左右にダブったアコースティック・ギターとみずみずしい歌声。左から聴こえるのがスチール弦で右から聴こえるのがナイロン弦か。森山良子は当時19歳くらいのはずである。なんという落ち着き。
旋律は滑らかで歌いやすく美しい。1番歌詞「ともだちで」(2番:じゆうに、3番:たいせつに)の部分だけ半音進行していて、平静・平易な雰囲気の曲調に独創を薫らせる。
私は中・高校生くらいのとき、年に1~2度、キャンプに参加することがあった。小学生から大人までいろんな年齢の人が班になって過ごすものに参加したり、親子連れのためのキャンプにスタッフとして参加したりした。
最後の夜に定番なのがキャンプファイヤーで、火を囲んで歌った。日中の何気ないすきま時間に歌いもした。ギターを弾いて歌えるメンバーはその役どころになる。達者な人がいて、いろんな歌をキャンプの機会に知った。『大きなうた』『あの青い空のように』、それから『今日の日はさようなら』だった。だから私はこの曲をキャンプソングだと思っていた。大ざっぱなカテゴリの中にあるピースとしてのみ認識しており、作曲・作詞者が誰かなんて気にしなかった。
近年になって、この曲を森山良子が歌っていると知った。キャンプの時のあの歌。そうか、森山良子の作なのか…となんとなく思い込んだ。
昨日久しぶりにまたこの曲に触れてみた。検索してみたところ意外な背景がわかった。
森山良子の作でない。
金子詔一だ。彼は青少年育成が目的の集団「ハーモニィセンター」のスタッフだった。1966年時、大学生だった金子が書いた。ハーモニィセンターの活動時に歌われたようだ。そこで広まった部分があるのかもしれない。
翌1967年に森山良子がこの曲を自身のシングル『恋はみずいろ』のB面に収録した。全国的な認知を得た機会になったであろう。
金子が当時大学生だったというのが意外だったし、非商業歌として生まれた後に職業歌手が着手したといういきさつも興味深い。私自身、青少年育成に関わる経験や知見が多少あるので、そうした活動の輪の中から出てきた曲だと思うと感慨がある。
3拍子の民謡調であるところも曲のアイデンティティ。グループサウンズからフォークブームへの移ろいの一端を担ったのはこの曲だったのかもしれない。
自由で不定形な音数をスリーコードに乗せた弾き語りフォークの類は枚挙にいとまがないが、この曲はそれらとは一線を画す。仲間でしっとりと斉唱できる平易さを意識した歌づくり。豊かなコード付けを許し、調和を誘うメロディは西洋的でもある。
青沼詩郎
『今日の日はさようなら』を収録した森山良子のアルバム『愛する人に歌わせないで』(『この広い野原いっぱい』との2枚組)
ご笑覧ください 拙演