クローバー つじあやの 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:つじあやの。編曲:小倉博和。つじあやののシングル、アルバム『春は遠き夢の果てに』(2000)収録。インディーバージョンを『うららか – EP』(1998)に収録。

つじあやの クローバー(アルバム『春は遠き夢の果てに』収録)を聴く

艶やかなアコースティックギターのオープニングです。ハーモニックかつ素早い達者なプレイ。

コロンコロンと鳴るウクレレのかわいい音色。コードストラミングプレイにシンプルでコンパクトなメロディと歌詞が「かたちの良い」印象。これ以上に何が要りますか(……いいえ、十分!)。私がつじあやのさんを「いいなぁ」と思うのはこうした過不足のないスタイル美や意匠美にあるのかもしれません。「いいなぁ」というのは、共感もありますし、うらやましいとかこういう道を私も行きたいといった憧れや羨望の気持ちも入り交じります。

ウワモノ楽器だけで道をまっとうするようなアレンジです。ドラムやエレキベースの影は感じません。低音は主にチェロでしょうか。ストリングスがコロンとコンパクトなつじさんの一人分の背中を手厚く支えます。

チャリチャリとタンバリンがシックスティーンで鳴り、華やかにします。アコースティックギター、ウクレレ、ストリングス、タンバリン、ボーカルとハーモニーのボーカル。主な成分はこれでほとんどでしょう。

間奏は澄み渡るスライドギターのトーンです。ラップスティールというのか、棹が横に寝ているタイプのスティールギターでしょうか。自立式の堅牢な楽器なのかどうかわかりかねますが、音に密度があって美しくてミヤビです。滑らかで澄んだポルタメントのトーンを聴くと、ついつい楽園とかリゾートの観念を想起します。こことは違う少し先の未来に「理想郷」があるようなイメージです。

歌詞 愛、希望、健康

失くしたほほえみは 空の上から手を振った

悲しくても風をうけて 走りだせる

クローバー、クローバー 見つけたくて泣いたふり

クローバー、君のために どうか目の前にあらわれて

クローバー、クローバー 見つけたくて泣いたふり

クローバー、君のために 僕のために願いかなえて

(『クローバー』より、作詞:つじあやの)

なんだかちょっとほろっと苦くてせつないのです。妄想を膨らましますと、難病に罹っている「君」と、その病が治ること、君が元気になることを願っている「僕」の想いを描いたみたいに思えます。僕と君、ふたりのためになる共通の願いがあるのかもしれません。

四つ葉のクローバーを見つけると願いがかなうと聞きます。珍しいものを見つけると幸運が訪れる(願いが叶う)のってどんな根拠? と、私の中の冷めた人格がツッコミもします。(四つ葉の)クローバーは日本の商業音楽作品ではしばしば題材にされるモチーフのようにも思います。

つじあやのさんの楽曲においては「クローバー」を特に「四つ葉」とは限定していません。

三つ葉は愛、希望、健康を意味し、四つ目の葉は幸運を指すそうです。

「君」が病に罹っているとか心身の不調などにあえいでいると仮定するとき、特に「四つ葉」と限定しなくても、三つ葉にそもそも「健康」が含まれているので単に「クローバー」と嘆き、祈り、唱えるだけでも言葉のデザインの整合がとれているように思えます。

身の丈以上を求めるのは邪の道だと言いたいわけでもありませんが、「足る」を知ることだったり、本来の自分のありのままの姿、本来の自分に過不足ない資源に感謝することだったりを、シンプルに「クローバー」と標するこの楽曲が示しているように思えます。ウクレレの弾き語りを囲むシンプルなアンサンブル:アレンジもその方向にうなずいているように思えるのです。

つじあやのさんのシンプルな作風には、それゆえにかえって思想の広がりや深みをしばしば感じる私です。

固められたアスファルトの隙間から生えたクローバー類か。生命力の強い植物だと思い知ります。

青沼詩郎

参考Wikipedia>つじあやの

参考歌詞サイト 歌ネット>クローバー

つじあやの 公式サイトへのリンク

『クローバー』を収録したつじあやののアルバム『春は遠き夢の果てに』(2000)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『クローバー(つじあやのの曲)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)