮風が匂いそうな颯爽したビートが吹き抜ける。ごきげんな曲想……と思えば軽快な約40秒ののち、ボーカルを中心にしたほぼアカペラでテンポチェンジ。私はどこへ連れて行かれるの……? 暗雲立ち込め(?)、40秒程度を過ごすとまたビーチに面した光景を拝む。私はトンネルでもくぐったのだろうか……と、繰り返し揺さぶる場面転換がせわしない。

複数のアイディアを編集でつなげたようでもあるが、ちぐはぐさを超越したところのコンセプトを感じさせもする。タイトルの通り二面性……というか多重人格性が強く、終始そわそわさせられる、コロコロと変わる景勝地の天候のような珍妙な味わい、沼より深そうな闇と光の対比に畏怖を感じる。種々のボーカルトラックの幅広い表現は博覧会の様相だ。

PRINCESS PRINCESS『友達のまま』 恋しさの縮尺 おおらかなボーカルメロディ、バンドのサウンド・アレンジ美

PRINCESS PRINCESSのアルバム『LOVERS』(1989)に収録。作詞:富田京子、作曲:奥居香。

タイトでパワーあるはっきりとしたドラムスのサウンド。アコースティック・ギターのストロークが雄弁。シンセ、アコギ、ベースなどオケの基盤となる楽器、ウワモノの輪郭となじみ感・調和を両立した音作りが秀逸。

イントロのサイズ感、サビ前のちょっとした間(ま)、【Aメロ・Bメロ・サビ】×2のちギターソロ的な構造で、盛り上げ方にJ-POP典型っぽさを感じる。ギターソロ後で偽終止っぽく雰囲気を変え、すぐまたサビとコンパクトな展開もみせる。パート毎の出どころや分担がハマっており、全体を見通すすっきりとしたアレンジの意匠を感じる。

ボーカルメロディや言葉のノリが、感情の動きを遠くから眺めているようなおおらかな趣とわびさびがある。タイトルの『友達のまま』が示す距離感のあらわれだろうか。

オフコース『愛の中へ』 言葉、音の間(隔たり)に宿るもの

オフコースのシングル、アルバム『over』(1981)に収録。作詞・作曲:小田和正。

頭からバンドがおり、この記事が提案するプレイリストにおける「イントロがドラムソロ」という多数派の特徴をやや外れるが、基本のドラム・パターンから『Be My Baby』を想起する私は色眼鏡をインストールしてしまったのか。ボーカルの透明感と厚みの両立は独創的でオフコース、小田和正氏の伝家の宝刀というか……私の形容では拙く不足する。

ボーカルメロのフレーズ毎のちょっとした余白にせつなさが立ち込める。ひとつひとつのオブリガードやハモリのボーカルの端端にもうっとりとさせる気品が漂う声・歌唱の稀有さ。

シンセサイザーのにじみ・広がる感じの独特なサウンド、エレキギターの乾いていて伸びやかでハーモニックなトーンがボーカルトラックの透明感と協調する。頭上をふわりとベールのようにつつむエレキギターのアルペジオは繊細でかろやかなのに鋭いシャクっと感がこれまた稀有。

観念的な言葉(歌詞)を中心に、オケやコーラスワークの響きによって精神を削り出し露わにする。バンドのポリシーを思わせる、ぴりっとした空気が漂う神妙なサウンド。言葉ひとつひとつ、音ひとつひとつの間(隔たり)に宿るものを想像させるのがオフコースがリスナーを魅了してやまない一因かもしれない。

Billy Joel『Say Goodbye to Hollywood(さよならハリウッド)』 群像とすれ違う歌い手

アルバム『Turnstiles(ニューヨーク物語)』(1976)に収録、作詞・作曲:Billy Joel。

タンバリン、カスタネットのトリル、イントロからのドラムスパターン……はっきりと『Be My Baby』愛・意識が感じられる。ドラムス・ベースの骨組みのもとピアノが醸すグルーヴィなサウンド、すっきりとしていてボーカルの華やかさが映える。

1:17頃~のコードチェンジ・リズムチェンジが醸す場面転換が見事。ストリングスがボーカルの切れ目にはらりと見切れる眼福。朗々とした歌唱の存在感が圧倒的で、歌詞ハモが相まってパワーを増す。

