破茶滅茶に面食らう 映画『The Blues Brothers』

Amazon Primeで遭遇した、黒い帽子とスーツ・サングラスを身に着けた二人の男の構図のジャケ写に惹かれたのは何かの啓示だったんだろうか。

ちょうどそのとき私は『AMERICAN UTOPIA』を観終えたところだった。David Byrneらのキリっとした、先端・先鋭・洗練極まる演奏、パフォーマンス、ステージ美を収めた完璧な映像を堪能したあとに、私はB級っぽいもので箸休めを無意識に欲したのかもしれない。

『The Blues Brothers』を観終えた後であれば、この映画に対する「B級」の形容は、私の感想を適切に表すものでないと分かる。でも、ジャケ写を一見したときは思ったのだ。この胡散臭い感じの二人の男が、その見た目が想像させる通りの、地味目でこじんまりとしたズッコケコメディを演じるのを想像したのだ。結果から言うと、この二人の男はやってくれる、私の想像をはるかに超えた無茶苦茶を。

はじめのうち、この映画をどう観ていいものか私は探った。これは一体なんの物語か。この二人の男の関係や素性、目指すところはなんなのか。そこへの興味で画面を見続けた。刑務所を出る一人の男が神々しく光を背負う。出所した彼を車で迎えたもう一人の男は車中で、かつて所有していたはずの車を売ってマイクロフォンを手に入れたくだりを会話のなかで明かす。そのとき二人が乗っている車がボロい理由である。……と、気になる点がひとつ。かつて所有した車の代償がマイク? 音楽をやる人間、たとえば私には良いマイクは財産だと分かるが、えらくニッチな財産を引いてきたものだ。

それから徐々に、いや明らかに・高らかに、この映画は「音楽」を重要で最たる題材にしていることが示される。レイ・チャールズだとかゲロッパだとか、私風情でも認知するレジェンドがさらっと端役(は言い過ぎ、脇役)で演技……どころか生演奏を画面の中でぶちかます。

ぶちかますのは音楽だけじゃない。乗り回した車・車・車で車を建物をグシャグシャにし放題なトンデモ映像館なのだ。不思議と主人公らの車はグシャらない。彼らを追い回すポリス・カーその他カーがことごとく運命に弄ばれていく。これ実写・実寸なの? いつどこでどうやって撮ったの? いったいいくらかけたの? 私の余計なお世話と一緒に画面の中で次々と車両が“いろはす”のペットボトルみたいにグシャグシャになっていく。

すべてのグシャグシャが、主人公の男二人の出身の孤児院を存続させる正義の演出であることが、この物語を貫く。この一点張りで、細かいツッコミをとりあえず押しのけて最後まで観させる無茶も無茶、もう無茶苦茶なのである。とにかくただ一点の己の正義を貫き、貫く際の「無理矢理」に関しては「ツケ」にして、貫いたあとに始末をつける。始末がついている気は全くしないが……。

無茶苦茶の極致な割に、この映画では人死にが描かれることがない。グシャグシャになる車両のドライバーは、実際には首を痛めるとかの怪我を無限にしていそうだし、主人公に向かってロケットランチャーをぶち込んでくるトンデモ人物も物語の要所で露出を繰り返す。が、やっぱり誰も死なない、この映画の画面の中では。このポリシーも、主人公らが貫く正義と符合して思える。この滅茶苦茶ぶりでありながら、映画を最後まで観させるプッシャーになっている。動機が清らかなのだ。コード進行みたいに、破茶滅茶でありながらギリギリの秩序を保つ。音楽が音楽であるための素地、平和的ポリシー。穏やかさのかけらもなく、辺りは瓦礫の山なのだが。

資源をなんだと思ってる? とでも嘆きたくなるくらいに、物体(主に車)が扱い軽く描かれる。何気なく観始めただけの私の度肝を抜く物量。この無茶苦茶は稀有である。ペシャンコにする車がどこからこんなに湧くのだろう。この惑星はどうかしている。The Blues Brothersの二人の存在感と同じくらい、この映画の存在は嘘くさい。嘘くさいというか、現実から浮いている。フィクションとして、手本にすべき浮遊術かもしれない。

この浮ついたフィクション感がきっと、観始める前の私がジャケ写に感じた引力の正体だったのだ。二人の男(たち)にとってただ一点の正義のための、現実離れした都市ぐるみのギグ。考える前にアクセルを踏み、とりあえず地面を離れておく。

