エレカシに似てると言われる
ここで音楽について書き散らす。それは私自身がミュージシャンであって、自分の表現に役立てる目的(といいつつ、ただ毎日書くのに追われて更新頻度を守るのが目的かのようになりがち)。
ライブハウスに出演することがある。そこで自分の曲をやる。そういう活動をしていて、そこで新しく誰かに出会う。その人は、同じく出演者のミュージシャンだったり、観に来たお客さんだったり、それ以外の誰かだったりする。
そういう人たちに、私は高頻度で「エレカシ(ヴォーカル:宮本浩次)に似てる」と言われる。似せに行っているつもりはないし、意識しているつもりもない。歌い方や風貌が似ているらしい。ステージにいるときには夢中。結果的にそうなっている(似て見えることがある)らしい。私はエレカシ、宮本さんを好きだが、おそれおおい。
今宵の月のように
私の心のなかにあるエレファントカシマシ。この『今宵の月のように』のイメージが圧倒的に強い。本当に稀有な名曲だと思う。
1997年にシングルと、同曲を収録したアルバム『明日に向かって走れ-月夜の歌-』を発売している。
気付いたら私はこの曲を知っていた。それがいつだったか正確に思い出せない。1997年、私は11歳。釣りと外遊びが好きな少年だった。
『今宵の月のように』はドラマ『月の輝く夜だから』(1997)主題歌。依頼によって制作されたものだそう。ドラマを私はたまたまテレビ画面で目にしたこともあったかもしれないが、その記憶がない。だから、『今宵の月のように』を私はタイアップとしてではなく、純に音楽として知った。歌のチカラが強くとどまる。
コード Ⅰ→ⅢM
歌メロディの音域は広い。下(低いほう)から上(高いほう)までがっつり出てくる。音程の大胆な跳躍もある。だから、大好きな歌なんだけどむずかしい。なかなか自分では歌えなかった。
音域が広く跳躍も多い歌メロディを支えるのがコード進行。
この曲の歌い出しはG→B(7)。これはGをⅠとみなすと、Ⅰ→ⅢM(詳しくはこちら)。ぐぐっと競り上がるような、胸に込み上げるような高揚感、切迫感がある。
Bメロの頭のコードも、このⅢMにあたるB(7)なのが妙。もともとの調であるGメージャーにない、緊張感の高い響き。それを、Bパートの頭に持ってくることで曲にドラマをつくっている
(“新しい季節の始まりは”…と歌い出すところ。作詞・作曲:宮本浩次)。
“今宵”
タイトルにも歌詞にもつかわれている、「今宵」という単語。日常会話では使わない(使います???)。これを用いることで曲に詩情をもたらす。妙だと思う。自分の町や自分の胸に巻き起こっている現実のブルースのようでもあるし、現実に限りなく近いけれどどこか架空の町や架空の誰かの胸に起きている叙情のようにも思える。
後記
ここ数ヶ月、私は徹底的に他人の曲を歌うことを自分に課している。『今宵の月のように』は難しくて歌えないと思っていた。久しぶりに照準を合わせてみる。歌ってみる。「歌えた」というにはほど遠いが、まったく歌えないこともなかった。キーを下げれば高いところはどうにかなるけど、下げすぎると低いところが難しくなる。歌い手の技量と歌心を試される名曲。バンド・エレファントカシマシにとっても、重要な影響をもたらした曲だと想像する。
青沼詩郎
『今宵の月のように』を収録したエレファントカシマシのアルバム『明日に向かって走れ-月夜の歌-』(1997)