“自然に生きてるって わかるなんて 何て不自然なんだろう”(『イメージの詩』より、作詞:吉田拓郎)
そうであることを自覚できるのは、そうでないものを知覚しているからなのです。つまり、これがイメージの話であると判明するのは、イメージ外の話があるからなのです。
イメージの詩 よしだたくろう 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:吉田拓郎。よしだたくろうのシングル、アルバム『青春の詩』(1970)に収録。
よしだたくろう イメージの詩(アルバム『青春の詩』収録)を聴く
吉田拓郎さんの、こうした歌詞に比重のある楽曲のどくとくの節回し、ことばの乗り方、オケへのハマり方・乗り方は真似が非常に難しい独特なものです。自然に嘆いているような気もするし、高らかに叫んで訴えているようにも思えます。
ジャンジャカ、ジャカジャカ……とシンプルなストロークを繰り返すメインのアコギのストラミング。歌詞が切れるところでジャカジャカ……とオルタネイトの16分割のリズムを定常的に入れます。
左にピックベース。右にオブリガードのアコギ。まんなかに吉田さんの弾き語りの配置。ドラムレスです。ギターストロークがありますし、言葉がゆらめくリズムを常にあらわにしています。ドラムスが要らないわけです。右のギターは高めの音域担当。ずっといても、ずっと邪魔になりません。弾きすぎず、弾かなすぎず。古い付き合いの縁深い友人のような距離感です。
音の景色は、真ん中の弾き語り、右のサイドギター、左のベースとずっと変わりません。間奏や後奏でハーモニカが入るくらい。ハーモニカの音色が枯れていて哀愁があって、鋭いのにマイルドです。HONER社あたりのハーモニカでしょうか。ベンドをかけて音程をくすませるなど、哀愁ある表情豊かな音色で妙演です。
“たたかい続ける人の心を誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心はあんなには燃えないだろう”
(『イメージの詩』より、作詞:吉田拓郎)
認知される余地がある。誰も私のことをわかっていない。私の思いを、私の観察を、それを受けて私が工夫したこの世でのアクション、一挙手一投足の意図をだれもわかっていない。これから、理解される必要がある。それに同調する人が世界にいるなら、ひとりでも多くのその人とつながりたい。だから人はたたかうのだと思わせます。
もうわかりきっていることを高らかに叫ぶモチベーションを、誰が持つでしょうか。すでに整い、行き届いていることを重複させることは、無駄どころか害悪かもしれません。一度に食事は一人前。いっぺんに二人前出されて、その場で二人前食べたい人はそもそも必要な「一人前」が異なっています。あなたにとっての一人前の食事が必要なのは一度のみ。もう一人前は、また来週食べに来ればよいのです。
ここには、一人前の食事すらも足りない。だから人はたたかうのでしょう。
“いいかげんな奴らと 口をあわせて
俺は歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
俺と歩くだろう”
(『イメージの詩』より、作詞:吉田拓郎)
高らかに叫び、訴えるというよりは、自然に嘆いているようにも感じる一節です。自分で自分のいい加減さを知覚していて、それを容認するのはずるいことでしょうか。分かっていても変えられないこともあります。それは心が弱いだけなのでしょうか。強い意志さえあれば、自分の短所は変えられるのでしょうか。長所が生きる道をさらに遠くまで行くことが、個人と集団相互の利益になるのではないでしょうか。相互の利益のために人は生きるともかぎりません。誰のためにならなくても、命をつなぎ、まっとうするのです。これが生命の自然です。子を残すとかそういう直接のことに限りません。誰かと関わって生きること。あるいはこの世界で人ひとりぶんの空間を自分の肉体のために押しのけて生きること。それでじゅうぶんです。
“古い船には新しい水夫が 乗り込んで行くだろう 古い船をいま 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう なぜなら古い船も 新しい船のように 新しい海へ出る 古い水夫は知っているのサ 新しい海のこわさを”(『イメージの詩』より、作詞:吉田拓郎)
挑戦できるのは若年者の特徴でしょうか。ベテランだからこそ、サっと踏み出せる挑戦もあるのではないでしょうか。それは挑戦というには足りないものでしょうか? 冒険といえばもう少ししっくりくるでしょうか。若年者には冒険が似合います。でもベテランにだって冒険は似合います。若年にもベテランにも、担える役割があります。冒険も挑戦も、誰もがすべきことであって誰もが一生を通して取り組む命題、それが冒険であり挑戦であります。
新しい海は未知の象徴です。何があるかわからない。命を落とすかもしれないから、地雷原を少しずつ更地にするようにビビりながら、時間をかけてわずかずつ開拓するようでしょうか。ええい、ばかばかしい! と思い切って一走りしてしまえば、そこまでの時間は必要ないかもしれません。同時に、瞬時に命を落とす危険がつきまといます。人生は「賭け」なのか。どういう「賭け」であれば勝負するのかに、その人の生きかたがあらわれます。勝率93%くらいの賭けを繰り返してコツコツ勝ちを重ねて生きて行くのか。勝率52%くらいの賭けに、ここぞというときに大胆に出ていき、大きな成果をひとときにあげ、余暇を豪勢に過ごしながら生きていくのか……。
船は共同体や集団、国家の象徴にも思えます。人が複数いて形成されるまとまり。人の出入り、乗り降りがある観念が船です。大きい話にも思えるのですが、おおげさな話をしているわけでもない。友人との呑みの席での与太話にすぎない、そういう軽妙さも感じるのは、3人だけで演奏しているコンパクトな音楽性のせいでしょうか。確かに、この「詩」を、大編成の管弦楽で劇的に演奏してほしいという気は私には起こりません。これが最高の意匠なのだという気がします。
『イメージの詩』はセルフカバーといいますか、吉田さん自身の名義の録音がライブテイク含め複数発表されています。ずっと続いている物語なのかもしれません。
かたちの不定なものがイメージなのです。誰しも、そういう船に乗っているのかもしれません。
青沼詩郎
『イメージの詩』を収録したよしだたくろうのアルバム『青春の詩』(1970)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『イメージの詩(よしだたくろうの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)