ケ・サラをみた夜

ケ・サラとはなるようになるさ(どうなるのだろう)というような意味らしいです(安易な検索による)。

最近私はピアノ伴奏で弾き語りの友達のライブに出たら、対バンにアコースティックベースと歌手のふたりっきりでライブに出ているミュージシャンがいました。シャンソンの歌い手で、私も知っている名曲を含めたセットリストを、日本語で歌っていました。

フランスのポップスを輸入してきて、日本語をつけてうたうというのは日本の歌謡あるいは商業音楽が数多やってきたことでしょう。日本でフランスの歌が広まるには、やはり日本語で歌う必要があるようです。というかむつかしくて、プロの歌手でも日本人だとフランス語を堪能に話すように歌うことはハードルが高いはずです。日本の歌手にフランスのポップスを歌わせるには、やはり日本語をつける必要がある、と。

それは歌い手側の問題に限らず、リスナー側もそうでしょう。意味を知らない言語で歌われても歩み寄ろうと努力して勉強したり、音楽そのものとして鑑賞に邁進できるユーザーはおそらくマイノリティなのでしょう。こうした大衆歌の日本語へのトランスレートはフランス語だけでなく、英語などほかの原語の歌でも同じことが数多おこなわれているのを思います。たとえば1960年代後期、グループ・サウンズのバンドたちも洋楽……すなわち英語のロックに日本語をつけて歌ったものを数多発表していることを思います。

『ケ・サラ(ケ・セラ)』は、越路吹雪さんが歌ったという知識が私にありました。あと、かもめ児童合唱団がカバーしていたと私の記憶のなかにありました。日本で歌った筆頭を挙げるなら越路吹雪さんこそが「これぞ」でしょう。日本語詞をつけたのは、弾厚作こと加山雄三さんと作詞作曲を分担して数百の楽曲を生んだ岩谷時子さんです。岩谷さんは越路吹雪さんの付き人(マネージャー?)だったといいます。有能な人が表舞台に立つ。その裏方にも数多の有能な人がいるのをおもいます。どうなるのだろう? なるようになるのさ。

曲の名義、発表の概要

作詞:F.Migliacci、日本語訳詩:岩谷時子、作曲:C.Pes・J.Fontana。1971年、サンレモ音楽祭で発表された。越路吹雪のシングルも同年。

Wikipedia参照で、“同音楽祭ではイタリア国内歌手としてリッキ・エ・ポーヴェリが、国外歌手としてホセ・フェリシアーノがそれぞれ歌唱し、2位になった。”とのことです。楽曲のはじめての発表の機会となるサンレモ音楽祭の時点でも、複数の歌手に歌われたのですね。文脈が深い。

越路吹雪 ケ・サラを聴く

4つの調を渡りあるきます。半音ずつ、転調して高くなっていく。人生のステージがだんだんと上がっていく表現を思わせます。

オープニングの静謐なこと。右のほうから複弦の響き。左右の竿物がちゃかちゃかとパーカッシブにリズムを歌います。ベースがプレーンなサウンド。ドラムはこれでもかというくらい静かにしていると思ったら後半で雄弁に。2分後半の急展開、テンポもチェンジしてブラスも勇壮です。

越路さんの歌唱はすべるように、手綱を引き自由に漂うリズムを感じます。

“ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ わたし達の人生は 涙とギター 道連れにして 夢みていれば いいのさ”

(『ケ・サラ』より、原詞の作詞:F.Migliacci、日本語詞:岩谷時子)

涙とギターに道連れにされて夢みているのが音楽人の人生である……とも思いますが、いえ、主体はこの手にあるのです。涙とギターにも夢みさせてやろうぜ。

ケ・サラ 楽曲の地位についてもう一歩近づいてみる

参考サイト 世界の民謡・童謡>ケ・サラ Che Sarà 合唱曲 合唱曲・ポップス/退屈で寂れた町を出て行くよ なるようになるさ

・合唱曲として扱われる傾向がある ・原詞に対して、つけられた日本語詞がかなり違うものがある

といったことを伝えてくれる上記サイト。また、つけられた日本語詞は自由や平和を強調したものがあることや、そうした詞がつけられる時代性、日本の空気を映している可能性があることを私に教えてくれます。

参考サイト Kyo Nishikawa  西川恭  guitar/vo >ケ・サラ Que Será (Che Sarà)【訳詞】

上記サイト、ギタリスト・ボーカリストでスペイン語の訳詞の活動もされている方がスペイン語詞の翻訳を掲載しています。また、この楽曲がスペイン語圏で歌われたり鑑賞されるときにどう受け止められているのか、楽曲の存在感についても言及しています。

主人公は、ふるさとを去ります。しかし、いつか戻るよ、という意思も感じる歌詞です。顔を出しに里帰りするよ、程度のことなのか、目的を達成した後に骨をうずめるのは故郷にしたい、という意思なのかまではわかりません。言葉の細部を超越した観念的な思念、感情がしんしんと伝わってきます。『カントリー・ロード』や『500マイル』などの楽曲を私に思い出させます。旅立ちと望郷の歌なのでしょう。卒業式などに好まれる合唱曲たるゆえんもうなずけます。

イタリア語詞の参考サイト FLOWLEZ>Che Sarà

原詞はイタリア語で、スペイン語バージョンもある……少しややこしいですが……丘の上がふるさとであることや、モチーフとしてギターが共通して登場することがなんとなくわかります。

岩谷時子さんによる日本語の歌詞(参考:KKBOX)では、ふるさとが丘の上の町であることなどは描かれておらず……“超越”が図られているようです。

“平和で美しい国 信じあえる人ばかり だけど明日は どうなることやら だれも わかりはしないさ ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ わたし達の人生は 階段を手さぐりで歩くようなもの ケ・サラ サラ クエル ケ・サラ”

(『ケ・サラ』より、原詞の作詞:F.Migliacci、日本語詞:岩谷時子)

“階段”というモチーフが原詞に登場するのかどうか、ちょっと確認できません。岩谷さんによる創意なのでしょうか。越路吹雪さんが歌った『ケ・サラ』は転調を繰り返し、音楽が高揚していきますので、日本語詞の“階段”が音楽と意匠上の相性の良さを発揮しています。不器用で、見通しが不確かな中を、実践を通してのみ前進できる人生の厳しさを思わせます。そこを進む同士たる人類を激励する歌……とまでいうとおおげさかもわかりません。

ホセ・フェリシアーノ Che Saràを聴く

階段のように転調していく様子がホセ・フェリシアーノ氏の演奏にもうかがえます。フランク・シナトラが歌った『マイ・ウェイ』のような、幅のある人生を歌った荘厳さを覚えます。

複弦楽器の響きは故郷を思わせます。1980年代生まれの日本人の私が複弦楽器の響きに故郷を感じるのは後天的に生じた感性でしょう。クワイヤ(コーラス)やクラップ(手拍子)が、人々の輪や団円を表現。カントリー・アンセムとして勝手に認定したい。

ホセ氏のこの歌唱はスペイン語でしょうか。子音がなまめかしく素早く回ったり、朗々と母音が伸びたりするボーカルの響きが表情豊かで艶やか。聞き惚れます。言語はそれ自体が雄弁な音楽です。

青沼詩郎

『ケ・サラ』を収録した越路吹雪『愛の生涯』(2005)

『Che Sarà』を収録したJosé Felicianoの『THE DEFINITE BEST』(2001)

サンレモ音楽祭でイタリアの歌手として歌った組、『Ricchi e Poveri』

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ケ・サラ(越路吹雪ほかが歌った曲)ピアノ弾き語り』)