矢野顕子ひとつだけ』を、私は忌野清志郎との共演バージョンでYouTubeで見て知った。

音楽友達と飲んでいるときに、こんなものがあるよとこの曲を教えてもらった。音楽友達には私の知らない音楽をあれもこれも教えてもらっている。音楽の原野で私はいつも生まれたての子鹿だ。か細く震えながらも必死で立ち生きていこうとしているが、こうして友達に助けられながら情熱を保ってどうにか歩いている。

ひとつだけ with 忌野清志郎

https://youtu.be/rJcQf1SfDRM

このバージョンの音源で最初に曲を知った。矢野顕子30周年時に発売した入門者向けアルバム『はじめてのやのあきこ』(2006)収録。『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』(2013)にも同一音源(リマスター)を収録。

先述のとおり、忌野清志郎との共演版で私はこの曲を知ったので、初めて聴いた時は彼との共作かと思った。それくらい忌野清志郎の肌そのままに感じた。ハーモニカの演奏も、生まれの喜びがはじけたみたいに乗っていて涙が出そうだ。こちらのインタビューに、矢野顕子も「彼の曲」のように感じていることがわかる旨がある。

特に歌詞についても思う。

歌詞 白

歌詞は、忌野清志郎との共演版では細部が変えてある。主に、一人称や二人称や語尾のキャラクターの処理。「あなた」という原詞を「きみ」に、「わたし」を「ぼく」に、「ほしいの」を「ほしいよ」に、といった具合。この工夫が曲をなおさら忌野清志郎自身のもののようにするのを手伝う。でももちろんそうなるのはそうした細かい工夫によってメイクアップされていることがすべてなのでなく、歌の本質が矢野顕子と忌野清志郎のあいだで(あるいはあらゆる人の間で)響き合うものだからだろう。

ちなみに、1Aメロの折り返し後で出てくる歌詞「白い扉」を「黒い扉」と変えてもいる。一人称や語末の処理以上の改変だとも思える。一方、白と黒の切っても切れない関係を思うと、ごく自然な改変でもある。極端に、完璧なまでに正反対のことって実はよく似るのだ。奥深いように思えてシンプルで、思慮に富んでいるようで直感的で、遊んでいるようで真剣。そんな矢野・忌野両氏の姿勢が素直にあらわれた歌。ピアノの白鍵と黒鍵のようにも思える。想像が広がる。

音楽の奔放

コード進行の読み取りにチャレンジしたらかなり骨だった。複雑なのだけれど、とても奔放に、メロディや音楽が行きたがるほうに導いている。いや、音楽が勝手に行くほうについていっただけというか……ほんとうに優れたソングライティングはイタコのようなものだ。ソングライターなり演者は、音楽を憑依してこの世に体現する霊媒なのだ。さすがと唸った。

分析してみると転調や借用部分も多い。そういう理論を考えるアタマを愛嬌もって笑ってくれているようでもある。矢野顕子の音楽愛を感じる。矢野顕子自体が愛なのか。お互いがそのもののようだ。

“離れている時でも わたし(ぼく)のこと忘れないでいてほしいの ねぇおねがい”(『ひとつだけ』より、作詞・作曲:矢野顕子)

忌野さん、本当に遠く離れちゃった。けど、誰も忘れてないよあなたのこと。

青沼詩郎

原曲。坂本龍一がプロデュースに名を連ねる。『ごはんができたよ』(1980)収録。YMOチックなシンセサウンド。

元々はアグネス・チャンのアルバム『美しい日々』(1979)に提供された曲。歌詞「ねぇおねがい」が「愛してるわ」となっている。

矢野顕子『ごはんができたよ』(1980)

『はじめてのやのあきこ』(2006)

矢野・忌野ふたりのライブ映像

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより
“矢野顕子の『ひとつだけ』。彼女の歴史を全然追いきれていないので、忌野清志郎との共演版ではじめに知った。歌詞と忌野清志郎の響き合いがすごく自然に思えて共作曲かと思ったほど。音楽は部分的な転調が多く奔放で情報量満点。矢野顕子がアルバム『ごはんができたよ』(1980)に収録して出す前年にアグネス・チャンのアルバム『美しい日々』(1979)に提供された曲だったとは知らなかった。”

https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3525903184169997