フィジカルの話と一生の仕事

先日ライブハウスに私が出演したとき、複数の演者がそれぞれ自分の時間を受け持つ対バン形式でした。

対バンのライブを観ていると、かれらの自然の波長がたまたま合ったのか、「自分が死んだら」「自分が死んでも」みたいなことをモチーフにして作ったという曲を披露する出演者が複数いました。

歌というのは、残しておけば残る場合があります。口伝てで、人々の集団に残るというのがまず原始的な残り方でしょう。

その次が記譜でしょうか。楽譜に……五線譜に残すのです。五線の記譜方式ってえらい発明ですね。

それからレコードに残すことです。

アナログ趣味のリバイバルといっていいのか、アナログもいち趣味の選択として普通のものとして定着したといっていいのかわかりません。

個人の独立のアーティストも自分の曲をアナログでプレスするサービスが世にはあります。ちょっとお高い印象で私もやってみたいけどなかなか手が出ません。

CDにして残すというのは、私(1986年生まれ)世代のミュージシャンとしてはかなり普通の、ごくあたりまえの手段かもしれません。そんなCDも、サブスクが台頭したことにより趣味的な選択肢のひとつになった向きがいくらかあるかもしれません。

カセットテープなんてのもありますね。今でも好む人がいるようです。アナログヴィニールと、カセットテープの両方で楽曲を出すアーティストも現在においてなお、しばしばいるみたいです。媒体によって味わいの違いがありそう。

私はMD世代なので、カセットがありなら、あのすっぽりちいさなプラケースに入ったCDの赤ちゃんみたいな様相をしたMDも可愛いじゃないかと思います。再生する機械(機会?)がなかなかありませんね。MD時代の民生機器を今でもそのまま持っているという人は楽でしょうが……平成や令和の人がいまからわざわざMDを再生録音できる民生機を買う……というのは、それこそかなり趣味が深い気がします。

そもそもMDはあまりアーティストのリリース媒体にはならず、リスナーの使い勝手のためのフォーマットだったという印象です。例外的に、PUFFYの『JET CD』という作品に、『JET MD』という形態のリリースがあったとかなかったとかいったのを前にWikipediaで読んだ記憶があったようななかったような。

歌を残す手段の話に戻します。

歌を残す手段やその媒体はいろいろあるのですね。サブスクだったらどれだけ残るのでしょうか。著作者が死んだら勝手に配信停止とかされるのでしょうか。親族に権利が移るのでしょうか。親族にサブスク配信を止めるための確認なんていちいちいくわけがないか……(著作権者以外が作品を勝手に配信することに比べれば、配信会社の都合で配信を止めるのは簡単にできるお約束になっているはずです) 配信の更新期限(有効期限)があるサービスでしたら更新の節目に著作者側の配信継続の意思がないことを理由に配信を止めるのは自然ななりゆきでしょうが、サービスによっては無期限のものもあります。また、サブスク会社(あるいは配信を仲介するアグリゲート会社)がつぶれたら当然配信はなくなってしまい、歌(音源)は残りません。歌を残す手段としては、人間一個の寿命くらいのスケールで俯瞰すると、サブスク配信も脆弱な手段に思えます(あるいは2024年以降、もっと強固な存在になっていくのか?)。

たとえばユーミンくらい世の中に認知されて、レコード会社といった組織・集団も末長く彼女の楽曲を商品として扱う価値を明らかに認めている場合であれば、いつアーティストが死んでしまっても(不謹慎ですみません)曲たちは残り、リスナーたちにその後に及んで愛好される可能性がじゅうぶんにあるのを思います。

では私のような無名のつくった無名の歌はどうなるか。

CDをつくってもMDにしてもカセットにしても、ヴィニールを作っても無力? 誰かひとりくらいは大切にしてくれるでしょうか。誰かひとりでもいるならそれももちろん、誰もいないよりは遥かな隔たりを持つ価値です。しかし、その状態では知っている・大切にしてくれているそのたった一人だけ。そのユーザーのみが知る歌であるのみ……歌としては相変わらず無名で、ぎりぎりそのひとりのなかで生き残っている状態です。それも悪くない?……どころか、恵まれているほうかもしれません。

たくさんの人に聴いてほしい、自分の歌(楽曲)とユーザーに関係を結んでほしいというのはあらゆる作り手の願いではないでしょうか。たったひとりでもユーザーがいることは、ゼロよりは数億倍どころじゃない規模でマシですが、それでも限定的すぎるのはむなしいのです。アーティストはわがままなもの。

ゼロをイチにするべく、イチを少しでも倍数に跳ね上げるべく、歌の作り手は、音楽のつくり手は、日々せっせと手だとかノドだとか体をささげて暮らしにいそしむのです。歌い、作り、を重ねる奇特な暮らしです。生活が音楽。

荒井由実 翳りゆく部屋 曲の名義、発表の概要について

作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆。荒井由実のシングル(1976)。

翳りゆく部屋(『40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。』収録)を聴く

パイプオルガンの音色は非日常をおもわせます。クリスチャンでしたら毎週日曜日の普遍でしょうか。私自身が結婚式をしたとき、パイプオルガンが鳴り響いた記憶はないのですがどうしてかこの音を聴くと結婚式のシチュエーションを思い出します。ホンモノのパイプオルガンが轟くシチュエーションで挙式するというのは、ひとつ贅沢で特別な体験かもしれません。

パイプオルガンとクワイア(コーラス)が荘厳な印象を与えます。

豪華で、それなのに慎ましい。敬虔で、特別な響き。

荘厳に思えますが、楽曲自体は案外シンプルだと思います。

カノン進行を思わせるベース下行ですが、全音の下行をみせると副次調Ⅴ和音の響きになるのでただのいわゆるカノン進行とはちがってひねってあります。

メロはダイアトニック和音を第一転回させた低音づかいが、シンプルできれいな響きなのに浮遊した雰囲気を出します。

ドラムスのタムタムが左右・真ん中に振ってあって、きれいな定位を出します。残響感もあって、オルガンやクワイアともよく調和しています。

ユーミンの声もまっすぐで、ふくよかにやわらかくオケとひとつの空間で調和しています。ずっと繰り返して延々と聴いていられそうです。特別な瞬間は一瞬なのですが、記憶の中で永遠なのです。

エレクトリックギターの泣きのソロが遠ざかっていきます。音楽で人生をフレーミング。

青沼詩郎

参考Wikipedia>翳りゆく部屋

参考歌詞サイト 歌ネット>翳りゆく部屋

松任谷由実 公式サイトへのリンク

『翳りゆく部屋』を収録した『40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。』(2012)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『翳りゆく部屋(荒井由実の曲)ピアノ弾き語り』)