作曲をしていると、気になることがあります。

それは、曲のパターン。定型。決まり手。定石。鉄板のワザ、定番の進行。そういうものが私は気になります。

最近気になったもののひとつをテーマに今日はこの記事をつづりたい。

それは、「サビ頭でのⅠ—Ⅲ7進行」。

(どんなテーマやねん。これでいったい私が何をいいたのか、一体何割のひとが理解してくれるだろう?)

私の説明力を尽くして書きたいと思います。この時点でわかってくれるあなたは相当貴重な存在。

私はコード進行の話をしています。

「Ⅰ」というのは、その曲の調における主和音。

主和音っていうのは家みたいなもので、帰ってくると安心感があります。

そこを出発して旅に行く。で、そこに帰ってくる。そんな存在が主和音です。

「Ⅲ7」というのは…ちょっとやっかい。

まず、「ドレミファソラシ(ド)」があるとおもってください。

これらを音階とします。音のカイダンです。じゅんばんにのぼったりおりたりしていくのです。もちろん何段も飛ばしたりもします。

この音階の上に、「音をいっことばしに積み上げたもの」が和音です。

ドのうえに「いっことばし」でつみあげれば「ドミソ」、レのうえなら「レファラ」…。

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シすべてのうえに和音ができるのですけれど、とても大事なみっつの和音をあげます。「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」です。

「ドミソ」は主和音。お家です。安心感です。

「ソシレ」は旅の目的地。ここに行ったら、家に帰りたくなります。緊張感のピークです。ハイライトシーンです。帰りたくなる気持ちが強まるがゆえに、「ソシレ」が登場すると「どうせ帰る(帰りたくなる)んでしょ」という、「先が見えてツマラナイ感じ」をもたらすという効果もあります。

「ファラド」は、思わぬ寄り道とか、あたらしく発見したアソビ場というか、そんな感じです。「シャカリキに目指す到達点」という感じがしないです。ただ、ここへ来たら「帰りたい気持ち」がまったくしないこともないんです。でも、必ずしもするというほどでもない。ここからまだまだどこかへ遊びにいってもいいな。そんな感じのする和音です。さきほど紹介した「ソシレ」にあるような、「どうせここ(ソシレ)に来たらもう帰る(帰りたくなる)んでしょ?」というような「既視感」「お決まり感」「冗長感」が薄いのが特徴です。これを「オシャレな響き」と表現する人もいました。「フワっとした響き」と表現する人もいました。あなたはどう感じるでしょうかね。

ドミソは、音楽理論っぽいコトバでいうと「トニック」です。安心、安定の響き。

ソシレは「ドミナント」。緊張、不安定の響き。

ファラドは、「サブドミナント」です。「サブ」というくらいですから、そこそこの「緊張」とそこそこの「不安定」、あるいはそれ以外のある意味「未知数」な響きです。

「ドミソ」「ソシレ」「ファラド」以外に、「ドレミファソラシ(ド)」上の「2コ積みの計3コ」としては

「レファラ」「ミソシ」「ラドミ」「シレファ」が考えられると思います。これらは、「ドミソ(トニック)」「ソシレ(ドミナント)」「ファラド(サブドミナント)」の代替になります。選択肢、可能性をひろげ、音楽を豊かにしてくれる存在でもあります。

で、今日あつかいたい話題の要、「Ⅲ7」のヒミツにもうちょっとせまります。

Ⅲというのはつまり、ドから数えてみっつ目の音、「ミ」の上に2コの音を積み上げて3コにした和音「ミソシ」です。Ⅲm(三度マイナー)と表記することもありそう。これは「トニック」の機能にもなれば「ドミナント」の機能にもなる、なんともいえない響き。

ですが、「7」をくっつけてⅢ7とする。すると「ミ・ソ♯・シ・レ」になります。

「ミソシ」は短三和音です。短和音は、和音の最初の音から次の音までの距離がちょっと短い和音です。つまり、「ミ」から次の音である「ソ」までのあいだの距離は、たとえば「ド」からかぞえて「ミ」までの距離とくらべて、ちょっと「短い」のです。それに対して、たとえば「ド」から「ミ」までの距離はちょっと長いので、「ドミソ」は長和音です。

ちなみに「ドミソ」「ソシレ」「ファラド」は長三和音。

「レファラ」「ミソシ」「ラドミ」が短三和音。

「シレファ」は減三和音です(なんじゃそりゃーー!)(ここでは説明を省きます)。

「ドレミファソラシ(ド)」の「ミ」の上に、3度間隔で音を2コ積んだ「ミソシ」は、いっこ目の「ミ」から2コ目の「ソ」までの距離が短い「短三和音」で、「Em(いーまいなー)」と表します。マイナーは小文字「m」で表現。

「ドレミファソラシ(ド)」上でつかう場合、ふつう「Ⅲ」(Ⅲm)は短三和音の「ミソシ」なのですが、それを、いっこめの音「ミ」から2コ目の音「ソ」までの距離を長くしちゃう(「M(メージャー)」にしちゃう)……だけではなく、根音から重ねた3度間隔の4つめの音程・セブンスの「レ」を加えたのが「Ⅲ7」です。

つまり、「ミ・ソ♯・シ・レ」となります。(もうよくわからんという人…ごめんなさい。)

今日話題にしたいのは、サビでⅠ(「ドミソ」)の和音の次に「ミ・ソ♯・シ(・レ)」……すなわち「Ⅲ7」をもちいた名曲です。

とにかく曲、きいてください。

Radiohead『Creep』

THE YELLOW MONKEYSPARK

エレファントカシマシ今宵の月のように

奥田民生愛のために

小山田壮平Kapachino

いかがですか?