ドラムスソロのイントロをエンディングにも配置しフェードアウトする構成は完結性と余韻の両方を巧みに演出する。艶っぽく饒舌なサクソフォンソロ、エンターテイメント?への想い入れを感じさせるサウンドと主題(曲名)である。

歌詞の内容は現実の比喩や示唆に富み文脈が深く、物語性と高い描写ディティールを有している様子……か(参照したブログ記事:まいにちポップス(My Niche Pops)>「さよならハリウッド(Say Goodbye Hollywood)」ビリー・ジョエル(1976))。『ピアノ・マン』にしても、その場の人物の様子を描写してストーリーを想像させる名人・ビリー・ジョエル氏と唸り浅はかな私。

Billy Joelのシングル、アルバム『Piano Man』(1973)に収録。作詞・作曲:Billy Joel

ジローズ『あなただけに』 紳士の“あなた贔屓”

ジローズのシングル曲(1968)。アルバム『ジローズ登場 戦争を知らない子供たち』(1971)に収録。作詞・作曲:杉田二郎。

ダイナミクスの幅、伸びのあるボーカル。高らかで朗々とした発声と粘り気のあるニュアンスはビリー・ジョエルともまた違う独特のリーダーシップを感じさせる。芯で燃える意思が見えるよう。はしばしに艶かしさが映る。

雄弁なドラムスプレイ、かつウェットな音質・響きで奥行きを演出するスネアが力強くアクセントが爽快。スネア自体の音は非常に乾いていて甲高く抜けが良い。アコースティックギターのプレーンな音色がボーカルの華々しさを際立たせる。かろやかに舞うフルートを含む編成が歌を引き立て、音楽紳士な態度を感じる。ストリングスがさりげなくチームに伴走する。

“あなた、あなただけに”と歌うところはごく自然に経過するが2拍の不完全な小節を挟んでいる。さりげないが意匠を感じる作曲ポイントである。

メインとオブリのボーカルを左右に大胆に振った定位になっている様子。アコギも左右で対になった別テイクが用いられているようか。

お互いを特別視し独占しあう関係を築こうとするのは恋のアイデンティティの一面である。パーソナルな利己を投合する関係へと、“あなた”を寛大で紳士な態度で誘う曲想が魅力である。

庄野真代『Hey Lady 優しくなれるかい』 アカ抜けたBaby

ライブ音源。エネルギーを感じるイントロのドラムス。すっきりとしたサウンドで各パートの確かな演奏が味わえる好演。オリジナル版のフェードアウトに対してエンディングの結びはこのバージョンだけの爽快な解決。1980年、アルバム『Last Show』収録。

庄野真代『Hey Lady 優しくなれるかい』YouTubeへのリンク

庄野真代のシングル曲(1980)、作詞・作曲:庄野真代、編曲は瀬尾一三。

イントロのドラムスがウェットに響く。歌い出しからリズム+メインボーカルとハーモニーだけでサビを聴かせる大胆なアレンジ。インパクトが大きく、ボーカルの華やかさをアルミ鍋みたいな伝導性で迅速に提示する。間奏ではすぐさまトランペットとラテンパーカスが独特の哀愁・わびさびを醸す。その展開、部分・瞬間毎にスッパリとしたキレからコク深さまで、味わいが千変万化する。

1:42頃、“Hey Lady”……のリフレインに“あなたの声で 私 素顔に目覚めたの”の1行をはさんでまたサビのリフレインに戻る展開が独創的。

一方、エンディングでは“Hey Lady Just a Lady 優しくなれるかい”のラインを繰り返してフェード・アウトする。リフレインの仕方がシンプルなこちらが定型であってもおかしくないのだけれど、曲中のサビでは先述のラインを挟んだひとひねりある構造が定型になっている。ソングライターの工夫の高さを思う。

Aメロらしき部分(“男のロマン 女には”……)は7・5調らしい秩序も観察できる一方、語尾に施したフェイクなど情報量のスピード感が破調に感じられもする点、独特のリズムと波がある。

メロディ・詞・アレンジとどこをとっても聴きどころに富んでいて、延々と飽きが来ない。気の利いたセンス、ソングライティングの技量である。The Ronettes『Be My Baby』の“Baby”を“Lady”とした続編・外伝のように味わうのも面白いかもしれない。

