僕は泣いちっち 守屋浩 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:浜口庫之助。守屋浩のシングル(1959)。

守屋浩 僕は泣いちっちを聴く

あのこが住んでいる東京へ、あのこを追いかけていざ行かんとする主人公……そういう芝居(演劇)のシーンに挿入される劇中歌みたいな趣があります。ミュージカルの曲だと言われても信じるかもしれません。せりふを音楽のなかに包含させて音楽のなかでストーリーやシーンを語ろうとするがために言葉やメロディが覚えづらいものだったり刹那的なものに傾いたりする一種むりやりなミュージカルソングは私の好みでありませんが、むしろこういう『僕は泣いちっち』のように、楽曲がポンと置かれただけでもリスナーが勝手に前後関係まで想像に耽ることができるような曲ほど、音楽劇におあつらえ向きなのではないでしょうか。

守屋浩さんの歌唱はエモーショナルにエッジを効かせるところから、ふっと手綱を緩めて可憐にほろっとさせる部分まで表現の幅が広いです。ちりめんビブラートとまではいいませんがほそく細かく揺らぐ光線銃のような通った音波です。

ピアノがハープのように絢爛に和声を支えますが音像は背景に溶けこんでいます。ダブルベースがボンボンと根音をとります。印象的なのはギターのリードですね。湿っぽい雰囲気が出ています。また健闘、といいますかこちらも印象を占めるのがフルート。リードギターと相まって補完しあい、闊達にオブリガードしたりリードしたりします。

「チッチッチッチ……」の具合で、ボーカルと諸楽器のリズムで汽車の擬態を表現します。上京のための交通手段といったら夜汽車が有望で主たる手段だという時代背景を察します。

「泣いちっち」というのは東京のしゃべり言葉の特徴を抽出して再構成したような表現、といっていいのかもしれません。「泣いちっち」「行っちっち」は実際に話される言葉としては違和感があり、そこがかえって現代の私にとってのフックになっています。「行っちまった」「泣いちまった」ならば、現代でも通じるニュアンスでしょう。小坂忠さんが『しらけちまうぜ』という素晴らしい曲を歌いましたが、その「〜ちまう」的な表現を救って独自に解釈したのが『僕は泣いちっち』の注目すべき点かもしれません。

思い人が先に東京へ行ってしまう。東京には、地方にないあれもこれもあって、良い人も悪い人もあつまっていて……不安にかられる主人公の主人公を特によく映すのが3コーラス目でしょう。

「あの娘」のことで揺れる、主人公の心情の「経過」を独自のしゃべり言葉の解釈で表現した不朽の作です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>僕は泣いちっち

参考歌詞サイト 歌ネット>僕は泣いちっち

守屋浩の有名曲・代表曲をセレクトした『夜空の笛』(2010)。『僕は泣いちっち』を収録。

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『僕は泣いちっち(守屋浩の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)