Taj Mahalの『She Caught the Katy and Left Me a Mule to Ride』を聴く

耳を引く枯れたサウンドのハーモニカ。気持ちの良いドライヴ、歪み感。楽器(ハーモニカ)自体が枯れたキャラクターのサウンドをしているのか。木製のハーモニカだろうか。マイクを楽器(ハーモニカ)にがっつり近づけて(楽器とマイクを一緒に手で覆い、握り込むみたいにして? ライブではともかく、レコーディングでそんな録り方はしない?)、歪ませ気味に録っているのだろうか。

ボーカルにレスポンスするみたいに、ハーモニカが歌詞の間を埋める。微妙に歌とカブったり、入れ違いがタイト過ぎたりするので、ここに収録されているボーカルとハーモニカを一人の奏者が兼任して一発録音するのは難しそうだ。

Taj Mahalのボーカルの粘土みたいな粘度、フィールが独特である。引っ張り方、突っ込み方、フェイクとでもいうのか音程のふしのつけ具合が絶妙で真似が難しい。質素なアンサンブルに緊張感とメリハリを与え、がっつり統率していく。日本人の小僧みたいな私と、いかに生物的なバックグラウンドが違うかを思わせるボーカル・キャラクターである。

根音から数えて5度の音程を6度に向かって出したり引っ込めたりするギターのバッキング・パターン。ぽつねんとしていて、ドライなのにどこかねっちりとしたベースの地を這うようなフレーズ。ゴトゴトと線路を行く鉄旅を思わせる。軽妙にリズムを添えるピアノ。ドラムもストリートに持ち出すような軽い質量感。プレーンなオケの音が、ボーカルのねっちり感とハーモニカの歪んだ伸び・パワーを映えさせる。

Katyというのはカンザス(K)とテキサス(T)を結ぶ鉄道のことらしい。東名高速道路(東京と名古屋を結ぶ)みたいなネーミングの規則は国が違っても通じているようだ。その知識を手にすると、嬉々としてこの味わい深い楽曲を「鉄道ソング」のひとつに数えたくなる(鉄道趣味に嬉しい傑作を私は勝手に「鉄道ソング」と呼ぶことにする)。

先にも述べたが、ポンコツ電車(失礼、鈍行電車)でゴトゴトと地(じ)を行くような素朴な趣がある。おもにストップ&ゴーのリズムの効いたベースパターンのなす業だろうか。質素な演出の作品には好感を抱くばかりの私である。切符代も払わないで、地元民が車両の外側のあらゆる取っ掛かりにわんさかつかまって相乗りしているみたいなBS放送か何かの番組で観たようなカオスで平和な田舎の鉄道の光景を思い出すが、さすがにそれは行き過ぎかもしれない。

この楽曲は映画『The Blues Brothers』の序盤で用いられる。主演のBlues Brothers自身のパフォーマンスする音源が用いられているから映画で聴けるのはオリジナルのTaj Mahalのものでないが、私の心にひときわ印象を残す。字幕にみる歌詞の「ロバ(Mule)」の文字とか、「Katy」の固有名詞の響きがフックする。出所したてのブラザーをポンコツ車に乗せてシスター(? 孤児院の経営者)のところへ行く、オープニングに相当するシーンでこの曲が流れる。“Mule”に重なって思えるのはポンコツ(っぽい)車といえど劇中でどんな車両にも負けない豪傑車である。警察車両の払い下げだそうで、スペックも良いとか。

The Blues Brothers『She Caught the Katy』を聴く

ブラスが雄弁で派手な印象。Taj Mahal版の音源がストリートで鳴る地の音楽のイメージであるのに対してThe Blues Brothers版はショー。ステージ上の娯楽である。テンポがオリジナルよりわずかに遅いだろうか、ねっちりしているがオリジナルの「ねっちり」とはまた異質で、オリジナルの「訛ったフィール」に対してスクウェアなねっちり感である。

ポロリポロリとエレクトリック・ピアノの音がころげる。ベースの定型がオリジナルと違うのも印象を大きく左右しているだろうか(私はあれが好きみたいだ)。ドラムスのポジショニング(存在感、位置づけ。定位のことではない)もストリートの輪の一員として馴染んだようなオリジナルの音像に対して、ショーのフロアに接地した引き締まった音像である。イントロのギターやハーモニカのフィーリングなどオリジナルを尊重した部分と、こちらはこちら・あちらはあちらとして楽しんで作りあげた面の両方を感じる。

青沼詩郎

映画『The Blues Brothers』(公開:1980年、アメリカ)

『She Caught the Katy and Left Me a Mule to Ride』を収録したTaj Mahalのアルバム『The Natch’l Blues』(1968年)

『She Caught the Katy』を収録した『The Blues Brothers(Original Soundtrack Recording)』(1980年)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『She Caught the Katy and Left Me a Mule to Ride(Taj Mahalの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)