オックス『僕をあげます』 刹那の献身

オックス(OX)のシングル曲(1970)、作詞:阿久悠、作曲:佐々木勉。

しっとりと妖しく、憂い深い歌唱。メロディの上下の動き・幅・距離は波乱に満ちていて、脱力してこそさらりと歌える難しいフレーズに思う。

「ウー」とバックグラウンド・ボーカルの柔和な音壁、ストリングスがエモーションを助長し、「ポン」とピツィカートでブレイクを埋め緩急をつける。プレーンなギターのオブリガード、ライドシンバルとリムショットを中心にした繊細なダイナミクスのドラムスは漂う心情の振れ幅の象徴か。

フルートが前の方・近い音像でオブリガードし、ポロポロと流麗なピアノがかなり奥・はじっこの方にいる感じ。キャバレーというのかダンスホールとでもいうのか、私としては映画の中だけで見覚えのあるような“酒場”然とした環境を想像させるサウンド。盲目的で破滅・献身(貢ぎ)型の恋愛を想像させる曲想である。いまでこそ場末のニオイがプンプンするが、都会・先進とはこういうものだった時代もあるのだろうか。

『Be My Baby』型のドラムソロは冒頭と結尾に配置。主眼は歌謡に比重のあるGS(グループ・サウンズ)の趣。当時のGSカテゴリの雑食性を思う。カスタネットやタンバリンの記号は不見当で「これぞBe My Baby感」はドラムソロにほぼ全振り。こういった局所的なバランス感や俗物っぽさも代謝を続ける人間としてのリアルがあり、私がGSに好意を寄せる理由のひとつである。

ザ・フォーク・クルセダーズ『花の香りに』 “白い花”に映る想い

ザ・フォーク・クルセダーズ名義のアルバム『若い加藤和彦のように』(2013)収録。

“白い花”が映像・情景、人物らの想いを映す。モチーフの扱いが秀逸な作詞は7・5調のリズムを有しており、見習うべき秀作の一つかもしれない。原曲は“おらは死んじまっただ”で名高い『帰って来たヨッパライ』を歌ったグループと同一であることを疑いたくもなるが、いや、だからこその振れ幅であるようにも思う。

オフコース『愛の中へ』と同様、出だしからドラム以外のパートがいるが、それにも関わらず私に『Be My Baby』を思わせる。もともとザ・フォーク・クルセダーズの1968年のシングル『何のために』のB面曲、アルバム『紀元貮阡年』(1968)収録曲。

『Be My Baby』を思わせるドラムパターンによる新アレンジの『花の香りに』は北山修・坂崎幸之助によるザ・フォーク・クルセダーズ名義のアルバム『若い加藤和彦のように』(2013)収録。作詞:北山修、作曲:加藤和彦。元バージョンはアレンジがまったく異なり、非常に優雅で絢爛な弦楽アンサンブルの様相で冒頭と結尾がくくられている。

アルバム『紀元貮阡年』(1968)収録の『花のかおりに』。

新(きたやま・坂崎カバー)バージョンはCメージャー調で演奏しておりメインボーカルが上のCにまで達する非常にハイピッチなキー。繊細な歌唱は新しい息吹と回顧の両方を感じさせる。元バージョンのFキーに対して、歌い手の性別を変える時にほどこすキー変更くらい高くなっている。調合は元版と新版のあいだで♭一個しか違わず(F→C)近親調であり、ふたつのバージョンの調性面での親和度は高い。

新(カバー)版は素早いカスタネットのストローク、タンバリンの華やかな響きと『Be My Baby』を思い出させる記号を複数そろえる。ハーモニーのボーカルはいずれの版も活躍しているが、音の壁を意識したつくりになっているのは新(カバー)版である。帯域や左右のバランス、各パートの接着感がほどよく気持ちの良いサウンド。みずみずしい花の香りを思わせる爽快な新解釈である。

斉藤和義『真夜中のプール』 祝辞と君の影

2004年のシングル曲。2006年のアルバム『俺たちのロックンロール』収録。作詞:作曲:斉藤和義。

ゆったりとしたテンポ。輪郭がはっきりしていつつ、太く力強いドラムス。お約束のドラムスのイントロのち、「ド・ドン」と派手に鳴る太鼓はフロア・タム? ティンパニかと思わせる絢爛な響きとともにカスタネットが高鳴り、ピープーと耳触りのやさしいシンセがリードする。口笛の輪郭を丸くしたようなトーン。斉藤和義サウンドの肝要・アコースティックギターはコーラスをかけたようなワイドな響き。左右に対の別トラックが振ってある。

