ある日の野球体験 西武ライオンズ対日本ハムファイターズ@ベルーナドーム(西武球場)
プロ野球を球場で初めて観た。大昔、私が鼻たれ坊主だった頃に一度くらい父親に連れて行ってもらったことがあったかもしれないが記憶があいまいだから、今回が初めてということにした方がすっきりする。
西武ライオンズ対日本ハムファイターズ。2022年10月2日(日)、「最終戦」ということらしい(プロ野球に疎すぎて何が最終なのかよくわからない)。西武のホーム、西武球場ことベルーナドームだ。
熱心なライオンズサポーターの友人がサード側、高い位置の座敷タイプの席をとってくれた。座敷として一定のスペースがあるから、子連れに快適で助かる。しかも掘り炬燵のように足をおろせて快適だ。友人も私たちも子連れだった。
西武球場前駅に降りてから、その席に至るまでの徒歩がちょっとした登山かハイキングのよう。数多の観客、飲食屋台や球場の運営スタッフが行き交う斜面を幼児連れで歩いた。プレイボール前の、落ち着きとそわそわ・わくわくの入り混じる独特の雰囲気。スタンドを回り込むように、同じ方向にたくさんの人が歩いていく。宗教の聖地の祝祭のようだ(想像だけど)。
席に至ると、場内のほとんどの範囲に目が届く。開けた視界、壮麗な光景だった。センターの背後には巨大なモニターがあって、球場内のどこからでも打順やメンバー、イニング、カウントなどが確認できた。ライオンズの選手の紹介のときには、巨大なモニターに選手ごとに制作した個別の美麗な映像と音声が流れた。どの選手も腕組みをし、勇ましいポーズで映る。雑誌などに取材を受けたラーメン屋の店主がとる、あのポーズである。選手の紹介映像はホーム待遇で、日本ハムファイターズの選手の紹介は名前が淡々と読み上げられるのみだった。
試合が始まると一瞬でことが起こる。ちょっと目を離した隙に球場が湧く。私は集中して見入った。選手の体技は演奏である。まったくもって音楽と似ている。無駄を省き、流れるようなフォームで、必要最大のパフォーマンスを出力する。投球、送球、捕球、打撃、走塁。
西武ライオンズや日本ハムファイターズのこと以前に、プロ野球のことに私は無知だ(中学生時代に野球部経験があるからルールはわかる)。個々の選手の特長、かれらの集合であるチームの特長についても無知だった。
チームはひとつの生き物。個別の選手も生き物。引退したり、新しくやって来たりする。代謝するのだ。移ろいや経過がチームの歴史、バイオグラフィだ。チームを追いかけ、フォローし続けるほどにプロ野球観戦がおもしろくなる予感を覚えた。この日の体験は私にとってスポット(点)。追いかけて、体験や知見を重ねるほどに線、面、立体になるだろう。
西武ライオンズはホームランで先取点したが、日本ハムファイターズに返され、追い越され、ずるずるとイニングは重なった。西武は最後まで得点差を取り戻せなかった。フォア・ボールやデッド・ボールが目立ち、失点に影響して見えた。日本ハム・ファイターズのプレイはストイックさが漂い、的確で強かった。プロ野球初心者の私でも、双方のチームや選手のキャラクター、戦い方に個性を感じた。
野球と音楽
先にも述べたが、野球のプレイは音楽における演奏と重なる。肉体のコントロールの精度の重要性は野球と音楽でそのまま共通するし、観念・精神面にも通ずるところがきっとある。
観念・抽象の共通点は別にしても、実際に球場で、ホームの各選手がバッターボックスに立つときに特定の楽曲がどこからともなく(スピーカーから)流れる。その選手のお気に入りだったり、士気の上がる曲だったりするのだろう。単にその選手のお気に入り、その選手の世代を思わせるヒット曲である場合も多そうだが、選手の出自との固有のつながりを感じるものもある。たとえばBEGINの楽曲を登場歌に用いた山川穂高は沖縄出身。BEGINと同郷だ。このチョイスには惹かれる。単に私がBEGINを好きだというのもあるが、登場歌の選択には精神がうかがえる。西武ライオンズどころかプロ野球無知の私だけれど、この日の空気の記憶と共に山川穂高の存在を認知した。彼は私のプロ野球体験の最初の手がかりだ。
西武ライオンズ球団歌『地平を駈ける獅子を見た』
作詞、作曲、歌手
