映像

Farm Aid 1985

バンド編成です。熱量を感じます。テンポもオリジナル音源よりやや早めでしょうか。埋もれないニールの声、ハーモニカのトーン。仲間と楽しげに演奏する様子が、アルバム『Harvest』収録のオリジナル音源や、彼がもっと若いときの映像でみたときの孤独な印象と対照的でした。立派なもみあげが目をひきます。カウボーイっぽい帽子のスタイル。“old”という単語を歌うときのニュアンスに、この曲とともに経過した彼の時間がこもっているように感じます。

Farm Aid 1998

哀愁がすごいです。不安の闇から光をしぼりだすような弾き語り。声がまったく衰えません。ちょっと鼻にかかった感じの若いニールの声、まんまです。歌い終わりの“gold”の暗がりに消え入るような伸びが美妙です。バンド編成とは別の曲のようなアティテュード。彼の本懐でしょうか。沁みます。たくわえたひげと、よく似合った帽子のあいだに覗くのは歌声同様の鋭い眼光。Goldが示すように、この人の歌は、曲は、朽ちません。

曲の名義など

作詞・作曲:Neil Young。Neil Youngのアルバム『Harvest』(1972)に収録。邦題は『孤独の旅路』。この時代の海外の音楽も、彼らから影響を受けた日本のミュージシャンによる音楽もとても盛んだったように思います。国内のミュージシャンたちの、洋楽からの影響の受け方が濃かったといいますか……主観ですが。

Neil Young『Heart of Gold』(『Harvest(2009 Remaster)』収録)を聴く

非常にシンプルな音作り。これ以上も以下もない!

ドラムスのタスっと余韻の短いサウンド。ベースもプレーンな音です。

途中のハイハットのフレージングがシンプルですが印象的です。拍のオモテ中心に、「チ、チ、チチ、チ……」といった具合です。

Aパートの部分以外ではハイハットをいれていないようです。というか、本編中ほとんどシンバルを用いません。曲の最後の一発だけ「シャーン」といれている。8小節や16小節など、一定のまとまりで拍の頭やその前後にいれることの多いシンバル類ですが、『Heart of Gold』では極力排除している……意図を感じます。抑制がきいていて、シブい仕上がりに貢献しているのではないでしょうか。

ベースはブーン、ブ・ブーン……と、1・3拍目のアタマと2・4拍目のウラにストロークをいれるパターンがAの主ですが、コーラス部でブ・ブー・ブー……といった具合に1拍目のウラからシンコペーション(移勢)風。対比が強調されます。

右に振ったアコースティック・ギターがメインでしょうか。左にはサブ的な役割がいます。ハーモニクスで彩りをそえたり、チャッとパーカッシブにリズムを強調するプレイではんなりと曲に奥行きを演出します。

雰囲気に大きい影響・存在感をもたらしているのはスライド・プレイのギター。寝かせるタイプのラップ・スティール・ギターでしょうか? 単にボトル・ネック・プレイか? これが響くと、私は大陸の荒原をイメージします。あるいはリゾート地、楽園を思わせる音でもあります。

ニールが弾き語るプレイであろう右のアコースティックギターですが、Emのダウンストロークを連続したのち、Dに一度コードを下げて、またEmを「食い」のリズムで打つところがあります。このモチーフがこの曲の心臓だと思います。“I’ve been a miner for a heart of gold”という歌詞があります。「金」を採掘せんと、岩や土などの地盤を叩く。Emの連続するストロークが、掘削の拍動に重なるのです。このダウン・ストロークの押し出しは、よく言えば実直。あえてわるくいえば、愚直。でも、そこに共感するのです。おんなじ叩き方をしたって仕方ないとわかっていても、もうすこし踏ん張り続ければ、一縷の光が漏れ出るかもしれない……その「金」は幻想かもしれません。私の心身の活動に、『Heart of Gold』が共鳴するのです。

最後のコーラスのみバック・グラウンド・ボーカルが重なってきます。一気にサウンドに厚みを増します。採掘のために地盤を叩く……そのストロークを共に奏でるメンバーがいたのが見えてきたかのよう。孤独だと思っていた私は、ほかでもない集団の一員だったのです。愚かにも堅実にも、みな、直に地盤に向かう黄金の採掘者……そんな構図を思います。

1パートにつき2回くらいダブった感じのバック・グラウンド・ボーカルで、ニールのメインと合わせて3声くらいになっているでしょうか?? トップが女声っぽいです。多様な面子が現場にいる。この採掘はひとりよがりじゃないんだと思わせます。ニールの孤高の響きに女声の芯が平行します。調和しているようにも、永遠に平行する孤独にも感じられます。