サビの歌詞ハモ、ストリングスが気分を高める。タンバリンが8つ打ちで恒常性を支える。12弦ギター?のキメのオブリがハマる。サビ後のCメロ?尻のボーカルのロングトーンと丸っこいシンセのリードトーンが重なりつつ間奏に入っていくところがドラマチック。回顧を描写する歌詞が共感のピークへ誘い、感動を与える。

エンディングでアコギとボーカルが裸になるところで歌詞の主題のモチーフ“プール”が映える。裸の弾き語りに重なって冒頭のお約束のドラムスソロを再現し、エンディングを走り抜ける。爽快さとほろ苦さ・あたたかみが同居し万感に満ちている。

誰しも、鋭くおのれの人生を設計し、計画を緻密に遂行し、そのとおりの未来がやってくることばかりではないだろう。主人公の現在を肯定し、祝福してあげたくなる。実直な演奏のひとつひとつが沁みる斉藤和義作品のひとつに数えたい。

The Beach Boys『Don’t Worry Baby』 水のように巡る意志

『Don’t Worry Baby』はThe Beach Boysのシングル『I Get Around』(1964)のB面、アルバム『Shut Down Volume 2』(1964)に収録。作詞・作曲はBrian Wilson、Roger Christian。

イントロのドラムスの切り取り方がアウフタクトなのかフェードインあるいはカット・インなのか、半端な感じの導入がかえって注意をひき、聴かせる。ドラムスのフレーズやベースの打点は『Be My Baby』の定型そのままとは異なり、一聴してイントロのドラムフレーズにピンと来る感覚が薄く、この記事のプレイリストに含めるか躊躇した。

ボーカルのかけあい、サウンドの構造、曲の展開から受ける印象、演奏の8分刻みのダウンビート感は『Be My Baby』の魅力を非常によく写し取っており、かつビーチ・ボーイズのわくわくする透明感や水の滴るようなうるおい感が秀逸。冷(ひや)っとした聡明さからは、この先述の項目で聴いたオフコースを思い出せもするが、その魅力はそれぞれ異質なものだ。

The Beach Boysのこのテのサウンドのわくわく感は至高である。アイディアのネタ元(Be My Baby)の有無などどうでも良い。そもそもネタ元を持ち出しあてがおうとするのはリスナーの偏見・ちょっとした悪癖かもしれない。まあ、作り手を離れたら利用のしかた(楽しみ方)は鑑賞者の範疇である。そうしたユーザーのリアクションが新しい作品の生まれるきっかけにもなるだろう。音楽は循環するのだ。The Beach Boyのサウンドが新鮮なのは、アイディアやら音楽につながるあらゆるものが彼らを通して代謝し、世の中とつながって巡ったからかもしれない。

The Beach Boysといえば、厚くてなおかつ透明で、上下にも手前・奥にも広がりのある声や楽器のサウンドのイメージが確かにある。この確固たる個性のもとに他人の優れた作品のアイディアや遺伝子を迎え入れることで、文脈を引用しつつも斬新で、己の烙印を入れた表現ができるのかもしれない。

(ひもづけ)John Lennon『(Just Like)Starting Over』 重なるメロディ

John Lennonのシングル、John Lennon and Yoko Onoのアルバム『Double Fantasy』(1980)に収録。作詞・作曲:John Lennon。

『Don’t Worry Baby』の歌メロディが私の記憶に探りを入れる。ポンと思い出したのはこちら、John Lennon and Yoko Ono『(Just Like)Starting Over』である。ヴァースの折り返しのあたりの歌メロディに、『Don’t Worry Baby』のボーカルメロディとわずかに相似する部分を見いだせないだろうか。

音楽の語彙が世界を巡っている。ことばや想いのはしばしを物々交換、与え合いっこしている様相を勝手ながら思う。『Be My Baby』→『Don’t Worry Baby』→『(Just Like)Starting Over』と、つながりを見出して聴く楽しみはいかがだろうか。