西武ライオンズの球団歌は『地平を駈ける獅子を見た』だ。作詞者は阿久悠、作曲者は小林亜聖。阿久悠で思い出すのはペドロ&カプリシャス作品。『五番街のマリーへ』『ジョニィへの伝言』などで作曲の都倉俊一とともに、フィルムの中の物語のような独創的な歌を生み出した。
小林亜聖ですぐに思い浮かぶのは『にんげんっていいな』である。童謡として親しまれているだろうか、動物の目線の曲想が可笑しい。CMソングづくりの王様と称えたい小林亜聖はメロディに愛嬌を憑依させるイタコだ。
『地平を駈ける獅子を見た』を歌うのは松崎しげる。1979年のシングルだ。はつらつとした歌声で、この曲をかつてから私は認知していた。西武が勝つと、デパートで流れたのだったか?(どこで耳にしたのかはっきりとした記憶はない)。“ウォウウォウウォウ、ラーイオーンズ……”の部分を中心に記憶していた。
『地平を駈ける獅子を見た』をざっくり聴く
爽やかな風が駈け抜けるサウンド。ポップソングとして贅を尽くした上等な品質を感じる。ヘッドホンでこの曲を聴いたのは今回が初めてである。ストリングス、ブラス、コーラスと勢揃い。まるっこいシンセサイザー風の音がオブリガード。エレキギターもオブリガードする。左でアコギがしゃらしゃらと鳴る。ブラスは勇壮で元気はつらつとしている。コーラスがこれでもかと高鳴りソウル……獅子の魂を果敢に表現。ストリングスは華麗に舞い、エモーションに肉付けする。これ全部生演奏だよな……プログラミングが主流でなかった、あるいはそもそもなかった時代には持ち得ない感慨だ。編曲は高田弘。私の好みや知見にある曲だと、ちあきなおみ『喝采』、桜田淳子『わたしの青い鳥』の編曲も高田弘(あとから気付いたが日本ハムファイターズ球団歌『それゆけ ぼくらのファイターズ』『ファイターズ讃歌』の編曲者も高田弘で、西武対日ハムには編曲者の縁がある。野球ファンがそれを意識するかどうか知らないが……)。
松崎しげるの輝かしくたぎる歌声。曲はEメージャー調。最高で上のAまで出てくるし、そのあたりの高い音域が高い頻度で出てくるボーカル音域。松崎しげるのエネルギー、声の響きが霊感や魂を持って迫る。音域の広さ自体はおおむね1オクターブ程度だから、ポップソングの中央値をそう外れない。男性は1オクターブ下げればボソボソと一緒に口ずさめるだろうし、音域の高さに適う人ならば松崎しげると共鳴して魂を叫べばいいだろう。かなり高い音域の男性ボーカル曲は、歌唱に特化していない女性も一緒に歌いやすいかもしれない。
『地平を駈ける獅子を見た』をソングライター目線でみる
曲中最も高めの音域、ソ♯(G#)から始まるボーカル。始まってすぐのフレーズでドラマティックに1オクターブ下、曲中でもっとも低い音程(メインボーカル)のソ♯まで下がる。歌い出してたった1~2小節で、ボーカルが使用する音域の上端付近と下端を露わにしている。颯爽とした印象を与える一因かもしれない。コンパクトに、聴く人の心に速やかに入り込む。
図3段目、歌詞“美しく……”の部分、Ⅵm(C#m)からベースを半音ずつ下行させ次の段の頭のⅣ(A)に落ち着く。カデンツはまだ続き、Ⅴ(B)を経てⅠ(E)へ解決し“ア・ア・ア ライオンズ……”とサビへ突入。いい流れがキている。野球のゲームなら出塁者が2人くらいいる状態で強打者に打順がつながった感じだ。いいぞ、ライオンズ。
図5段目、歌詞“ライオンズ ライオンズ ライオンズ”の部分は跳躍で和声音をずばり射抜き、Ⅰ→Ⅳの和声の響きと移ろいを、ボーカルメロディが楽団の前面で表現する。強起かつ裏拍で勢いを持たせた、リズミカルかつハーモニックなメロディが雄々しく美しい(“ライオンズ”の「ラ(ーイ)」が強拍で、「オー(ンズ)」が裏拍)。
図6段目、歌詞“ミラクル元年奇跡を呼んで”は直前のフレーズとは対照的に順次進行で猛烈な同音連打。いい流れをやすやすと与え続けてなるものかと奮起する敵投手を想像する。Ⅲ7(G#7)のコードで空気の打開を図る。
