これは恋だと全力でいってきた
大衆音楽たるもの、恋だ愛だを言ってきたわけです。
もちろん恋だの愛だのは人生のすべてではないでしょう。恋と愛もだいぶちがいます。愛は人生そのもの、くらいに深く大きいものだとも私個人としては思ってもいます。
愛は普遍です。時代にまたがります。地域も超えます。世界中の古今が、愛を声を大にして言ってきました。
恋は、愛の入り口にあるものでもあるでしょう。恋が愛と重なる部分があります。恋としてはじまり、愛に変わっていくものもあるでしょう(もちろんその反対もあるかもしれませんし、独立した観念としての恋もあるかもしれません)。
親愛、友愛、恋愛、敬愛と愛にもいろいろあります。恋愛とは言いえて妙な単語ですね。恋と愛に重なる部分があるのをよく表しています。
恋や愛を扱った究極の一曲をものすのは表現者の理想でしょう。一生をかけて、ひとつの愛と成るのです。その象徴を、作品たらしめたら本望でしょう。
これは恋ではない ピチカート・ファイヴ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:小西康陽。ピチカート・ファイヴのアルバム『Bellissima!』(1988)に収録。
ピチカート・ファイヴ これは恋ではないを聴く
この曲をすごいと思って、それから時間を置いてまた聴いてまたすごいと思って、今聴いてまたまたすごいと思っている私がいます。このレベルの曲が一生で一曲でも発表できたらまあ最低限おっちぬ資格があるのじゃないかと。傑作すぎて私のただでさえ稚拙な語彙が朽ちてしまいます。
まず主題が素晴らしい。人類が恋だ愛だを一生賢明うたってきたというのに否定です。”これは恋ではなくて ただの痛み”(『これは恋ではない』より、作詞:小西康陽)。
ただ、“愛しているとひと言だけ”と出てくるくらいです。恋未満の矮小な関係をただ瑣末に扱っているのでは決してありません。この楽曲の登場人物らしきふたりの関係は、恋人や愛し合う仲であるようにも思えますが、もっとそれ以外の何かだという気もします。
「別れる↔︎別れない」「付き合っている↔︎付き合っていない」こうした結論めいたことに話題がせまったかと思えば、夜のドライブの景色の移ろいに同調して話がはぐらかされて、相手もそれに一時乗る。でも話題はまた核心に戻ったかと思うと、ちょっと生理的に眠くなっちゃったみたい。
あーだこーだいって、くっついたりはなれたりを繰り返しながら、時間の幅・帯でみると二人はやっぱりただならぬ関係といいますか、切っても切れない縁で結ばれているような気がします。でも刹那で、人生の一時のみの関係という非粘着質なおしゃれさで楽曲の底が貫かれてもいるのです。
オルガンやギターの和声のもどかしいこと。おおよそ、主調というものが存在しないと思わせるくらいに調性を常にふらふらとし続けます。このアタりが私に、ふたりが互いの関係を決定づけることなく接し続けるシーンを想起させるのです。
この特定の調性のなさはもう病的なほどです。これは尊大な褒め言葉です。音楽のレベルが高すぎる。私を中毒にします。
しいていえば、AメロのところでEm7とEm6をふらふらとする……これがこの曲の一番「地面」っぽい調であり和音であるとも思います。
ひとつの調性にずっとよりかかることがないというだけで、瞬間瞬間では調性を感じる動きで構成されています。「私→あなた」のパス一回きりの和声のモーションを全編にわたってコラージュしたようなとりとめのなさです。コラージュによって全体を浮き掘っている。恋だ愛だいわない(「恋ではない」と否定する)ことで、かえって恋や愛の多様性や「揺らぎ」を強く私に印象づけます。「言わない(「〜ない」と否定する)」ことで主題を描く。このアティテュードが、ハイレベルでオシャレ極まるのです。
フルートがちょっと絡む洒脱なサウンド。センターを大事に扱っていて、左にエレキギターが寄っていて、右にはサブのハイハットのハーフオープンみたいな音色が寄っているくらいで、おおむね重要なパートは極端な定位づけがされていません。大事な音は、センター付近からきこえるのです。それでいて、奥行きの設計が緻密で、私にすべての音を明瞭に感じさせてくれます。どうなっているのか。
ドラムス、ベースはプログラミングなのでしょうか。ベースはシンセベースのトーンです。よく動くベースで、話題がひとところに腰をどっかりおろさず、常にふわふわしているふたりの様子を描くようです。それでいて、ルート(和音の根音)を感じさせる最後の理性は保持してもいて、私に断片的な調性感の切り貼りを知覚させてくれるのです。
男声がメインボーカルですが、女声もただサブにまわっているだけ、という主従関係も感じさせず、むしろ自由に辺りで過ごしている様子を思わせます。オブリガードが「ha ha ha~ha」なのが良い。恋を、愛のもつれを、人生を笑っているようなのです。つらいことも苦いこともある人生や恋を、あくまで楽しんでいるような。感情の昂りを切り離して客観し、滑稽だと見下ろしているような「ha ha ha~ha」。おしゃれです。
曲の中間で「アー、シャンシャンシャンシャン」……というこれまた和声の浮かされる展開を挟んでもとのメロに戻るとき、最初のメロから半音下がったキーになっているのが面白い。中間部の「シャンシャンシャンシャン……」にいくときの浮遊感を出したうえで、元のメロに戻るために元のキーの半音下になる必然があるようにも思えますし、もうひとつの必然……というか理由があるとすれば、エンディングでボーカルの張力が最高潮になるので、キー(声域)が高くなりすぎないようにマージン(余裕)を稼ぐ意匠なのかもしれません。
恋ではない、痛みだ……と、平静でクールな態度で貫いてそのまま車を夜の闇の果てにフレームアウトさせてしまうのではなく、しっかり音楽的に、人間の肉体的なピークがエンディングにあるのです。ボーカルの声域が最も高まります。しかし単語や文章で恋や愛の核心を「説く」のでなく、ただの「ウー、ベイビーベイビー」。恋も愛も言語を超えたテクスチャを持っているのを雄弁に語るのが音楽なのです。ピチカート・ファイヴが世界で最もすぐれた音楽Loverかつその表現者であることを象徴する傑作です。
青沼詩郎
PIZZICATO FIVE(ピチカート・ファイヴ) 日本コロムビアサイトへのリンク
YouTubeチャンネル PIZZICATO FIVE Official
『これは恋ではない』を収録したピチカート・ファイヴのアルバム『Bellissima!』(オリジナル発売年:1988)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『これは恋ではない(ピチカート・ファイヴの曲)ギター弾き語り』)