TULIP『銀の指環』 儚い誓いの象徴

チューリップ(TULIP)のシングル(1974)。作詞・作曲:財津和夫。

姫野さんボーカルのTULIP曲である。エレクトリック・ギターの貫通力ある鋭いサウンドが印象的である。エレキ・ギターとベースのユニゾンした、同音連打しつつの分散和音のベースラインがブイブイとごきげんに耳をひっぱっていくヴァース。左にきこえるガバガバしたクランチギターのカッティングも妙味。ピアノのエイトのストロークも気味よく耳をリードする。「アー」とコーラスも貫通力ある響きで降ってくる。

突進力あるバンドと歌唱のダブサウンドでTULIPのオリジナリティ溢れる好きな曲である。イントロのリズム形以外ではドラムスのちょっとした装飾のつけかたが『Be My Baby』っぽい。『銀の指環』における『Be My Baby』っぽさはこういったドラムにみる要素と、コーラスの味付けとピアノのストロークくらいのものかもしれない。総じて、男の子バンドの衝動性や爽快でやんちゃなエネルギーがはじけている。間奏の2拍3連型に似た移勢リズムを擁したギターのハーモニックなソロがバカンスチック。

恋は消え失せるが、物質としての指環はのこってしまう。あるいは、君がくちづけした指環は物質的なものでなく、目に見えない誓いの象徴だったのかもしれない。“銀の指環”のモチーフに、主人公のやるせなさを映し見てしまう。

元気なバンドの音とほろ苦い主題の対比がここちよいバランス。跳躍してブルーノートに至るボーカルが一瞬のスパイス。コンパクトに味わいと勢いの詰まった好作。

アウトロ お約束は未来へ及ぶ

『Be My Baby』そっくりのドラムス・パターンでつづり始める、というコード(おきまり、お約束)にしたがって、いつしか曲目を収集していた。頭の中の“Be My Baby 領域”が徐々に大きくなる。イントロが相似する曲に出会うたびに、この領域へひもづけるフラグがピンと立つ。

『Be My Baby』を意識して生まれた曲が数多あり、その上(下に?)にまた新しく音楽が生まれる。『Be My Baby』遺伝子が第2世代・第3世代と渡っていく。私の知らない子孫(曲)がまだまだ世にたくさんあるだろう。この記事(プレイリスト)は引き続き更新するつもりだ。

『Be My Baby』の冒頭はごくシンプルなドラムス・パターンだし、『Be My Baby』こそがすべての始祖というわけでもないだろう。『Be My Baby』とて多様な遺伝子を継ぐ形で生まれた作品に違いない。そのあたりの知見が甚だ薄弱なので、これについてもサスペンド、引き続きアンテナを立てておく。

『Be My Baby』型のドラム・パターンを引用することで、その文脈を踏まえておのれの論理(新曲)を表層におっ立てることができる。未来の新作がさらにその上に乗っかりやすいデザインになっているのが“Be My Baby遺伝子”の優位性だ。ちょっと練習すれば、ミュージシャンでなくたって多くの人がこのリズム・パターンを再現できるだろう。パターンの再現だけならばドラムスにこだわる必要もない。そんな作品もあっていい。遺伝子を薄めた作品も含めれば、『Be My Baby』のすそ野はさらに驚異的に広がるだろう。

シンプルでどこにでも似通った形状がありうるだろうに、“『Be My Baby』を意識したお約束だな”とちゃんと理解されるから凄い……と思うのは私だけだろうか。私が『Be My Baby』の色眼鏡をかけてしまって、外すことができなくなっているのだろうか。私はすっかり『Be My Baby』にゾッコンである。

この記事(プレイリスト)になくて、あなたの“Be My Baby 領域”にある曲や雑学があればご紹介・入れ知恵くださっても嬉しい(最下部コメント欄、青沼詩郎 Twitter@bandshijin、このサイトの「お問合せ」などへ)。一緒に楽しんでいただければ幸いです。

青沼詩郎

Ronnie Spector 公式サイトへのリンク

Wikipedia > ザ・ロネッツ

Wikipedia > ビー・マイ・ベイビー (ザ・ロネッツの曲)

三省堂 > 歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~ 第121回 Be My Baby(1963/全米No.2,全英No.4)/ ザ・ロネッツ(1959-1966)筆者: 泉山 真奈美

