カオスな装備での帰還
卒業式後の卒業生が、在校生に制服のボタンをあげるという習わしはいつ誰が始めたものなのでしょう。ボタンをあげるのは卒業生から在校生へのイメージがありますが、卒業生どうしのあいだでボタンのやりとりがあることもあるでしょう。好きな人や憧れの人からボタンをもらいたい。ガチ恋の意味でのボタン欲から、単に憧れの意味や敬意からのボタン欲もありうると思います。
ボタンには数に限りがあります。特に第2ボタンはひとつしかありませんね。それをもらうことは、特等席の獲得に等しいのです。もらえた人の喜びはひときわでしょう。
ボタンには数に限りがあるが、数の制限に縛られることなく、よりアレンジのきいたモノの授受をやる傾向が私の実体験としてありました。ボロボロの靴とかベルトとかルーズソックスまでやりとりがあった記憶です。卒業式から帰ってくる卒業生あるいは送り出した側の在校生は、謎のやりとりで謎が謎を呼ぶ装備で家に帰還するのです。ボタンだけならかさばらないのに……。
たとえば学期末の小学生が、その学期じゅうにせっせと作ったり書き上げたりしたさまざまな成果品を持って帰るのは恒例でしょう。卒業生なのに、ちょっとあんな感じ……学期末の小僧感ただようカオスぶりを思い出すのです。晴れるといいな。
曲の名義、発表についての概要
作詞・作曲:中島みゆき、編曲:服部克久・J.サレッス。柏原芳恵のシングル、アルバム『春なのに』(1983)に収録。
柏原芳恵 春なのにを聴く
柏原芳恵さんの歌唱にはかわいさや愛嬌に甘んじることのない品性を覚えます。かつ、学年中あるいはほかの学年からもあこがれられそうな華も感じます。凛々しく美しいですね。
サイドから16分割したアコースティックギターのアルペジオ。こんこんと降り注ぐのは、さみしさと物恋しさなのか、風に舞うソメイヨシノの花びらなのか。さんさんと陽光の注ぐ晴れた日でもユウウツな気持ちがすることってあるとおもいます。
中島みゆきさんのしたためる短調の楽曲には独特の怨念、情念を感じます。これをキリっとした凛々しい印象の柏原芳恵さんがパフォーマンスする塩梅は非常に心地がよいです。
フルートの上行音形のオブリガードが青空への視線を表現します。
“卒業しても 白い喫茶店 今までどおりに 会えますねと 君の話はなんだったのと きかれるまでは 言う気でした 記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます”
(『春なのに』より、作詞:中島みゆき)
想定するつっこみはひとつ。捨てるんかい! です。中島みゆきさん作品らしさを覚えます。
文章の切れ目がややわかりづらく、境界のあいまいなAメロ〜サビ前です。主人公は何を言う気だったのでしょう。相手への好意でしょうか。“君の話はなんだったの”というのは、相手が、主人公から寄せられる好意に気づいていないことの描写なのでしょうか。そうした鈍さに対する憎らしさから、ボタンをわざわざもらった上で捨ててやりたいという怨念なのか。そんなに怖いものでもないかもしれません。
主人公が抱いていた、相手に寄せる思慕への決別が“青い空に捨てます”に宿っておもえます。
“春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます 春なのに 春なのに ため息 またひとつ”
(『春なのに』より、作詞:中島みゆき)
最後のサビ前はリタルダンドしてドラマティックさを印象付けます。
春だからお別れなのです。「春」は、思いが実ることの象徴でもあります。また「回春」という若さを取り戻す意味の表現もあるくらいですから、そのまま若さの象徴が「春」でもあります。
春には、別れがあるし、涙がつきものなのです。
楽曲は構成がシンプルでコンパクトにまとまった粒の良さをしています。“ため息 またひとつ”で、主人公はこの「春」のまぶたをそっと閉じてしまう。下行するベース、濁って緊張する和声の響きとともにアルバムを閉じるように結んでしまいます。柏原芳恵さんのボーカルの潔さとソングライティングが共鳴する好作です。
青沼詩郎
柏原芳恵のアルバム『春なのに』(オリジナル発売年:1983)