グループ・サウンズの傑作と称えておきます。ですがグループ・サウンズっぽさの要素の最たるところ、エレキ・ギターの影は薄めです。左のほうでスチャッ……ンチャッ……と、キレ良く沈痛な面持ちでリズムを添えるカッティング。
圧倒的に目立つのはストリングス……チェロパートでしょうか、チャイコフスキーの白鳥の湖を重出させます。白鳥のモチーフといったらもうチェロになってしまう、記号変換がオートで頭の中でなされるくらいの圧倒的な名作でしょう。それを丁寧に実直にすくう、すぎやまこういちさんの作編曲の妙もザ・タイガースのレパートリーで重要な要素だといってよさそうです。
ポロポロと左側でアルペジオを、感情の水面の下で息を吸う機会を待っているみたいな平静な演奏を延々と置いていくのはハープでしょうか? クラシック音楽で頻繁に登場する、絢爛優美で重要なパートであり花形といって然るべき楽器です。『花の首飾り』ではおおむねコンパクトな響きで、小型の楽器……実際に使われているのはハープでなくナイロン弦のギターなのか? 私のポンコツ感性では断定できませんが……やっぱりハープなのか? そっちのほうが「白鳥感」のベクトルは強いでしょう。
白鳥(はくちょう)、白鳥と本文で繰り返してしまっていますが、『花の首飾り』歌詞では「しらとり」と扱っています。生物としてのハクチョウではなく、単に白い鳥である……もちろんハクチョウだというのを否定もしません。ハクチョウ以上にハクチョウらしいまぼろしのヤツが「しらとり」なのかもしれません。
歌詞は映像的でコンパクトで、展開がはっきりしています。主人公の描写は薄いですが一応「私」が出てきます。花の首飾りを、自分にかけてくれるのを乞う様子です。
それが、2番では立場が反転します。娘の正体は鳥……しらとりであり、首飾りをかけてもらうことで娘に変わるようなのです。おとぎ話ですね。何百年も人類が想像して創造してきたような、もしものお話、「ものがたり」です。
娘の正体は鳥……などといってしまいましたが、どっちが先かわかりません。人間なのに、鳥になる幻術だか魔術だか呪いだかの被害にあい、首飾りをかけてもらえたときだけ人間の姿にもどれるとか……高い知性を有した鳥が、ふしぎな首飾りの効力によって、それをかけてもらった間は人間の姿に化けることができるとか……「ものがたり」のディティールへの想像が膨らみます。魔術だか幻術だをかけた悪いやつがいるなら、そいつを探し出して術を解かせるといった長編連載が頭の中で始まりそうです。悪いやつかといえば実はそうでもない……向こうなりの正義があって……実は鳥の姿にされた側の非も一理あるんじゃないか?! なんて詳しく描く章立てまで想像が及びます。
なんなら「私」のほうも鳥(しらとり?)なのかもしれません。「私」が人間の姿だなんて、本文(歌詞)で明言していませんからね。鳥たちと魔法と因縁のお話なのかもしれません。
ふわふわと、感情を固定しないのはボーカルメロディやコードのナチュラルマイナー、そのスケールの響き。でも、第6音をシャープさせたモチーフがオケの随所にあらわれて、スパイシーで異国情緒な感じといいますか、ファンタジー感が一気に出ます。
日本人の私の慣れ親しんだ音楽として最も主流なところにないスケールだから異国情緒のようなものを感じるのでしょうか。シャープした第4音や第6音に出会うなり、外来のもの、遠く離れた異国・異時代のお話の始まりはじまり……といった感じがします。ゲーム音楽とかでも定番のクセっ気です。とにかくファンタジーを思わせるのですね。ほかでもない、すぎやまこういちさんこそ、ゲーム音楽の大家です。
音楽の細部にしても惹き込みますし、一歩下がって物語の構成みたいな、音楽の知識や小技をパッキングする骨格、肉と骨全体みたいなものをとらえても盤石の美観があります。傑作のひとつに数えて間違いありません。カバーも多い。井上陽水さんがまるで自分の曲のように歌っていらっしゃる、その歌声も頭の中に容易に再生できます。
青沼詩郎
参考Wikipedia>ザ・タイガース 世界はボクらを待っている
『花の首飾り』を収録したアルバム『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』(1968)
井上陽水によるカバー『花の首飾り』を収録したアルバム『UNITED COVER』(2001)