感じがおわかりいただけましたか?

サビで2コ目の和音「ミ・ソ♯・シ(・レ)」(ⅢMあるいはⅢ7)になったときに、ググっと高まる感じありませんか?

緊張感。圧迫感。高揚感。感情に迫り、気持ちをアゲる感じ?

この「ミ・ソ♯・シ(・レ)」(ⅢMあるいはⅢ7)は、結論からいうと「ラドミ」(Ⅵ)に行きたくさせる(帰結したくなる)和音です。「ラドミ」を「トニック(家。安定)」と考えた際の、「ドミナント(不安定、緊張。旅の目的地)」にあたるのです。(ややこしい?)

上にあげた曲で「ミ・ソ♯・シ(・レ)」(ⅢMあるいはⅢ7)の直後に「ラドミ」(Ⅵ)に連結しているのはTHE YELLOW MONKEY『SPARK』、エレファントカシマシ『今宵の月のように』。

Radiohead『Creep』と奥田民生『愛のために』と小山田壮平『Kapachino』は「ミ・ソ♯・シ(・レ)」(ⅢMあるいはⅢ7)のあと「ファラド」(Ⅳ)に連結しています。ちょっと味わいが変わりますね。「ラドミ」(Ⅵ)に行く「お決まり感」をちょっとハズした感じです。

「サビで」というテーマからははずれますが、

OasisStand By Me

こちらはメロでⅠ—Ⅲ7がガツンと出てきます。といいうか、イントロのギターの音の次からいきなり。

斉藤和義『歩いて帰ろう』

こちらもメロにⅠ—Ⅲ7。『ポンキッキーズ』につかわれて、彼を有名にした名曲。あまり「サビ」に中心をおいていない構成に思えます。「メロ・サビ」というより単に「A・B」? 私にはこの曲のB(♪“Uso de gomakashite~”のところ)が、他のJ-pop典型のAメロBメロCメロにおける「Cメロ」に近い役割に感じます。

この「Ⅰ−Ⅲ7」進行をつかえば、私やあなたもさらなる名曲をつくれるかも?!

それは知りませんけれど、いろんな音楽をきいていて「あ、これもだ」と共通点を見出すのは楽しい。

何かテーマを持って音楽を探したり漁ったりすると、そのテーマを持たずに当たったときとは違った曲が気になったり、発見したり、出会ったりすることがあります。

くるりで探す「Ⅰ—Ⅲ7」

ちなみに、私はくるりの大ファンなのですが、くるりの曲でサビ頭の「ⅠーⅢ7」進行がないか記憶を探っても意外とありません。

くるりは「王道ハズし」の達人。まっすぐに心をつかんでくるポップかつロックな名曲が多いくるりですが、意外と「あからさまにわかられちゃう進行」や「決まり手」を遠ざけて作っているのかも? と邪推する私。

でも、…ないっけ? くるりに「サビ頭Ⅰ—Ⅲ7」。

そう思って、ざざざざざーーーと探しました。

…ありました!

・『スロウダンス』(アルバム『ワルツを踊れ』収録、2007年)


・『犬とベイビー』(アルバム『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』収録、2010年)

このふたつは、サビ頭でⅠ—Ⅲ7進行しています。Ⅲ7のあとはⅥにいってました。

「サビ頭」という条件を除けば、『どれくらいの』(『ソングライン』収録、2018年)のメロ(平歌)がそうでした。

さらに特殊な例ですが『ロシアのルーレット』(アルバム『図鑑』収録、2000年)の間奏、後奏っぽい部分にⅠ−Ⅲ7を私はしたためました。Ⅲ7のあとにはⅦM?(といっていいのか?)。かなりクセの強い謎な進行です。

くるりの革新的な表現は、枚挙に暇がありません。彼らがシングル化する曲とアルバムのみとする曲のキャラクターの違いや特徴、共通点を考えるのもおもしろいテーマです。

くるりに限らずとも「シングル」と「非シングル」を考えると、そのミュージシャンの活動のスタンスや音楽への態度、レコード会社の都合、さらには社会の構造や姿・かたちなど、音楽の外側の世界のことまで見えてきそう。尽きないなぁ〜。

青沼詩郎

※この記事内では「移動ド」でお話しいたしました。