近さ故に見えること、近さ故に見えぬこと。
妹 かぐや姫 曲の名義、発表の概要
作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:瀬尾一三。かぐや姫のシングル(1974)。アルバム『かぐや姫フォーエバー』(1975)に収録。
かぐや姫 妹を聴く
チャカチャカとしたフェザーのように軽いハープ類の音色はオートハープでしょうか。ある時代のフォークに重用された楽器とでもいえるのか、今でこそ(執筆時:2024年)一般的な楽器屋さんで見かけることはまずありませんが、高田渡さんがこの独特な楽器を演奏する映像をYouTubeで目撃したことがあります。五つの赤い風船『遠い世界に』でも印象的な音色を聴くことができますね。
話を『妹』に戻します。チェンバロのような古楽器も出てきます。クラシカルな演出は、人生で一度(あるいは再婚にせよ限られた機会)の晴れ衣装を着て兄のそばを離れる花嫁の神々しさ、耽美を思わせます。ストリングスがささやかな祝福の意を添え、間奏では雄弁に弓をふる様子が目に浮かぶようです。編曲は瀬尾一三さん。
南こうせつさんの歌唱は儚げです。高域に音程が跳躍してすっとコミットするところなど声区をまたいでいるのかわかりませんが至極自然で、歌い手としての南さんにほれぼれしますし彼の声を堪能するのに、こうしたよくもわるくも「フォークじみた」曲調、様式というのはひとつの最適解なように思います。こういう楽曲の志向やスタイルがあってこそのかぐや姫であり、南さんの歌唱なのだと。私はツボを押されてしまって、ほかのいくつかのかぐや姫の曲を再生しては沁み入っています。
ドラムスが滋味深くで実に良いです。まるでカーペンターズの名曲のいくつかのように、2・4拍目の通常スネアが鳴ってもおかしくないタイミングであえてクローズドハイハットを使ってアコースティックで静謐な雰囲気を守り、曲調の盛り上がりに合わせてスネアを含めていきますが当のスネアは非常に短く余韻を抑えたサウンドになっています。ドラムスを構築するひとつひとつのパーツを演奏する機微が良いのです。ドラムスが雄弁になるまでは、刻みをタンバリンに委ねてもいます。そしてじきに、前述のハイハットが入ってくるのです。
ベースも、楽曲の展開に合わせて適確なパターンを選び変化をつけていきます。ドラムスとのコンビネーションが素晴らしいです。
器量
妹よ お前は器量が悪いのだから 俺はずい分心配していたんだ あいつは俺の友達だから たまには三人で酒でも飲もうや
『妹』より、作詞:喜多条忠
「器量が悪い」は時と場合によって意味に幅があるかもしれませんが、ここでは見た目のことをいっている前提で読解可能な流れでしょう。
お兄さんと血のつながった兄妹であれば……お兄さん自身だって「器量悪し」の可能性があるでしょう。アニキだって器量悪しなんだから、あなたに言われたくない! と「妹」は思うかもしれません。
自分も器量が悪いのは百も承知だが、女性であることは「器量が悪い」ことが男性におけるそれよりもさらに強い影響を及ぼす、と考えているふしが主人公にはありそうです。失礼な話だとも現代の価値観では思いますが、1970年代頃の大衆音楽にこういった見た目と性別に関わる価値観の端っこを思わせる表現に出会うことは少なくありません。
心配の理由や、その理由を説明する価値観の正当性や妥当性についてはさておき、純粋に妹の人生を気にかけているということが汲めます。他人とか、興味のない人の人生だったら極端な話「どうでもいい」わけですから、主人公はつまり妹を想っている、思いやっているのです。思いやりをかけるべき存在だと認識している、そういう価値をもつ大切な存在なんだと伝わってきます。
妹と信頼関係を築いてくれたパートナーが、自分の直接の友人だということは、いいところも悪いところもひょっとしたらあるかもしれませんが、ここでは歓迎できる事実として描かれていると解釈できます。友達と妹と主人公の三人で飲みに行ける。妹と友達は婚姻関係である。主人公は、友達にも妹にも同時に会えるのです。妹と友達は「これから一つの生計で家庭を築くパートナー」に相当するのですから、同時に飲みに行けるなら家庭への負担感は最小限でしょう。新婦の「アニキに会える」と新郎の「友達に会える」を同時に成立しうる仲というわけです。
なんだかリアルなシチュエーションに思えるのは、作詞者の喜多条忠さんの”実体験を元に書かれ”(参考Wikipedia>妹(曲))ているんだとか。そういえば私の妻の兄(私の義兄)は、私の妻の姉(義理の姉)の友人と結婚して家庭を築いています。性別や兄妹の順番はいろいろでしょうが、実際「よくある話」なのかもしれません。
分たれることなき兄妹の縁
明朝 お前が出てゆく前に あの味噌汁の 作り方を書いてゆけ
妹よ あいつはとってもいい奴だから どんなことがあっても 我慢しなさい そして どうしても どうしても どうしてもだめだったら 帰っておいで 妹よ…
『妹』より、作詞:喜多条忠
要所に昭和のお父さんみたいな紋切り型(ステレオタイプ?)な高圧的なニオイがたちこめます。これも先に述べたのと根底は一緒で、いつも妹が作ってくれた味噌汁に、その味に、その苦労に主人公はただならぬ愛着と感謝を抱いているのでしょう。
「我慢しなさい」というのも、同じ家庭で育った兄だからこそ見えている妹の弱点、短所があるのかもしれず、部外者から見ると高圧的で押し付けがましく思えるかもしれませんが、兄と妹のあいだでは「わかってるって、もう!」とウザく感じるくらいに真実の的を射た言葉なのかもしれません。
最後に逃げ道を用意する兄の言葉は、弱気な言葉の響きも有している一方、妹を妻とする友人に向かって、おれの妹と幸せにならなかったら承知しないぞという一世一代の忠告なのかもしれません。
妹にとってはそれすらも「分かってるってば」という感じだったり、ほんとにアニキはいつも余計な心配ばかりして、余計な忠告をしてきたりして……分かっているようでいて反面分かっていないのかもしれません。
兄と妹という関係だけは、永久に分かたれることのないものです。
青沼詩郎
『妹』を収録したアルバム『かぐや姫フォーエバー』(1975)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『妹(かぐや姫の曲)ピアノ弾き語り』)