ほうろう 小坂忠 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:細野晴臣。小坂忠のアルバム『HORO / ほうろう』(1975)に収録。

小坂忠 ほうろう(アルバム『HORO / ほうろう』収録)を聴く

各パートの音色、アレンジ・演奏すべてが精緻。1度や2度の鑑賞では満たされません。聴くほどに空虚になるのです。今のはなんだったの? 自分の視界をよぎったものは。私の右の耳と左のそれぞれから入ったものが、頭の中を通り抜けて対極方向の耳から出て行ってしまったみたい。

琺瑯の器でありホロウ(空洞)であり、放浪でもある。完璧すぎる。

コンパクトなバンドの演奏者で再現できそうなアレンジではあるのですが、案外潤沢な音数も込められています。

私がつい夢中になったのがワウギターかクラヴィネットか問題。コワァァ……と人の口の中の形の変化にしたがって響きが随時変わるみたいな音色。ワウギターだと思うのですが、クラヴィネットもバンドの中に入っている感じがします。クラヴィネットにワウペダルをかける変則技をつかったのかなとも思いましたが、ギターっぽい語彙もある。でも鍵盤楽器っぽい語彙もある。やっぱり両方同時に鳴っている瞬間があるみたいなので、ワウギターとクラヴィネットの両方が入っているのかしら。

鍵盤ものがそれだけじゃなくて、ヒヨヒヨと倍音のピークが独特なのだけど耳ざわりマイルドなオルガン。それからエレクトリックピアノの肉壁にくるまれたみたいなカドの丸い音色。これにワウギターとクラヴィネットが、私の感じる音像として近いところでそれぞれに蠢きながら独自の呪文を唱えている。

左にはわかりやすい定位でエレキギターが振ってあります。音を伸ばすところとリズムを刻むところのメリハリがありますし小さくオブリを入れる機敏。間奏は雄弁ですが、リードボーカルが空けた中央の定位にソロギターをオーバーダブするような90年代Jポップみたいな手法ではなく、あくまで左定位のままでいぶし銀なスペルを唱え続けるように演奏をつづけますし、エレピやらワウサウンドもそのままの定位でそれぞれの仕事を続ける。ぐるぐると私は停車駅を過ぎていることにも気づかずどこまでも連れて行かれてしまうのです。

ドツっと衝突音がワイルドなドラムス。ハイハットのピークが金属的ですが耳に痛くなく、バンドの音にアクセントを与えるハイハットです。歯切れの良さを加える感じのハイハットワークとは別次元の役割のように思えます。勝手に「バリトンハイハット」とか名前をつけちゃおうか。

ベースのベランベランとひっくりかえりそうなサウンドがチョイ悪な感じです。低いポジションにふかふかのふとんを敷くみたいな足元の質量感の担保としてのベースは音作りの定石として一般的でしょうが、当楽曲『ほうろう』におけるベースはソファーに腰かけ足を組んでちょっとイケナイ葉っぱの味わいについて説き伏せているみたいな、ちょっと足元から数十センチ浮いたやさぐれ感を私に思わせます。

ボーカルメロディが独特の音程をとっているところがあって、DmのスケールでとるならBはフラットするところでしょうが、ナチュラルBの音程をすらっと撫でながら経過するみたいな気持ちのよいイカれ具合。歌詞“踊りながら”のあたりを注意して聴いてみてください。音程、独特じゃありませんか? いつもながら、小坂さんの歌声は私の思うイケメンボイスです。

バックグラウンドボーカルのパワーもすごい。それぞれにソロシンガーとしても傑出した能力を発揮する人たちがレコーディングに参加しています。

“ほうろう”の主題が秀逸で、先段にも書いたようにダブル・トリプルのミーニングを感じさせます。放り投げようの「放ろう」もありますね。“遠くほうろう”のフレーズ。もちろん「遠く(まで)放浪(する)」の意味あいも感じます。

でも空虚さがいつもついてまわる。その空洞に音が響くのです。余計なものが詰まってちゃ響かない。からっぽでいることが音を響かせるコツなのです。音のための空間を確保してやることなのですね。シンプルでしょ?

青沼詩郎

参考Wikipedia>HORO

参考歌詞サイト 歌ネット>ほうろう

chu kosaka web site ~ 小坂忠のオフィシャルサイトへのリンク

『ほうろう』を収録した小坂忠のアルバム『HORO』(オリジナル発売:1975年1月25日)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ほうろう(小坂忠の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)