上記、辞書で有名な三省堂サイトにコラム。言葉の表現に着目したニュアンスのディティールの解説、またBe My BabyやThe Ronettes、それらの活躍した時代背景についてのごく端的で的確な分量の概説があるのでリンクしておく。

この記事の元にした私のSpotifyプレイリスト『Like “Be My Baby”』


この記事の元にした私のApple Musicプレイリスト『Like “Be My Baby”』

『Soundbreakin(サウンドブレイキング レコーディングの神秘)』。episode1の中盤でフィル・スペクターにフォーカスした部分がある。編成を厚く厚く、大人数でおこなう手法がサウンドの秘訣であるのがうかがえる貴重なドキュメンタリー。2016年、PBS(The Public Broadcasting Service)で最初に放送された(参考Wikipedia)。

上記の『Soundbreakin(サウンドブレイキング レコーディングの神秘)』がPrime Videoで視聴可能(2023.4.24時点)

The Ronettes『Be My Baby』を収録した『Presenting the Fabulous Ronettes Featuring Veronica』(1964)

吉田美奈子『夢で逢えたら』を収録したアルバム『FLAPPER』(1976)

岸田繁&上田麗奈『ポケットの中(feat.スズネ)』、くるり『ポケットの中』を収録した2枚組みサウンドトラック『リラックマと岸田さん ~リラックマとカオルさん・リラックマと遊園地 オリジナル・サウンドトラック~』(2022)

くるり『ポケットの中』を収録した『愛の太陽 EP』(2023)

くるり『(It’s Only)R’n R Workshop!』を収録したアルバム『NIKKI』(2005)

甲斐バンド『昨日のように』を収録したのアルバム『英雄と悪漢』(1975)

The Beach Boys『Heroes and Villains』を収録した『Smiley Smile』(1967)

PRINCESS PRINCESS『友達のまま』を収録したアルバム『LOVERS』(1989)

オフコース『愛の中へ』を収録したアルバム『over』(1981)

Billy Joel『Say Goodbye to Hollywood(さよならハリウッド)』を収録したアルバム『Turnstiles(ニューヨーク物語)』(1976)

Billy Joelのアルバム『Piano Man』(1973)

ジローズ『あなただけに』を収録したアルバム『ジローズ登場 戦争を知らない子供たち』(1971)

庄野真代『Hey Lady 優しくなれるかい』を収録した『エッセンシャル・ベスト』(2007)

庄野真代『Hey Lady 優しくなれるかい – 1980 Live Ver.』を収録した『Last Show』(1980)

オックス『僕をあげます』を収録した『オックス・コンプリート・コレクション』(2002)

ザ・フォーク・クルセダーズ『花の香りに』(新アレンジのもの)を収録したアルバム『若い加藤和彦のように』(2013)

『花のかおりに』(元のアレンジ)を収録したアルバム『紀元貮阡年』(1968)

斉藤和義『真夜中のプール』を収録したアルバム『俺たちのロックンロール』(2006)

The Beach Boys『Don’t Worry Baby』を収録したアルバム『Shut Down Volume 2』(1964)

『(Just Like)Starting Over』を収録したJohn Lennon and Yoko Onoのアルバム『Double Fantasy』(1980)

『銀の指環』を収録した『チューリップ・ガーデン』(オリジナル発売:1977年)

ウォールオブサウンドの秘訣に迫る章を含んだ、エンジニアの中村公輔さんの著書『DTMミックスのコツが一冊で分かる本 (リットーミュージック) (Sound & Recording Magazine) 』(2024)。狭い部屋に大所帯が詰める録音現場の様相を強く印象づける内容です。ロネッツの『Be My Baby』がウェットで深い響きなのに音像がはっきりしているのは、ひょっとして人間の肉体が狭い空間を占めることである種の飽和したドライ(響く余地がない)状態みたいなものが出来て、大所帯で複数のパートを鳴らしてもまわりこみで破綻することなく、録れ音に対するエコーチェンバーによる残響の付加が効果的に映えるのでは?なんて当てずっぽうを想像します。ライブハウスやホールにお客さんが大入りになると音響がかなりデッドになる演者の感覚ってあると思うのです。それに近いことが起きていて、それもウォールオブサウンドの特徴のひとつをつくっているのじゃないか? と無知なりに想像しました。

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Be My Baby(The Ronettesの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)