図B1段目“獅子よ吠えろよ限りなく”。じわじわと高揚感を高めるメロディ。“獅子よ「吠」”の臨時記号の非和声音がスパイシー。“限りな「く」”のところのⅡ7(F#7)に注目してほしい。Ⅴ(B)のコードに行きたくなる副次調Ⅴ度(セカンダリー・ドミナント)なのだが、裏切って次の段でⅠ(E)に進行している……なんということだ。フルカウントをファウル・チップで延命する束の間の弛緩を想像する。
図B2段目、歌詞“ライオンズ ウォウォウォ ライオンズ ウォウォウォ”。「ウォウォウォ」はまさしく獅子の咆哮。ボーカルメロディ最高音程の「A (ラ)」が「ウォ」のところで登場。原始的な発声で士気はまとまり、頂点に達する。一度目の“ライオンズ”は1拍目を休符にし、弱起。“ウォウォウォ”をはさんで2度目の“ライオンズ”は強起になっている点に注目。ゲームは常にイレギュラーに流れる。が、図B最下段、3度目の“ライオンズ”は強起だ。“ウォウォウォ”はもうやめて4度目の“ライオンズ”をたたみかける。弱起でフレーズは勢いを得た。休符は核エネルギー。爆発的な熱量が宿り、Eメージャースケールのⅲ(ソ♯)に突き刺さる。打球は外野を越えてスタンドへ。こうでなくっちゃ、満塁ホームランを想像。メロディがⅰ(主音。Eメージャー調ならミ)に解決して終わる曲が多数派であるなか、ⅲでのフィニッシュは想像する未来を超越する趣だ。やってくれる。
最後の“ライオンズ”(図B最下段2小節目)のところの♭Ⅶ(D)に混沌が宿る。一瞬何が起こったのか、胃が宙に浮いたような響きだ。混沌に魂を化合させて、後続の主和音への解決で爆発させた。キマったね。発音も“ライ「オ」ンズ”の「オ」。「行くぞ!」「オーッ!!」のときの「オ」の、深くみなぎる響きだ。チームスポーツはこうでなくちゃ。
地平を駈ける獅子を見た(40thバージョン、2017年)
イントロ付近から松崎しげるの歌唱による“ライオンズ”の咆哮。高すぎる。DかC#くらいの音程か。曲中のボーカルメロディの最高音をはるかに凌ぐ。場外ホームランだ。まるで始球式の投球を叩いてスタンドにぶち込んだ趣。まだ試合前なんだけど……セレモニーで飛ばしていく。40周年記念にふさわしい。
伸びやかなエレキギターがハーモニックに響く。サビの歌詞“ライオンズ ウォウォウォ……”のあたりの低音の転回形が新しい。松崎しげるのボーカルはギラつき、照り、熟しまくっている。ダンサブルでプログラミングのリズムがデジデジしている。編曲は冷泉三区音響研究所。
私と西武
重ねて言うが、私はプロ野球に疎い。それはそれとして、私の西武沿線在住歴=実年齢だ。西武ライオンズはいち球団以上に私にとって街の一部でもある。ここで暮らすうえで、西武ファンの友人を持ったのは偶然だけど必然だ。
音楽もそうで、はじめて触れるものは、己の意志で強く引き寄せたものでない場合がほとんどだろう。幼い頃に親の影響で何気なく始めたピアノが私にとってのそれであるように。テレビで流れたもの、音楽の授業でやったもの、そういった、積極的に引き寄せたのとは違う、ただそこにあったものと出会うべくして出会ったようなものをきっかけに、徐々に世界は広がっていく。
私のプロ野球原体験、day1の与太話にここまでお付き合いいだたきありがとうございます。
青沼詩郎
『地平を駈ける獅子を見た-埼玉西武ライオンズ球団歌40周年記念盤-』(限定発売2017年、一般流通2018年)。オリジナルバージョンと40thバージョンの両方を収録している。
『地平を駈ける獅子を見た』(オリジナルバージョン)を収録した『ゴールデン☆ベスト 松崎しげる』(2011)
『地平を駈ける獅子を見た(40thバージョン)』を収録した松崎しげるの『50 years of activity Album 「1/2世紀〜Self Selection〜」』(2022)
入手困難な盤の受注生産サービス「LABEL ON DEMAND」。当時のシングル盤の雰囲気を味わえる……かも。B面曲(カップリング)は長戸大幸作曲のインスト『レッツ・ゴー・ライオンズ』。オリジナル発売:1979年。
SCOOBIE DOのドラマー、オカモト”MOBY”タクヤの著書『ベースボール・イズ・ミュージック! 音楽からはじまるメジャーリーグ入門』(左右社、2022年)。メジャーリーグどころか日本のプロ野球も私には未知だけど、ここから世界を広げます。
ご笑覧ください 拙演