ハーモニカも重要なパート。弾き語りでも完結させられるのはハーモニカのおかげ。Emが印象的な曲ですが主調はGキーでハーモニカもGキーでしょう。Gキーのテンホールズ・ハーモニカはテンホールズの各キーの中では音域が最も低く設定してある商品がほとんどで、ふくよかで深く豊かな響きのする、私も大好きなキーのハーモニカです。このキーのハーモニカで、強起や弱起のモチーフを吹き分け、リズムやフレーズィングに変化をもたらしており、孤独な情感を豊かに漂わせます。

歌詞

注目すべきは押韻の響きと意味のかけあわせだと思います。

“Keep me searching for a heart of gold” ”And I’m getting old”(Neil Young『Heart of Gold』より)

“gold”と“old”

金は、「最もよいもの」の象徴です。

歳をとることは、誰も避けることのできない生理(自然?)現象です。

黄金は、理想の象徴でしょうか。

「おれは、こうなりたい」。漠然とした思いや理想像に向かって、今日できる行動を、今踏み出せる一歩を私は重ねます。その末に、果たして黄金に出会えるのか? 自分が黄金になれるのか? それはわかりません。厳しい目で現実を客観するもうひとりの私がいたら、「そんなものは幻想だ。お前はお前以外の何者にもなれない。」と指摘するかもしれません。私が反論するなら「自分以外の誰かになりたいなんて言っていない。僕は僕として、光を映す黄金になりたいんだ。そのためにできる、今日いちばんのことを僕は続けるんだ。」そんな風に返すかもしれません。その姿は実直であり、愚直かもしれません。そうしているあいだに、私は歳をとります。誰しも、また……。

ほかにも随所にすぐれた押韻がみつかります。

miner(採掘者……鉱夫)という語を1番や最後のコーラスで用いていますが、2番で“my mind”という表現を用いてもいます。両語は遠くに配置されていますが、曲のなかで響きの似た語を用いるのは吉兆です。「精神は掘るものだぜ。そうすることで深くなるんだよ。思わぬものにも出会えるかもしれないよ」そんなことを私に諭してくれる気がします。

“I’ve been in my mind” “It’s such a fine line”(Neil Young『Heart of Gold』より)

誰にも観察されることのない、針の穴に糸を通すような難しさ。私の心のなかには、そんな理想があります。それが叶わないことを知っては、うなだれる。自分の行動を修正する。でもあきらめない。これはどうだろう? こんなやりかたに変えればいけるのではないか? 「そんなに<理想の穴>を狭くするから、糸が通らないんだよ」とか、「通そうとしている糸が太すぎるんだよ」とか、客観的にアドヴァイスしてくれる誰かがいれば、それはもういくぶん、たやすく実現するかもしれません。でも、私の心のなかをうかがい知れるのは、私だけなのです。岩に閉ざされた金のような「まぼろしのあなた」が私の心の中に、あらかじめいるのでもない限り……。

“I’ve been to Hollywood” “I’ve been to Redwood”(Neil Young『Heart of Gold』より)

ハリウッドとレッドウッドは実在の地名。どちらもカリフォルニア州。意外と近いです。「近い」は主観的ですが……。両地点は350〜400マイル=560〜640キロメートルくらい?の距離のようです。私の主観でいうと東京〜兵庫くらいでしょうか。一日でクルマで行けなくもなさそう。ちなみにレッドウッドというハウスワインが私の近所の輸入食品店で手頃な値段で買えるので飲んだことがあります。ブドウの産地でもあるのですね。のどかそうです。

すごく狂った地図ですが……アメリカ南部で南北にすこし離れたところにあるのが、ハリウッドとレッドウッド。どっちもカリフォルニア州。
カリフォルニア・ワイン、カベルネ・ソーヴィニヨンのレッドウッド。すっきりした甘み・酸味でおいしい。

後記

金を追う。老いていく。それでいい。私はminerなんだ。ずっと探していくんだ。そんな自分こそが、真実の「金」なんだ。そんな感動を私はニール・ヤングの『Heart of Gold』に覚えます。最高に好きな曲が増えました。シンプルな音・編成の構築も大好きです。

青沼詩郎

Neil Young Archivesへのリンク ニール・ヤングのコンテンツの出自、ストック・量はもちろん、ボタンやレバーをいじる動作・音などの仕掛け、演出がカッコイイ、アーカイブサイト。

『Heart of Gold』を収録したNeil Youngのアルバム『Harvest』(1972)

ご笑覧ください 拙演